翠とディサエル先生

「今日はジャンジャル・バーバルを作るぞ」
 厨房でエプロンを着せられ、まぁ場所が場所だし料理の手伝いをさせられるのだろうと思っていたら、聞きなれない言葉が聞こえてきた。ディサエル他この家の居候達が、会話中に私の知らない単語を出してくるのは珍しい事ではない。
「はあ……?」
「おい翠。そこは”はあ……?”じゃなくて”はい、先生”だろ。この話のタイトル読んでねぇのか? ”ディサエル先生”って書いてあるだろ」
 そう言ってディサエルはふくれっ面をした。ディサエルは異世界から来た神なのだが、見た目は十五歳程の子供の為、そんな表情をすると見た目相応の子供にしか見えない。
「そんな事言われても目次には……って、あれ? ここはディサエル先生って書いてある……。えっと、じゃあ、ディサエル先生」
「おう、何だ」
 ディサエルは”先生”と呼ばれたからか、満足気な表情を浮かべた。
「ジャンバル……じゃなくて、ジャン……ジャル? バーバルって何ですか?」
「カスノカ帝国の一部地域に伝わる郷土料理だ。ジャンジャルは調理方法の名前で、バーバルが食べ物の名前だ」
 カスノカ帝国って何だ。カサンノカ共和国もあったりするのだろうか。とは思えど、この手の話題にいちいちツッコミを入れていたらきりがない事は学習済みだ。この場合はどんな調理方法なのかとか、どんな食べ物なのかを聞いた方が無難である。
「それは作りながら教えるから、まずは材料の準備な」
「まだ聞いてないけど」
「でも聞く気だったろ? だから先んじて答えてやった」
 ディサエルはそう言ってさっさと準備に取り掛かった。ディサエルは人の心が読めるそうで、時々こうして私が何か言うよりも先に答える。
「材料は何を使うの?」
「先生、だ。先生をつけろ」
 どうやら「先生」と呼ばれる事が面倒なツボに入ったらしい。仕方なく私はもう一度訊ねた。
「材料は何を使うんですか、先生」
 するとディサエル先生は満足そうに頷いてこう答えた。
「主な材料はバーバルのもも肉、キャルコ、トロ、ベーヨン、バリコルコラ、それとマッパだ」
「マッパ⁉」
「真っ裸の意味じゃねぇぞ?」
「ああ、うん……そうだよね」
 異世界の言葉であろうからディサエルの言う通りなのだろうが、それでもマッパと言われたら真っ裸かと思ってしまうのが日本人。一部の日本人はアニメ制作会社も思い浮かべるだろう。
「んで、ディサエル先生。それらの材料はどこにあるんですか?」
 見た事も聞いた事も無い異世界の食材は、今のところどこにも見当たらない。流石に今から調達する、なんて事は無いだろうが……。
「調達してきたぞ、魔王」
「えっ⁉」
 厨房に突如現れたのは、片手で紙袋を抱え、もう片方の手で何か大きなものを担いだロクドトだった。腰まである長髪を珍しく団子状にまとめていたようだが、ほつれにほつれ、悲惨な状態になっている。この家で唯一の男手はどうやら無理矢理使い走りさせられたらしい。いつにも増して険悪な表情を浮かべてディサエルを睨んでいる。しかしディサエルはそんな視線を気にも留めずに「おう。ありがとな」とだけ言った。
「あ、あの……ロクドトさん。背中にあるやつは一体……?」
 この場の空気まで険悪になってしまう前に、私はロクドトに問い掛けた。すると彼は視線の鋭さを少しだけ緩めて私を一瞥し、それから担いでいる何かを見ながらこう言った。
「これはバーバルだ。この世界には存在しないから現地調達してこい、とそこの魔王が言ったのだ。まったく。ワタシは狩人ではないというのに」
 どすん、と音を立ててロクドトがバーバルを床に降ろした。見た目は豚や猪に似ている。さっきディサエルがバーバルのもも肉とか言っていたが、それはこの動物のもも肉なのか。ふぅん……この動物のもも肉ねぇ……。丸ごと持ってきた動物のねぇ……。
「これを今から解体するの……?」
