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貫け!聖アラサー

・聖少女であれ。聖なるものを失えば、永遠に誰からも愛されることはできないのだ。そう伝えられてきた。

聖アラサーになった。
ちなみに、愛されてもいない。


・ごく最近になるまで、一切自我がなかった。何もかも言われるがままのしもべちゃん。
で、多感な10代の頃、オタクでサブカル女子で、言ってしまえば処女性を過剰に賛美する界隈にいた私は、そのまんま「処女厨を内在化させた女」になってしまった。

・尚、あらかじめ断りを入れよう。処女なんて生々しい定義を使っては、結局そういう文脈でまた消費されてしまい逆戻りである。そんなプライベートなことは明かしません。
という訳で、ここで語る聖とはあくまでスピリットの話である。


・ピアスの話をする。
ピアスなんて、普通の現代人にとってはなんでもないお洒落のひとつだと思う。
しかし当時の私は、あまりにも聖少女信仰に忠実すぎた。

ピアスを開けるなんてふしだらだ。
それは純潔を失うことのメタファであり、ピアス・ホールはある種の烙印になって、もうこの世界の誰からも永遠に愛されることはできないはずだ…みたいなことを本気で考えていた。

完全にどうかしてるが、子供をそういうレベルで洗脳する世界もあったということです。
これは別にすごく特殊な場の特殊な例ってわけでもなく、きっとみんなにとっても身近なところにいくらでも転がっている。全然ヤバくなさそうな顔をして。
それはともかく。

23歳のとき。
初めて、ピアスを開けた。

何故!?

昔のクラスメイトたちとの会で、とあるすごく上品でしっかりした女友達がシンプルなピアスをつけていて、そのことに憧れたのだ。
と言っても、要するにその動機は、「私を少しでも"まとも"に見せかけたい」。私自身のためじゃない、誰かのためのご配慮。まして、不可逆な肉体改造の動機としては、最悪なのかもしれなかった。

女性が担当されているクリニックを、過剰に吟味して選んだ。
そんなことが当時の私にとってはものすごく重要だったのだ。
私を貫く刃物を男性が握っていることにこのときはどうしようもなく耐えられなかった。わかるだろ。
この儀式は、あのメタファなんだ。

予約した日に医院に行くと、ツンとした態度のきれいな女医さんがいて、白い施術室に寝かされて、プチッ、え、終わり?
という感じで、ピアスはあっけなく開いてしまった。最後に女医さんが何か声をかけてくれた。内容は忘れたんだけど、それ自体は覚えている。ほんとに冷たい感じの人で、意外だったから。
そのとき、少し笑いかけてくれたことが。

ピアス穴はしばらくのちに安定して、小さいピアスとかをよく着けて日々ご満悦してた気がするけどなんだったか忘れた。どうでもいいし。

重要なのは、私にとって、
「ピアスを開けても死なない私」が超絶ショックだったことだ。
ピアス開けたせいで天罰下って何かやばいことが起こったりとかもしなかったし、ていうか色々キラキラしたピアスをよく買って普通に楽しかった。
信じ難いことだった。

私の身体や私の人生が、私のものだなんて、考えたことがなかった。


それでもクソ低い自己肯定感を押し除けて、圧倒的な事実がのしかかる。
私はピアスを開けても死なない。

私の人生は私のものだから。


・歳を重ねてゆく毎に、あんなに持て囃された神聖が、ゆっくりと「腐敗」していくのがよくわかる。
構わない。
お許しを得られるレベルの、ご理解頂ける範囲の、
…インスタントに食い散らかされるための、清純。

クソ食らえだ。


・貫けアラサー聖少女!
誰にも食えない身体を抱いて、生きる生きる生きるぞっ。

人生は私のものだから。

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生きてる いのちって最高♪