人生を川の流れに例える時、やっぱり諦め感を含んでいる 〜 流れへの身の任せ方を教えてもらった、こと
こちらの本読みました。
Amazon Prime 会員は無料で読めました。
こちらとは別の本になるのですが、
ホリエモン氏は、
若い頃から人生観として、
川の流れにどんぶらこと流されていて、
流れて近づいてきたものを
面白そうだなと思ったら、
手にとってみるのだ、
ということを話されていました。
川の流れに流されている、
という表現が意外に感じて、以前 Note に書きました。
意外に感じた理由は、
私の中では、人生を川の流れに例えることは、
どこか諦めの意識が底辺にあると認識していたからです。
ですが、ホリエモン氏が言う時は、
きっとそこには、そのような悲哀めいたものは含まれないのであろうと、その時は結論しました。
(大げさですいません)
それは、ホリエモン氏のイメージにある、
常識を破って、前進していくというところから
そう思ったのでした。
しかし、同時に、そうなると、
人生を川の流れに例える時、どこか諦めのようなものがふくまれているという解釈は、万人共通のものではなくなる、と思い至りました。
そして、美空ひばりさんの川の流れのように、の歌もおおらかで癒やされるような歌詞であり、
諦め感や憂いを歌っているわけではない、
ということにあらためて気づきました。
しかし、この疑問は、
今回読んだ、ホリエモン氏の最大化の超習慣、のなかで解決されました。
ホリエモン氏自ら、
自分は、人生に対して諦観を持っている、とはっきり述べていらっしやいました。
そんな箇所がありましたので、
抜粋しました。
〜〜〜〜〜〜
29章 諸行無常が最高のストレスマネジメント
より〜
僕は何事にあっても諦めるのは嫌いだ。
でもある種の諦観は持って生きている。
この世は諸行無常、
そう受け入れている。
すべては移ろう。刻一刻と流れてゆく。
誰かを恨んでも何も変わらない。
未来に向けて身を任せるしかない。
実業家の堀江貴文は世間的には世の流れに逆らって生きているように映るかもしれない。
しかしまるで逆なのだ。
僕は流れに任せて生きている。
自らこうしたい!と乗り出したことはほとんどない。
結局それですべてうまくいっている。
もちろん 紆余曲折はあるが、全ては移り行く。
流れ行く。そしてそれが楽しい。
あなたも肩の力を抜いてほしい。
自分の意志を捨てろというのではない。
あなたにはあなたの流れがある。
それは他人の流れとは無関係だ。
だいじょうぶだ。行き着くところに行き着く。
なるようになる。なるようになってしまう。
だからただ目の前のことに没頭しよう。
Point 全ては移ろう。流れに身を任せよう。
〜〜〜〜〜〜
音声入力して、読み上げているとなかなか美しいと思いました。
ちょっとぐっときます。
美空ひばりさんの、川の流れのようにのメロディーで、この文章を歌ってもいいんじゃないでしょうか。
あなたも肩の力を抜いて欲しい、というところが
お優しいですね。
私は、これまで、
自分が川の流れに身を任せる、という
イメージはもてないでいました。
ですが、ホリエモン氏の
この肩の力をぬいてほしい、
という言葉で、
流れに身を任せられるような気がしました。
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