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【長編小説】「独身記念日」⑷ 創作大賞2024

※この小説は、創作大賞2024 応募作品です。

独身記念日⑷

 ヤマシロは、二人を残して店を出ると、早歩きで自社ビルの別棟に入るショッピングフロアに向かっていた。シマサバくんとツルタさんと一緒に休憩に出る前に、私用のスマホに父親から、父の日のプレゼントが届いたお礼と、今日電話できるか、というメッセージが入っていたので、早めにそれを終わらせる為だ。仕事後、夜になってしまうとなんだか面倒になりそうだし。行き交う人と当たらないゲームをしているみたいにスピードを落とさずすり抜けて、ビルの裏の方の入り口から入ると、一階フロアの隅に設置されているベンチが空いていたので腰掛け、ヤマシロはすぐに父親に電話をかけた。

「あぁ、お父さん?」

 父親は呼び出しコールが鳴るとすぐに電話を取った。サラリーマンだった父は二年前に四十年以上勤め上げた会社を定年退職をしてから、今はこれまでと全く関連のないマンション管理の仕事に再度就いていたのだが、連絡が来るということは今日は恐らく休みなのだろう。

「あぁ、どうも」

「うん、今電話して平気?」

「こっちは大丈夫だよ。あなたは休憩中?」

 よそよそしい二人称を言われてヤマシロは、声のトーンが半オクターブくらい自然と落ち、うん、そうだよ、と言った。いつも落ち着き払った、会社の役員みたいな雰囲気の父親が何か物申したいときの、ケチをつけるような視線がヤマシロの目に浮かぶ。

「週末に父の日のプレゼント、届いたよ。いつもありがとうね。しかし、最近全然連絡をよこさないけど、あなた何してんの?心配するやけぇ。どうかしてるんじゃない?」

 そう言われたヤマシロは、確かに覚えている限りここ半年くらいは自分からは何の連絡もしていないが、あぁごめんね、特に用がなかったから、と冷めた口調で返した。

「用がないって。親子なんだから連絡途絶えちゃいけんやろう」

 父親の声が、小さい頃聞いていた、おじいちゃんの口調と同じように以前よりも音がこもって、故郷の山口弁が出てしまうようになっているのに、ヤマシロは不意に父親の衰えを感じ、落ち着かない気持ちになった。

「特に、問題もなく毎日送ってるってことだよ。お父さんは?」

「こちらは変わらないよ。この間、インドネシアとタイに旅行に行ってきた。全然会ってないからお土産も渡せないよ」

 父親は不満そうに平たい声で言ったが、生活は困ってい無さそうなのでヤマシロは眉間の力が抜ける。

「じゃあ、また暑くなる前にでも、食事しよう」

「食事はいつでもいいけど、あなた、その他にはないのね?」

 そう言った父親の、わざとらしいため息の音が耳に入った途端、ヤマシロは今座っている場所がなんだか急に暗くなった気がした。

「うちは孫がいるわけでもないんだから、時々電話くらい寄越しなさいよ。しゃんとしてください」

「あぁ、ごめんね。わかった」

「じゃ、また連絡するよ」

「うん、じゃあ、体に気を付けてね」

 電話が切れて真っ暗になった画面に、孫って、一人っ子なんだから産めるの私しかいないのに、何言ってんの。と、言い返すようにヤマシロは呟いた。それからベンチから立ち上がろうとするが、胸に軽い動悸が走ったので一旦やめた。家族と接触すると、底のない空洞を覗き込むみたいな感覚になるのが以前から深憂だった。

 両親はヤマシロが大学三年の時に離婚していて、父親はその後再婚をし、今は再婚相手の家族とも住んでいるようなので、ヤマシロからしたら一体どこまで踏み込んでいいものかいつまでも掴めない、ということもあるのだが、それよりも距離を取る原因になってしまったのは、ヤマシロ自身の離婚だった。社会人六年目、二十七歳で、大学時代からの付き合いの元夫と離婚してから、両親は、ここ数年は子供も持てぬままこの歳まで来ていることが、二人にとっての人生の一番の挫折のような顔をしてため息を付く。

