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すべては無駄じゃなかったのだと、いつか

「やりたいことはなんでもやる」そう生きてきた。
モットーほど高尚なものでもなし、ただ「やりたいこと全部やりたい」だけなのだが。

ずっと小説を書き続けているし、中学からは絵を描き始めたし、いつしか自然と詩も書くようになった。
自分で本を作った時の表紙をきっかけにデザインを始めたし、youtubeで見た動画の影響でVroidを触り始めて、結果的にMMDをするようになった。
Vtuberに憧れてlive2Dで自分のキャラのモデルを作ったりしたし、
動画の編集も、頻繁にやるわけでは無いからまだまだ稚拙だけど、やっておて良かった。

そうして積み重ねてきた経験が、最近になって少しずつ日の目を浴び始めていて。

やりたくてやってきた事なのだから、やっているだけで十分に楽しくはあって、それだけで十分な価値はある。褒められないから価値がないなんてことはない。
というか、価値を求めてやるものでもないし。
でもそれはそれとして、誰かから褒めてもらう事でしか生まれない価値というか、誰かに与えてもらうことでしか得られない「後ろ盾」というものはあって。

それを最近、様々な人に、少しずつ与えてもらっていて、それが本当に、とても、嬉しくて。

愚直に書き続けてきた自分の文が褒められた時も、見よう見まねで始めたデザインが褒められた時も、必死に作り上げた作品が褒められた時も、

ああぜんぶ無駄じゃなかったんだなあ、と、そう思ったのだ。

私が今まで生きてきて、「これ楽しい!」「これ好き!」とばかみたいな真っ直ぐさでやり続けてきた事ぜんぶ、無駄じゃなかった。

強欲で良かった。愚直で良かった。好きな事だけを見据え続ける頑固さを、ずっと守ってきて良かった。
じゃなきゃ、今が無かった。

なんでもかんでも後生大事に抱えておきたい体質の私は、こういう取り組み以外にも、たくさんのものを強欲に抱えたまま生きている。

使っていた水筒が壊れてしまって、泣きながら寝たあの日、
「慣れてしまえば泣かなくなるのだろうか」と思って、
「そんな残酷さなんかいらない」「そうなるくらいなら、私はいつだって、何回だって、泣きたい」と思い直した私の事を。
「誰かを傷付けられる人間のほうが、ずっと楽に生きられるんだろうか」と思って、感じて、それでも「誰も傷付けたくない」と、ずっとそういう言葉を探している私の事を。
子供みたいに泣きわめきながら、ぜんぶ捨てないのだと必死に歩く私の事を、

いつか今みたいに、無駄じゃなかったと。
貴方は強くて美しかったと、胸を張って言える日が、来るのだろうか。

そうであって欲しいと、ずっと願っている。

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