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わたしの好きな音楽

アメリカ民謡研究会がバズった。
いや、元から1万再生は普通だったし、バズったの定義によってはすでにバズっていたのかもしれないけど。

バズのインフレに溢れた中、珍しくある曲が50万再生を超えて、その曲はcoverと書かれた要するに歌ってみたが出て、それ以降の曲の再生回数だけが伸び、自主制作PVなんかも回ってきて。

ただ誰が悪いというわけでもなく、ただ何が嫌いなわけでもなく、ただ少しだけ。

サムネイルがイラストなだけでこんなに伸びる。
その曲以降の曲ばかり再生数が伸びる。
そうした先には、誰かからの消費が待っている。

「僕らだけの音楽だったのにね。」
そう思った。

たった1万人、3万人、5万人、それくらいの「僕ら」だけの間でひそやかに回し聞きされていたささやかな音楽。
気付いたら誰かのお手付きだった。気付いたら大衆音楽にされていた。
誰にも触れられずにそこにあった音楽が、誰かに歌われて、誰かの表現にされて。

音楽ってそういうものだ。知っている。
何もかもそう、良いものはいつか伸びて、そのうち消費されて、誰かの手あかにまみれていく。

悪いとは思わない。思えない。そういうもので、私だって消費者で、明日も消費者で、この文だって消費だ。

明日からもアメリカ民謡研究会を聞く。
「僕ら」が増えて、すこし積極的な人も混ざってきた、そう、それだけ。

ただ、だから、すこしだけ、
「あ~。」と、そう思ってしまっただけなのだ。

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