無題


 慣れ親しんだこの海に、くたびれたスーツを着、通勤鞄を持って訪れた。

 僕は職と家族を失った、何も持たない中年だ。仕事の評価は並以下で万年平社員。リストラを機にとうとう家族にも見限られ、妻は子供を連れて出て行った。

 仕事と家庭以外に生きる理由はなかった。だから自殺をするつもりでこの海岸に足を運んだのだった。これ以上何も失うものは無いというのに、この海岸を前にした途端、十数年ぶりに声を出して泣いていた。

「ねー、おっさん。これ取ってくんねぇ?」

 思わず肩が跳ねた。よもや人がいると思っていなかったので、その声を聞いた途端、いい歳をして号泣する自分に恥ずかしくなった。

 声のした先に目を向けると、そこにいたのは





「え!!!!???????」

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人魚だった。


「おっさんがゲロ泣しててちょっと怖って思ったけど、おかげで人がいるって分かったし助かったー。あんがとね」

 人魚に引っかかった漁業用の網を解くと、素直に感謝された。体は大きいが顔は幼く見えるので、どうやら子供のようだった。人魚というと絵本に登場するような人魚姫だとか、テレビに登場する南の海のアイドルのように、上半身は人間で下半身が魚とばかり思っていたが、この子供の装いは随分変わって見えた。

「長らくここで暮らしたけど、人魚を生で見たのは初めてだなぁ……。思ったより魚っぽいな……」

「初対面で見た目のこと言うの失礼じゃね? おっさんモテないでしょ」

「ご、ごめん……」

 子供に説教されるとは思わなかった。最近の子供はませているというが、むしろ大人が時代に遅れているんじゃないかなどと考えてしまう。

「君の言う通り、モテたことなんか一度もないよ。つい先日、仕事をクビになって妻と子供に見捨てられたばかりだし」

「ふーん。あ、おっさんなんか美味いもん持ってね?」

 人魚の子供はいかにも興味がなさそうに相槌を打った。そりゃあ子供、ましてや人魚にとって、人間の湿っぽい話なんて食べ物以下の話題だろう。追求されずほっとしたような、少し寂しいようなそんな気持ちになった。

 通勤バッグの中を漁ると、自殺用の錠剤だとか、入れっぱなしの領収書に紛れて、ミントキャンディが入っていた。仕事中に目を覚まさせるためによく食べていたものだ。キャンディを渡すと、初めは訝しげに眺めていたが、口に入れてバリバリと噛み出した。

「これ美味いね! もっと持ってる?」

 袋ごと渡してやると、ジェイドに持って帰ってやろー、と言ってニコニコと笑った。機嫌が良くなったようで、自然とこちらも嬉しくなる。笑うとギザギザとした歯がよく見えて、可愛い子供のような、しかし怪物のようなアンバランスさが際立っていた。

「でも、最期に人魚に会えて幸せだなぁ。きっと一生分の運を今使い果たしたよ」

 そう言ったのはこの子の気をよくさせようとしたのが半分、後は本心からだ。人魚に会って話したことのある人間はこの街にもそういないだろう。生まれて初めて自分が特別な人間になったように感じたのだ。



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「は?」

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「オレと会っただけで幸せになるの?」

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「おっさんは何も変わってないのに?」



 その言葉がぐさりと胸を突き刺した。何も持たない人間の気持ちがこんな子供にわかるわけがない。ましてや僕からしたら、人魚に生まれたというだけで特別じゃないかとさえ思った。凡人の手の届かない立ち場から投げかけられた正論に、僕は酷く苛立ってしまった。

「君のような未来ある若者にはわからないかもしれないけど、自分の力じゃ変われない人間だって大勢いるんだよ……! そういう人間は時々降ってくる幸せに縋って生きてくしかないんだ!」

「うわうざっ急に大声出すな」

 完全にこの子供にペースを乱されていた。怒鳴るなんて、仕事中も家庭内でもすることがなかったのに。人魚の子供は、うーんと唸って、今までになく言葉を選んでいる様子で話しだした。

「仕事と家族なくなったとしてもさぁ、まだ生きてるわけじゃん? 別におんなじもの取り返さなくてもさ、おっさんが欲しいと思ったもの手に入れればいいでしょ」

「おっさんは力も頭の良さもないんだろうけど、まーいいとこあるよ、美味いお菓子知ってるとかさ」

 その子はヘラっと笑って、さっきあげたミントキャンディの袋をかしゃかしゃと振ってみせた。そのキャンディを僕と同じように愛用している人はごまんといるだろうが、その子の真っ直ぐな言葉は僕にもうすこし頑張ってみようと思わせるには十分だった。

「君……ありがとう、よかったら君の名前を教えてくれないか。いつかお礼をしたいんだ」

 涙ぐみながら名前を聞くと、その子は今までで1番の笑顔で言った。

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「知らない大人に名前教えねぇって!」

 さっき思い切り知り合いの名前を言っていたことは指摘しないでおいた。


 自殺未遂をしたあの日から、今日で3年が経つ。あれから新卒以来ぶりの就職活動をし、菓子卸売業会社に採用が決まった。気持ちが前向きになっても当然仕事ができる人間になりはしなかったが、懸命に働いた分良い結果がついてきた。

 あの子には人魚に合うだけで幸せになるなんておかしいと言われたが、やっぱり僕にとってあの出会いは幸せだったと思う。願わくば、僕がこうして卸すお菓子が、今のあの子に届いていますように。そんなことを考えながら、今日も会社に向かった。



はじめに

 Twitterのプロフィールを書くつもりが気づいたら中年男性とフロイドリーチのSSになりました。

Profile

三谷(みたに)と申します。
現在twstにズブズブです。オクタ中心に色々描いてます。
腐女子ですがCP表記のない作品に関してはnot BLとして描いています。
TwitterのFF外通知切っているため、リプライ等反応できませんが、断じて嫌っているわけじゃないです!いつもいいねRT等ありがとうございます!

⬛︎活動拠点
Twitter
https://twitter.com/mi_tani32
Pixiv
https://www.pixiv.net/users/61990023
r18垢
https://twitter.com/UNwR3bQToSVqIYK
ポイピク
https://poipiku.com/1731530/

お題箱たまに開けます。マシュマロ代わりなのでお題やるかはまちまち。

自作オクタガチャです。稀に更新しています。
http://gacha.work/gachas/r6dutz

⬛︎BLカップリングについて
描くのはトレジェイメインです。
ジェ受けに寄りがちですが、攻めジェも大好きです。
自分で描こうとすると変態フルスロットル迷惑男になってしまうので描いていません。なんで?
見る専はめっちゃ色々あります。
描きたい気持ちもあるのでいずれ。

⬛︎最後に
正直最初の3行くらいでブラウザバックするのが100人中100人だと思うんですが、せっかくなので最後に使い所に困っていたイラストを掲載しておきます。

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花笠音頭を踊るジェイドリーチです。使い所があったら教えてください。


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