「当たり前だろ」
 恐る恐る尋ねると、ディサエルはあっけからんと言ってきた。当たり前とか言われても。
「どの世界、どの時代、どの国でも、お前がスーパーで買ってくる肉みたいにパックに綺麗に入ってるとでも思ってるのか?」
「う……言われてみれば、確かに……」
「それにバーバルは鮮度が落ちるのが早い。仕留めたらさっさと調理して食うに限る」
「なるほど……? でも、誰が、どこで、解体するの?」
 私は解体しないぞ、という意味を込めて”誰が”を強調し、ここで解体するなよ、と釘を刺す意味を込めて”どこで”を強調して言った。すると私の心の内を読んだディサエルはギクリと身を固め、気まずそうに顔を背けた。
 しかし私の心もこの場の空気も読めない奴がいた。
「キミがここで解体してみるか? 薬で眠らせているだけだから、今なら動いている心臓も」
「いやぁ! それ以上言わないでください! そういうグロテスクなの苦手なんです! ていうかまだ生きてるんですかそれ⁉」
 私がヒステリック気味に叫ぶと、流石のロクドトも申し訳なさそうに顔をしかめた。
「鮮度が命なのだから、仕方ないだろう」
 申し訳なさそうな顔だと思った私が馬鹿だった。
「とにかく、私はやりませんし、家のキッチンでもやらないでください。何か変な臭いとか汚れとか付いたら嫌だし……」
 その惨状を想像し、私はぶるりと身を震わせた。絶対に嫌だ……。
「ここは家主である翠の意見を尊重しよう。ちょっと待ってろ」
 そう言ってディサエルはバーバルを持ち上げたかと思うと一瞬で姿を消し、私が驚きの声を上げると同時に姿を現した。その手には葉っぱでくるんだ大きな包みが乗せられている。
「バーバルを解体して、もも肉をバシュラの葉で包んできた。バシュラは魔法と相性がいいから、葉っぱに防腐魔法を掛けてこうして包めば鮮度が落ちるのを遅らせる事ができる」
 へぇ~。なるほど。
「だったら最初からそうしてよ」
「お前の事だからバーバルがどんな動物か気になるだろうと思って、本物を見せてやったんだよ」
 ディサエルが少し頬を膨らませながら言った。
「その本物を捕ってきたのはワタシなのだが……」
ロクドトもどことなく不満そうに言った。何だかこれでは私が悪いみたいな気分になる。
「そりゃあ、その……この世界に無いものだと、どんなものなのか分からないから……見せようと思ってくれた事はありがたいし、ロクドトさんも、持ってきてくれてありがとうございます。でも、あの、びっくりするから、今後はやめてほしい……」
「すまねぇな」
「今は無理でも、少しずつ慣れていけばいい」
 こいつら反省する気無いな。
「さぁ、気を取り直して調理開始と行こうぜ。ロクドト、その袋の中に他の材料が入ってるんだな?」
 私の冷ややかな視線を受け流し、ディサエルは話を進めた。
「ああ。キミに言われた通りのものを調達してきてやったぞ。感謝するんだな」
「感謝の言葉はさっき言っただろ」
「そうか。それは気がつかなかった。わざわざ手に入りにくい材料を調達してきてやったのだから、何度感謝の言葉を述べてもいいのだぞ」
「わぁそうなんですかありがとうございますロクドトさん」
 何故かまた険悪な雰囲気になりそうだったので、私は二人の間に割って入った。何でこの二人はこうも相性が悪いのか。二人に挟まれていると急激に疲れが溜まっていく。
「キミにこの料理を食べさせる為でなければ、ワタシはこれらを調達してこなかったのだからな。存分に感謝するがいい」
「ああ、はい……ありがとうございます」
 まぁロクドトのこうした喋り方では、相性が良い人の方が珍しすぎるか……。
 ロクドトは私に紙袋を押し付けると、すたすたと厨房から出ていった。私は紙袋の中を覗いて、顔を顰めた。そこに入っているのは草花や木の実、果実の類い。これらは手に入りにくい材料なのか……?
