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2022年秋 虎党4半世紀の雑記

2022年秋

最近殊に仲良くさせてもらっているDeNAベイスターズファンの愛好家氏に触発されて、鉛筆を舐めなめ、ならぬキーボードをカタカタしてみたり。

丁度、今季の阪神タイガースは一つの転換点を迎えている。
日本の野球をそれなりにご覧になっている人ならば言うまでもなく、矢野輝弘(敢えてね)監督の退任、岡田彰布監督2度目の登板、という転換だ。

その行く末への思いはまた機会があれば、ということとして。
ひとまずこんな風に雑記をネットの海という人様の目に触れるエリアに垂れ流すのも随分ぶり(その話も機会があればまた)なので、ある種の自己紹介的な文章として。
構成も校正もするつもりが無いので、暇すぎてほかにすることが無く、こんなところまで辿り着いてしまった貴方、それでもまだヒマですることがなければ、結論がでるかも分からない文章をスクロールしておくんなまし。



今でこそ生粋の虎党を堂々と自称しているけれど、起こりは至って曖昧で、ひとまず四半世紀前の1997年を始まりとしている。
やきう大好きさん方はよくご存じ、球史にその名を冠するハンカチ…もといマー君世代の88年生まれの筆者。
父の仕事で小学校2年にあたる1996年の夏に海外生活から東京に戻り、以降は日本で暮らしている。そしてその父の趣味から関東近郊の球場の3塁側スタンドへ連れていかれるようになったあたり、これを自分の虎党としての始まりとさせてもらっている次第。

とは言うものの、最初からタテジマ軍団に一本気で夢中だったなんてことはなくて、時は90年代後半、阪神タイガースは所謂暗黒時代の末期にあたり通称ダメ虎軍団は最下位周辺が定位置で、小さい子供としてはあんまり面白くない。当時初めての外様監督だった故野村克也さんのことも、なんなんあの辛気臭いジジイは、、なんてね。

年度 監督 順位 試合 勝利 敗北 引分 勝率 差 打率 本塁打 防御率
1997 吉田 義男 5 136 62 73 1 .459 21.0 .244 103 3.70
1998 吉田 義男 6 135 52 83 0 .385 27.0 .242 86 3.95
1999 野村 克也 6 135 55 80 0 .407 26.0 .259 97 4.04
2000 野村 克也 6 136 57 78 1 .422 21.0 .244 114 3.90

https://npb.jp/bis/teams/yearly_t.html


折しも、祖父母宅のある横浜市を本拠地とするベイスターズ戦の横浜スタジアムへの観戦は夏休みの風物詩で、それが98年のあのマシンガン打線を擁しての優勝にあたる頃だったりして、幼い心は意外と揺れ動いていたり。


それでも3塁側スタンドで、買ってもらった赤地に金色の5の番号のリストバンドをして(今を時めく北のB○GB○SS改め、、の方ですよ皆さん)黄色と黒のカンフーバットを叩いたり、
ネットでは暗黒エースなどと不名誉な呼び名もつけられてしまっているが、間違いなくあの頃のタイガースを支えていた藪恵壹投手の下敷きを学校に持参したりなどしている内に愛着ってものは湧くもので、故星野仙一さんを迎えての03年の優勝に心を震わせて記念Tシャツをお小遣いで買ったり、今回再登板した岡田監督時代の08年にはアテネ五輪を挟んだ「メークレジェンド」なる歴史的V逸に歯ぎしり号泣なんかしてカンフーバットをベランダから投げ捨てたり、、(脚注:当時の住まいはマンションの1階である)

そんなこんなで…

気づいたら四半世紀の時間が経って、コロナ禍で制限がありながらも一人で、時には虎党に仕立て上げた父と、時には新しく知己を得た野球好きの仲間と、足繫く球場に通うような三十路独身男子が出来上がった訳です。




今季現地観戦最終戦。10/10のCS1stステージ第1戦


さて、名もなき人間の半生(球生?)を掘り下げても仕様が無いので本題。
こんな雑記を書き始めたのも、なんとなく今この2022年はファン歴25年ということも有りつつ一つの節目かなぁ、などと思うに至ったのは、矢野燿大監督の退任、という阪神タイガースのイベントは自分にとってかなり大きな出来事なんだなぁ。としみじみ感じているからでして。

矢野燿大(本名:輝弘)元選手・前監督は、ちょうど僕が阪神タイガースファンとして自覚をし始めていた1998年に、中日から2対2の交換トレードでタイガースにやってきた。

当時はそういった移籍に関する悲喜交々なども分からないし、略歴の細かいことはウィキさんにお任せするとして、それから二度の優勝、それ以外の悔しい悔しいシーズンを含め、虎の扇の要・00年代のタテジマを彩ったたくさんの名投手たちの女房役として阪神を支えた、生え抜きでは厳密にはないけれどファンの心には間違いのないフランチャイズプレーヤーだと思っている。それが矢野輝弘選手。

今となっては懐かしい思い出で少しクスっと笑えるあの「行くな、超えるな」などもありながら、2010年秋に惜しまれつつ現役を引退し、評論家や侍Jのバッテリーコーチを経て、2015年に一軍コーチとして5年ぶりにタテジマのユニに袖を通した矢野さん。
そこから足掛け7年を指導者としてタイガースを導いてくれた。



長々と書いてきたのはとどのつまり、途中外から野球を見ていた時期はありながらも、僕のファン歴にはずっと矢野輝弘という選手・コーチ・監督が居たのだ。ということで。

それは他のどの選手、監督とも今のところ違う事実で、だからこそ自分にとってそれだけ大切な存在なんだなぁ、と。

物議を醸した開幕前の退任発表から今季一年を通して見て、クライマックスファイナルステージでその歩みがお終いを迎えた今、改めて色々な思いが脳裏に浮かんできて、それで少しそのあたりを言語化してみよう。というのが、この乱文が産み落とされてしまった正体なのです。


この文章で素人野球解説的な意味合いの、矢野阪神の総括はするつもりが無いし、本当のところは来季から二軍監督として現場復帰した和田さんのようになんらか球団のポストで残って貰えたりしないかな、、というような願望もあるけれど、ひとまずは…


「矢野さん、25年間もの間阪神ファンにたくさんの夢と感動をありがとう」

これだけを改めて、大きな声で言いたかった。2022年の秋。



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