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いない君がここにいることにしよう

・3月20日、女子高生AIりんなちゃんが高校を卒業したらしい。個人的にめちゃくちゃすてきな気持ちでいる。りんなちゃんは「永遠の少女」なのかと思っていて、そして永遠の少女ってアイコンをAIに背負わせるのマジで無垢の地獄だから…そうじゃなかった一点だけでなんか印象のすべてが覆った感じがすごくて。卒業おめでとうございます。いつかおばあちゃんAIになったりするのかな。最高だね。

・少女性を過剰に賛美するの、めちゃくちゃ美しい呪いという認識。呪いの種類として本当に最悪だし、でも本当に美しい。絶対に許さないけど、本当に美しい呪いだったよ。横浜のメリーさんについて、「少女をとうに過ぎた者の少女趣味は独特の迫力を発する」と述べられているのを読んだことがある。少女をとうに過ぎた者の少女装(少年装)って、私もやるから思うけど、直球で自傷。

・少年装をやっていた友人Mから、かつてあったという少年装サロンの話を聞いた。東京からすこし離れたきれいなお屋敷を貸し切って、少年のように装った者で集まって、文学などのことについて語り合うんですって。参加者たちは大人の女性であるので、少年装は二重の自傷なんだけど、故にそうであることをお互いに分かっている者同士だけで、架空の話ばかりをするのだと。なんて美しいんだろう。今はもう無いんだということも含めて。
少女服を身に纏って、美しい部屋を温室として、フィクションの小説や映画ばかりを嗜んで暮らしたいな。旧い現実のことは、すべて忘れましょう。そして、どこにもない星や、いない人の話だけを…
もう既にそのようにして暮らしているのでは?

・遠くへ離れて これっぽっちで
世のことこんなにわからない
みるみる"まるで天使"になっちゃう
地上にはもう帰れない
「人の声が聞けないのなら神の声が聞ければよかった」

・顔を増やすのかなり楽しいのでおすすめですね。「私が無数にいる」の、本来の社会(???)では許されない自意識だけど、顔を増やすと実際に「私が無数にいる」ので魂と身体がニコイチになる。みんなもっとフランクに仮面や被り物をやってみてほしい。あれはフィジカルな詩。私は何にでもなれる。
私は昔から仮面に限らず過剰に顔にこだわっているからやってないだけで、動物やキャラクターの着ぐるみにはかなりリスペクトがある。身体までカスタマイズ可能ってすごくない?こう生まれてきたからそう生きなければならない、なんて全然ない世界なのかよ。そうなんだよ。ない。
それから、奇妙に思われることに、私はいわゆる素顔であるときよりも、むしろ仮面でいるときのほうがくだけて本心を話せるのだ。責任がないから、という話ではない。公式サイトに顔も名前も出してるっつーの。ある小説に関して、「"これはフィクション小説である"という前提があるからこそ、作者はセクシャリティやコンプレックス等に関する告白をできたのであろう」という考察があった。私にとっての仮面もそうなのではないか。
素顔って言葉も不思議だよな。私は、肉体にへばりついているこの顔が本当の意味での「素顔」だなんて思っちゃいませんよ。分かりやすいからそう呼んでいますが。

・いない君がここにいることにしよう。
キャラクター、物語。存在することの要件に狭義の生命の有無を加えなかったくらいには、私たちははるか古くから豊かなんだ。そして、少年のあなた、少女の私、私たちにとって生まれ持って今もここにある肉体の事実がどうあれ。私たちがそう信じることができる限り、君は、「いる」。

生きてる いのちって最高♪