「お。ちゃんと全部揃ってるな」
 ディサエルが横から覗き込みながら言った。
「三十八点」
 何点満点中のだ。
「黄緑色の細長い薬草がキャルコで、こっちの白色の花はトロだ。この二つは主に臭みを取る為に使う。もう少し量があってもよかったが、まぁいい」
 ディサエルは紙袋からキャルコとトロを取り出し、調理台に乗せた。
「この茶色い木の実はベーヨン。歯ごたえが良くてうめぇんだが、冬が来る前に早く摘み取らないと冬眠前の動物に食べられる。人間にも動物にも人気の木の実だ。んで、ちっちゃい赤色の実はバリコルコラ。味のアクセントに入れる。酸っぱいから他の動物に食べられる心配は無い」
 そう言って今度はベーヨンとバリコルコラを乗せる。すると紙袋の中にはレモンの様な黄色い果実だけが残った。これがマッパだろう。
「その通り、これがマッパだ。これを切って一緒に煮るなり焼くなりすれば、どんな肉も程よい柔らかさになる優れもの。だが黄色くなったらすぐ収穫しないとどんどん苦くなっていくから、収穫のタイミングを逃さないように注意しなきゃいけねぇ」
 ディサエルは紙袋から出したマッパをお手玉の様にぽんぽんと弾ませた。
「じゃあ手に入りにくい材料っていうのは、茶色い……何だっけ」
「ベーヨン」
「それと、このマッパ?」
「ああ、その二つもだがバーバルもだな。冬眠前のバーバルを捕まえるのは至難の業だ。肥えてるクセにやたら動きが早い。睡眠薬で眠らせようとしてもなかなか眠らない。このバーバルが大人しく眠っていたのは、それだけアイツが作った睡眠薬の効きが良いって事だな。お前は絶対盛られるなよ」
「うん」
 恐ろしい程に効きの良い睡眠薬を作った人物の持ってきた材料を全て調理台の上に置くと、ディサエルは鉄製の鍋をどこからか取り出した。
「これを全部この鍋に入れて火に掛ける。ジャンジャルってのは、似たり茹でたりする時の音が元になった言葉だそうだ。擬音語って国によって全然違うから面白れぇよな」
 葉っぱの包みから出されたバーバルのもも肉(ああ、さっきまで動物の形をしていたものが、綺麗なピンク色の肉の塊に……)、キャルコ、トロ、ベーヨン、バリコルコラ、輪切りにしたマッパと少量の水を鍋に入れて蓋をし、火に掛ける。
「さあ、これで後は中まで火が通るのを待つだけだ」
「ロクドトさんが苦労して取ってきた割には、簡単に作れるんだね」
「材料の調達も、調理の仕方も、どっちも面倒だったら嫌だろ」
 身も蓋もない事を言われた。
「これはカスノカ帝国の北の方、特に寒い地域で本格的な冬が始まる前に食べられるんだ。冬を越せるだけの体力をつける為にな。複雑な調理方法だったら冬を越す前に死んじまうだろ」
「……そういうものなの?」
「たぶんな。現地民じゃねぇんだから、そこまで詳しく知らねぇよ」
「ううん……それもそうか……」
 若干納得のいかない返答だが、それ以上は何も聞き出せないだろうと思い素直に引き下がる事にした。
 鍋が火に掛けられてから暫くすると、美味しそうな匂いが漂ってきた。食欲をそそられて、思わずお腹が鳴りそうになる。鍋から聞こえてくる音は……ううん、日本人の私には〝ぐつぐつ〟がしっくりくる。どうしてジャンジャルなんだ……。
「鍋の底が焦げ付かないように、肉をほぐしながらかき混ぜてくれ」
「うん」
 蓋を開け、しゃもじを使ってかき混ぜる。肉がほぐれるものなのか疑問に感じたが、意外とすんなりほぐれていく。
「ほぐしやすいようにちょっと手を加えたからな」
「あ、そうなんだ」
 その後も何度かかき混ぜ、火に掛けてから二十分程経ち……。
「よし。これくらいでいいだろ」
「完成?」
「ああ」
 じっくり火に掛けられ狐色になったバーバルのもも肉は何とも美味しそうだ。酸味の効いた様な匂いの正体はバリコルコラかマッパか。
 出来たものを器に盛り付け、食堂へと運ぶ。
「お、待ってたよ~。ありがとうディサエル、翠」
「お待たせしました、スティルさん」
 居候の最後の一人、スティルが既に食堂で待っていた。ディサエルの双子の妹である彼女は、姉とは違いどちらかと言えば食べる専門らしい。一人で料理させない方がいいとかどうとかディサエルが言っていた。この家に住む四人が毎日交代で食事を作っているが、スティルだけはディサエルと一緒に作っている。一人で料理させると何か起こるのだろうか……。
「別に何も起こらないんだけどね、ディサエルが駄目って言うの」
「起こるから駄目だって言ってんだよ……」
「料理中に何かあったの?」
「ああ。分かりやすく言えば、塩と砂糖を間違えるような事がな」
 何やら苦々しい顔を浮かべながらディサエルが言った。確かにそれは大問題だ。
「それよりも、冷めない内にさっさと食おうぜ。どんなものでも出来立てが一番美味いんだ」
