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母とのかけがえのない日々

5月5日の早朝、母が旅立った。

年明けから徐々に体調を崩していた。
昭和8年生まれ、高齢だから仕方がないのかなと思っていた。

暖かい季節になれば少しは楽になるかもしれないと、本人もまわりも希望を持っていた。

しかし後に検査で大きな病気がわかり、高齢のためもうなにか治療的なことをするのは厳しかった。

短期入院して、ある措置によって口から食べられるまでにしてもらった後、訪問看護や介護制度のお世話になりながら家で過ごすことを選んだ。

日々をいかに楽しく心穏やかに過ごすか。


私にできることは、歌とピアノ。
母は昔から歌うことと私のピアノが大好きだった。ことに日本歌曲や童謡唱歌。
電子ピアノを母の居る部屋に持ち込み、リクエストに応えていっぱい弾きいっぱい歌った。
毎日が音楽会だ。

最初のリクエストは

だんいくま さん」

すぐにピンと来た!
江間章子さん作詞、團伊玖磨さん作曲の「花の街」だ。
七色の谷を越えて〜流れていく風のリボン…
そういえば昔からこの歌大好きだったよねぇ。



中学生の頃を思い出した。
音楽の先生が急に休んだ日、全員が持っていた小さな歌集から次々とリクエストを受けて、即興でピアノ伴奏をしてみんなで歌い、その1時間をもたせたことがある。

今でも、知っている歌だったら楽譜がなくてもなんとなくそれらしく弾ける。母は大喜びだった。


いつも私が電子ピアノに掛けてある布を外し、電源を入れて準備をしていると、同居して主に看てくれていた弟が
「さあ、音楽の時間ですよー」と楽しげに母に知らせた。「わーい」と母。


またあるとき、5月の発表会に何を弾くのかと聞くので「朧月夜」だと言うと、目を瞑ったまま「いい曲だねぇ〜」と笑顔になったので枕元で歌ってあげた。

菜の花畑に 入り日薄れ…

そしたらなんと続きからハモってきたのだ!か細い声だが音程正しくしっかりと!

瞬間ぐっと込み上げてしまった。
悟られないように頑張って歌い続けた。すっかり忘れていたよ、昔よく二人で歌ったよね…


東京でエンソフィックレイキを修得してきた後は、私の出来ることにもうひとつレイキが加わった。
車で7、8分の実家に毎日毎日短時間でも行ってレイキをした。

行けない日は自宅から遠隔レイキをした。少し苦しがっていると連絡が入った時、離れていても出来ることがあるというのはなんと救われることか!30分もすると「眠った」と連絡が来る。楽になったと聞けるほど嬉しいことはない。レイキを習って本当に良かった。

4月のある日のこと。
レイキがひと通り終わった後、発表会が近いからここで練習させてもらってもいい?と聞くと、ニンマリ笑顔になり右手を布団からヨイショと出してOKサイン。

「朧月夜」の弾けない箇所を繰り返し練習しても苦にならないようで助かる。
うまく弾けると、オー!と声を上げて、なんとも張り合いのいいお客様だ。

そして次回YouTubeに上げる予定だった曲「ビビディ・バビディ・ブー」の練習を始めると、知っている曲だったそうで楽しい楽しいとワクワク顔。よく弾けるねぇと感心しながら飽きずに聴いてくれた。

「YouTubeにアップ」と言ってもわからないと思い、「私インターネットにピアノ演奏を発表しているの。世界中の人が聴くことができるんだよ。ビビディ・バビディ・ブーも弾けるようになったら発表するからね。」

すると母が急にお腹の底から出すような力強い口調で、ゆっくりとこう言った。

「素晴らしい。 挑戦しなさい。 頑張りなさい。」


このころはいつもか細い声で途切れ途切れ話していた母。思わず二度見したほどだ。

「ありがとう。 挑戦するよ! 頑張るよ!」


私も負けずに力強く言った。


母は本当は音楽の先生になりたかったという。
実際は中卒で看護婦の見習いとして医院で働き始めた。
看護婦寮で一緒に暮らす他の女性たちは皆、給料が出るとウキウキと洋服などを買ったという。
母にとってそんなものは箪笥の肥やしになるだけだと全く興味がなく、お金を貯めてついに念願のオルガンとバイエルを買い、看護婦寮に持ち込んで練習していたそうだ。

その足踏みオルガンを覚えている。
小2の秋にピアノを習いたくなって始め、小3の夏にアップライトピアノを買ってもらうまで当時の家の廊下にあって練習していた。

そのオルガンはどうなったの?と今回聞いてみた。
物置にしまっておいたのだが、私が中3の時現在の家に建て替える際、何の間違いか処分するものに混じって母の知らない間にトラックで運ばれてしまった。
悲しくて密かに泣いたそうだ。

話しながら思い出して悲しい顔をしていた。
私は言った。「ごめん、知らなかった。それは切なかったね…もしかしてさ、きっとそのオルガン、どこかで母さんみたいに歌が大好きな人の目に留まって、大事に弾いてもらってたと思うよ。ねぇ。そう思わない?きっとその人、幸せだったと思う。」

母は目を閉じたままゆっくりと笑顔になった。「そうだなぁ、きっとそうだねぇ。ありがと。」



母は自分の叶わなかった夢を娘である私に託すような言い方や態度をしたことは私が子供の頃から一度たりとも無い。

私がピアノを習い始めたのも、音楽の仕事をするようになったのも、母の夢とは全く関係ない。
私は自分の意思でいろんな回り道をして、自分の意思でピアノに戻ってきただけだ。

病床の母にほぼ毎日音楽会をしながらしみじみ思ったのは、お互いに音楽が本当に好きなんだなぁということ。DNAかもしれない。

旅立つ3日ほど前から急に常に眠っているような状態になった。
前日まで、私は耳元で歌った。
朧月夜、浜辺の歌…

そして「花の街」
帰省していた兄の声が途中から混ざった。兄もよく歌詞を憶えていたものだ。


かけがえのない、素晴らしい時間を私たちは過ごした。



最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございましたm(_ _)m💐

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