 ヤマシロは、そのまま縮こまるように身を屈めて少し休むことにした。急いでやろうとすると、最近は歳のせいかどこかに皺寄せが来るなぁ、この歳でこんなんなんだから先が思い遣られる、などと、ちょうど良い空調のかかったショッピングフロア内を見渡して気を紛らわせた。見える場所にある和食ダイニングや、ガーデンテラス付きの広いレストランは、平日でもいつものようにグループ客やビジネスマン、外国人など賑わっていて、その人の営みを観察するようにヤマシロは眺めた。

 今できる範囲はここまでだ、という思いが、家族について何か考えるときにヤマシロの中にはあった。連絡をまめにすることすら、負荷がかかるのだ。私にも、人に優しくできる量が決まっていて、個人のそれを超えざるを得ない状況に自ら飛び込むことは、あれ以降ずっと避けてきた。自分に優しくするか、他人に優しくするか、どちらを捨て、どちらを選ぶことが、今のところ生活を維持する為のできうる限りの方法だった。

「独身記念日、どころじゃないいかも」

 そう口に出してから、大きく吸った息を一気に吐くと、ヤマシロは、勢いを付けて立ち上がり、本当は電話がなくても早めにランチの店を出て寄りたかった場所に向かった。

 二階に続くエスカレーターに乗り、ヤマシロがいた場所からフロア中央の吹き抜け横を通って反対側の場所に、その店はあった。都内の中でもこの店舗は、天井が高くガランと広さがあって、その中でシンプルに服だけが等間隔にディスプレイがされており、見に来るだけでもいい気分になるような雰囲気だった。重くなった気持ちを落ち着かせるのにも、いい寄り道になった、ヤマシロは思いながら特に当てもなく見回っていると、目についたワンピースを見つけて、自宅の窓の二倍くらいありそうな大きさの鏡の前でそれを当てた。ブラックでノースリーブのIラインワンピースが、ちょうどヤマシロの背丈にも合っていて、シルエットも好みだった。

「昨年も、このシーズンにワンピースを購入していただきましたよね?」

 そう言って突然、にこやかに話しかけてきた女性の販売員に、ヤマシロはたじろいだ。時々この店に来ている中で見かけていそうにも思えるような人だったが、それより確かにワンピースを買ったことを覚えられているということが、想定外で内心びっくりしてしまった。

「あ、はい、そうです」

 販売員の顔をもう一度確認しながら、とりあえずそう愛想笑いをして言うヤマシロに、販売員は、すみません、そんな急に言われて気持ち悪いですよね、とヤマシロから後ずさって申し訳なさそうに言う。

「私、昨年お客様がいらした日にちょうど店にいて、直接はお話させてもらってないんですけど、なんかすごく良い表情で買われていかれたのが、印象に残ってたんです。それからも何度かお見かけしてて。さっき合わせてたワンピースもすごくお似合いになりそうだったんで、つい声をかけちゃって、驚かせてしまってすみません」

 そう言ってぺこぺこと頭を下げる販売員の姿に、それ以上の何かも無さそうに思えたヤマシロは、話を続けた。

「そうだったんですね、あの、チェック柄のワンピースですよね?」

「そうですそうです!胸下に切り替えが入ってて、スカート部分がフレアの。すごくお似合いになってましたよ」

「そんな、覚えててもらえて、嬉しいです」

 ヤマシロがそう言うと、販売員はまた友好的な笑みを浮かべて、何かあればご相談に乗りますのでゆっくりご覧になってくださいね、と離れていったのに、ヤマシロも肩の力が抜けて笑い返した。

 そうしてまた別のラックに掛かる服を見ていきながら、自分がそんな人の印象に残るまで嬉しそうにしていたんだ、と思い返すと、確かに去年この店に訪れたのは、ずっと買ってみたかったブランドで念願叶って初めて買い物をしたときだったので、そうだな、と合点がいった。

 今でも、クローゼットに増えていくまだ枚数の少ないこのブランドの服を眺めていると、何だか感慨深くなるくらい、私には大切にしたいものだった。この時間がとても好きなのは、何故ならやっと自分にも服を楽しめる余裕ができたという達成感もあり、自分の原点に一周回って戻ってこれたような懐かしさも感じられるからだ。