「うん、そうだね。あ、ロクドトさん呼んでくる」
「あの子はわたしが呼ぶよ~」
 と言ってスティルが手をパンパンと叩くと、すぐにロクドトが食堂へやってきた。
「忍者ですか」
「にん……は?」
 団子状にしていた髪はほどかれ、鬱陶しく垂れ下がる前髪の奥でロクドトは顔を顰めた。ように見える。前髪が邪魔で分かりづらい。
「手を叩いただけでやってくるなんて、忍者かペットくらいですよ。たぶん」
「仕方ないだろう。不服でしかないが、手を叩いたらすぐに来いと彼女に言われているのだ。あと人を勝手にペット扱いするな」
「ええ~。ロクドトはわたしのペットだよ~。ね、ディサエル」
「そうだな」
「ぐっ……キミ達というものは……」
 苦虫を噛み潰したような顔をしてそうな声のロクドト。この双子の神にはどうあがいても勝てなさそうなので、私からはドンマイとしか言いようがない。
「さぁて、全員揃ったから冷めない内に食うぞ~」
「いただきま~す!」
「いただきます」
「せめてキミくらいは否定を……はぁ。……いただこう」
 この家に住む私、ディサエル、スティル、ロクドトの四人で昼食の時間となった。先述の様に交代で食事を作っているが、自分の作った料理を人に食べられるのはいつも少し緊張する。味が好みじゃなかったらどうしよう、量はこれで足りてたかな、等々。でも皆美味しいって言って食べてくれるから嬉しい。それに今日はディサエルと一緒に作ったから、美味しくない訳がない。ディサエルが作る料理はどれも絶品なのだ。
 器によそったジャンジャル・バーバルを箸で一つまみ。ふう、と少し冷ましてから口に入れる。薬草のスッとした匂いと、レモンの様な爽やかな香りが鼻を通る。一口噛むと柔らかな肉の食感が、もう一口噛めば胡桃の様な少し固めの食感と、噛む毎に食感の違いが癖になる。
「美味しい」
「だろ?」
 口をついて出た私の言葉に、ディサエルが顔を綻ばせる。
「カスノカ帝国へ初めて行った時、それはそれは大変な寒さに震えていたんだ。流石のオレ達でも凍え死ぬんじゃないかってくらいな。そんな時に訪れた小さな村でご馳走になったのがこのジャンジャル・バーバルだ。この寒さはまだ序の口だから、これを食べて元気出せってな。あの時は捕まえたばかりのバーバルを丸ごと使っていたが、村の皆で食べてもすぐ無くなっちまったっけな」
 昔を懐かしむ様にディサエルが言った。その脳裏には当時の光景が思い浮かばれているのだろうか。
「ジャンジャル・バーバルも、村の人達も、皆温かかったよね。あの後冬を迎えるお祭りにも参加させてもらって、皆で焚火を囲んで……ふふ。よく燃えたよね」
「ああ。壮観だったな」
 スティルも同様に懐かしむ様な声で言った。この二人は見た目こそ十五歳程の子供であるが、何千年も生きる神様だ。二人だけで沢山の世界へ行き、思い出も星の数程あるのだろう。その時の永さを想うと羨ましくなる時もあれば、無性に悲しくなる時もある。
「翠が悲しむ事じゃないのに」
「オレ達は好き勝手に楽しく生きてるから心配すんな」
「……うん」
 一人、話の流れを理解し得ないロクドトだけが、眉根を僅かに寄せた。
「翠が悲しむような事を言っちゃ駄目だからね、ロクドト」
「むしろワタシはキミ達の方こそ言うのではないかと思っているのだが?」
「こいつの前で言う訳ねぇだろ」
「……?」
 どうやらロクドトはロクドトで双子に心の内を読まれていたらしい。今度は私が首を傾げる番となった。私の前では言わない話。一体どんな話なんだろう……。
「ふふっ。秘密だよ~」
「そう言われると気になるんですけど……」
「世の中には知らない方がいい事もある」
「お、珍しく意見が合ったな」
「気になる……」
 だがいくら私がふくれっ面をしようとも教えてくれないものは教えてくれないので、今は仕方なく諦める事にした。双子は無理でも、後でロクドトさんに聞けば少しくらいは教えてくれるかな。
「教えちゃ駄目だからね~、ロクドト」
「彼女に聞かせる様な内容ではないのだから、教える訳がないだろう」
「そう言われると余計気になるんですけど……」
 その後も他愛もない話をしながらお昼のひと時を過ごした。この三人と過ごす時間はいつだって新しい発見や驚きがあり、時間があっという間に過ぎてしまう。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま」
「ごちそうさま~。美味しかったよ、ディサエル、翠」
「ああ、美味しかった。ありがとう」
「どういたしまして」
 食後は私とディサエルの二人で手分けして片付けをした。こうして今日も、異世界人達との日常を送るのだ。

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