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一歩前が見えない〜介護の話

明日はどこへ行こうとか、夏休みは何をしようとか、そんなことを一切考えなくなってから、どれくらい経っただろう。

あー、いつかここ行きたいねって、配偶者につぶやくくらい。

うん、そうだなって、そんな返事しかできないよね、そりゃ。

先日から、義母の今後の介護の在り方について、2度ほどかかりつけの病院でカンファレンスを受けていた。

施設を探して、空きが見つかったらそこに入れようと。
前向きに話は進んでいた。

それが急に、病院から呼び出しがあって。

過去にS字結腸穿孔をやっており、人工肛門であるため、同時にヘルニアも進行していき、本来あるべき、腹筋や筋膜、さらに脂肪もなく、皮膚の直下に腸が飛び出ている状態になってると。

何かのはずみで腹部に傷がついた時、腸も傷ついて、腸の内部流出や出血で、急変し命に係わるだろうと言う説明を受けた。

そして、こんな爆弾を抱えた状態では、受け入れてくれる施設を見つけるのは、大変難しいだろうと。

はい。
目の前に見えてた海が、砂漠の中の蜃気楼だったってことですよ。

そして。
説明を受けた翌々日、腸が体外に露出しちゃったんですよね。

紙パンツを引き上げる時に、皮膚が擦れて裂けたみたいで。

まさかの一昨日に言われたばかりのこと。
スプラッタですよ、実際は。

愚痴を言おうと思えば、いくらでも言える。

今までずっと通っていたストマ外来。

どこを診ていたの?
ヘルニアの存在も知ってて。

外科の先生。
つい最近だよね?
CTでも撮れと言うことですか?って聞いたの、私達に。

必要ならって答えたけど撮らなかった。

その時は必要じゃないって判断だったんだよね。

あれから数ヶ月しか経ってないんだけど。
次の検診は一年後だったよね。
急に一年後。今までは頻繁にあったのに。

……たらればは、言い出したらキリがない。
それはもう過ぎたこと。
それを言ったところで、どうにかなるものではない。
だから心に秘めておくだけ。ここでは言ってるけど。

これからの経過を見るだけだ。

が、大体にうちの義母の生命力は驚くほど強い。

癌も克服しましたし、心臓弁膜症も人工弁を入れずに済みましたし、血便が出るほどの胃潰瘍は、血便に気が付いた時には潰瘍からの出血は自然治癒で止まってました。

廃車になるほどの事故も本人無傷だったし、S字結腸穿孔で、この年齢でここまで回復すること自体、まれであると言われました。

大腿骨骨折をした時は、周りの全員が寝たきりを想像していたのですが、スライドウォーカーを使って歩けるまでに復活。

そんなこんなで、腹部の皮膚が裂け、腸が体外に露出しても、本人は意識がしっかりあって、自分でそれを確認までして、会話もちゃんとできるほど。

そして、大学病院に搬送されたのですが、腸に傷がつくこともなく、手術のための麻酔と筋弛緩剤を打ったら、自然にあるべき位置に腸が戻ったそうで。

結局、弱った皮膚を切除して、まだ正常に近い皮膚をつなぎ合わせただけで手術は終わりました。

よって、筋肉も筋膜も脂肪もない、皮膚の直下に腸があり、爆弾を抱えている状態に変わりはなく。


来週、緊急搬送された大学病院からかかりつけの病院に転院します。

そこで、どのくらいの期間入院させてもらえるのか、どんな治療をしてくれるのか、それはまだわかりません。
ただの皮膚の縫合手術なので。

受け入れる施設がなければ、そんな状態でいる義母を私が在宅でずっと診てるって事だよね。

先が見えないどころか、一歩前すら見えない。
その一歩をどこに踏み出すべきかもわからない。
終わりがいつなのか、それすらわからないのだから。

だから、今を一つずつ、こなしていくしかない。

前にも書いたけど、同情や慰めは要らないです。

これが私の進むべき道だからね。
私が置かれている立場。
この立ち位置でできることをやるしかないんですよ。

それぞれみんな、いろんなこと抱えて生きてるんだもん。

私みたいに、こんなふうに書いて吐き出すことすらできない人たちだってたくさんいる。


だから、ただ一つだけ。

どうか、これを読んでくださってる皆さんのご家族が、長く健康で長生きされること。
それだけは祈りたい。

介護は、全員が通る道ではないもの。

実父も義父も、癌で3年と6年、患ったけど、やっぱりそれとは明らかに違う介護の世界。

どうか、一人でも多くの方がこんな経験をしなくて済むことを祈らせて。

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