 思っていた以上に時間がかかったけれど。と、真の本音の部分がヤマシロの頭にすかさず浮かんだ。第一志望の今の会社に入るまでは、順調で大きな壁もなく、逆に自分なんて平凡以上の生き方ができるとは思っていなかったのにな。

 六年目の時に離婚した後。そもそもそれまでも、社内の仕事のレベルも高くて、時折モチベーションが低い人に足を引っ張られたり、派閥争いする人たちに体力を削られながら、頭を回すのにも苦戦し続けていた中だった。

 私は二ヶ月間仕事をダウンした。復帰したと思ったら今度は、すぐに、ずっと行きたかった美容チームに異動になり、そこから私的なことは色々封印して修行のような日々がスタートし、五年が過ぎて。そして今いる営業戦略チームに異動して仕事が定着するまで、心穏やかに服を眺めることなど本当にできなかった。さっきシマサバくんが、私のことを優等生とか言っていたみたいに周囲の人からは常にうまくやっていると言われることも多いけれど。今思えば、営業推進の仕事はメインの道から少し逸れた場所にあったけれど、その時間も悪くなかったのかな、と思う。

 ヤマシロはもう一つ、今度はベージュのフレアシルエットのスラックスが気になって、その生地を確かめるようにヤマシロは撫でた。ラメ糸や種類の異なる糸が入ったカラーが、派手過ぎない絶妙なニュアンスを出していて、質のいい見た目なのに伸縮性がある。こういう素材は履いたことがなかったが、このブランドのものなら挑戦してみても良いかも、とヤマシロは思った。流行りには乗ってみたいほうで、昔からそうだった。

 父親の仕事が転勤が多かったので、小学校から高校時代までは山梨の田舎にあった。当時は流行りの服やコスメなんて簡単に手に入らない時代で、年に数回友人と、わざわざあずさかかいじに乗って渋谷や原宿に上京しては、一日中店をはしごして買い物しまくっていた。だからネット広告やネットショッピングの必要性や利便性を誰よりも求めていて、そこから今の会社へ繋がって行くわけだけれど、その頃から、私はファッションが、世界を静寂に見せてくれるような大切なものだった。大げさな表現かもしれないが、誰かに直接声をかけられたり、励まされたりするわけじゃない、商品から感じられる意思みたいなものに、味方してもらっている感覚だった。

 最近は、こういう時間も取れるからか何かがしたいという意欲も戻ってきたのも感じる。

「よろしければ試着もできますので」

 先ほどの女性の販売員が、すぐそばまで来てまたヤマシロに声をかけた。

「こちらは、イタリアのテキスタイルメーカーの素材を使用してるんですよ。上品だけど、デイリーに使いやすいような生地でいいですよね。ほどよくシルエットも出るので綺麗に着れますし」

 ヤマシロは、このパンツだったら少し高さのあるヒールが良いのかな、などとイメージしながらその説明を聞き、腕時計に目をやると、また今度時間があるときに試着しに来ます、と言った。そろそろオフィスに戻る時間なので、今度は仕事後にゆっくり来よう、と店を出た。またお待ちしてます、と販売員は深々とお辞儀をして見送った。

 それからヤマシロは、一階に降りてオフィスビルに直結する廊下渡りエレベーターホールへと向かった。受付嬢が並ぶテーブルの前を通り過ぎようとしたとき、社用スマホが鳴っているのに気付いて立ち止まった。画面には、「広告 博広堂 青井さん」と表示されていた。以前ある案件のプロジェクトで一緒にプロモーション戦略を作ってもらった広告会社の先輩だ。周囲を見渡してから、念の為渡り廊下に戻ってその電話に出ることにした。
 ヤマシロは十分程度でその電話を終わらすと、私用のスマホに入っているスケジュールアプリを開いてメモを入れた。翌週金曜日、十九時に、
「青井さんと待ち合わせ→部長職と面談」
と入力すると、今度は走ってエレベーターホールへと向かった。

独身記念日⑷ 終わり


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