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人間の愚かさと、僕らの愛

ミスキーに、描いている絵の進捗をあげた。
何の気なしの行動で、Twitterにはクリスマスに上げる予定の絵だし、進捗はこっちに投げようかな、くらいの気持ちだった。

その投稿のリアクションに、「かっこいい」と付いた。

一気に思い出す。中学1年生かそこらのあの日、美術部の部室、私が書いた男子の絵を、友人たちに「女みたい~w女でしょw」と笑われたこと、私はそれが悔しくて、たとえ冗談のつもりでも、一生許してやらないと思ったこと。
昔の事だから、気にしていないつもりだった。もうずいぶん過去の事だ。

でも私が描いたキャラのバックグラウンドも、元々の絵柄の事も、何も知らない人に「かっこいい」と投げかけられて初めて、
無意識にずっとあの頃の発言が刺さっていたんだな~、と気付いたのだ。

そう言われることを望んでいたわけでもないし、そう言われて救われたとかいうほど大層な運命だったわけでもないが、ただあの日悔しかった私と、
ずっとそれをどこかで気にしていた私に、もう気にしなくて良いんだよ、
と言えるんだと思った。

それから、多分件の発言をした友人たちは、そんな事を言った事を覚えてはいないんだろう。
「傷付けた方は覚えていないが、傷付けられた方はずっと覚えている」とはよく言ったものだ。
自分に適応されるのが後者だけだと思ってる人間は、ありふれているほど多い。

友人が知らず知らずのうちに前者になっているように、私も知らず知らずのうちに誰かの傷になっているんだろう。
傷付けた事も知らず、今日ものうのうと生きているんだろう。
私は。貴方は。僕たちは。ずっと。

生きていればいつか誰かは傷付ける。無意識にでも。
それは人間の愚かさで、これから先もどうしようもない事だ。

けれどせめて「傷付いた」って言って貰えたその時は、
「傷付けた」という事実をちゃんと、ながらく、
傷付けてしまったその人が忘れるまで、
覚えておける人間でありたいなと思うよ。

愚かさに勝てる反証は、まっすぐな愛、ただそれだけだと信じたいから。

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