優生思想

わかるんですよね。若い頃はそう考えてた時期もありました。その考えに行き着く経緯は人それぞれでしょうけど、私の場合は、自分に根拠なき自信があったこと、社会的に成功していない人は努力が足りないと信じていたことが理由だと思います。

歳をとっていろいろ挫折してみて、変な自信は少なくなってきましたね。
社会にはすごい人っていうのはいっぱい居て、どの基準で優劣を決めるかにもよりますが、優な側に立てない可能性の方が高いですし。困るのは自分になっちゃいますから笑

私には障害を持つ兄弟がいます。彼は働けないのですが、若い頃の私には努力が足りないのではと思っていました。いろんなことをもっと勉強したり、社会で受けるプレッシャーやストレスに対してもっと耐えないとダメでしょって、他の人はそれをやってるんだからって。でも、今思えば彼は彼なりに努力して毎日を過ごしていたのではないかと思うんですよね。
当時、彼の将来の世話をしていかなくてはいけないことをすごく不満に思っていましたし、足枷ぐらいに思っていました。当然、優生思想に近いくらいの考えを持っていました。
大人になった今、私からみた彼の存在は変わってきています。歳をとってきている両親の側にいてくれることはそれができない私にとってはとてもありがたく、また、変わらずにいてくれることによって私の精神的な支えになってきてくれています。なんだかホッとするんですよね。彼は相変わらず満足に働けないですし、お互いに将来不安なこともありますが、無理にならない程度に支え合っていければ良いのかなと思っています。

働き出してから思うのですが、人には得意不得意があるんですよね。社会的な成功がお金をいっぱい稼ぐということだとしたら、そういう人がちがう職種について必ず成功するかというとそうではないかなって。たまたまその人にがっちり合う職種に出会って、他の人には真似できないくらい努力されてその成功があるわけですよね?もちろん努力は大切ですが、努力をしやすいかにも関わってくるのでその人に合うものを探すということが本当に大切だと思い知っています。そう考えると、自分に合うものがなかなか見つからなければ社会に受け入れてもらいにくくなってしまうんです。そういう人は本当に努力が足りないんでしょうか?お金をいっぱい稼げる職種に向いている人がする努力とそれに向いていない人がする努力って同じように比べて良いんでしょうか?

私の兄弟は、普通の人が普通にすることをするのにすごい努力が必要な人です。彼は日々生活しているのに努力していないって言えるんでしょうか?私には言えないです。
私は彼にできないことをしますが、彼も私にはできないことをしています。
彼が重視している物差しと、私が重視している物差しはおそらく違うでしょう。
ひとつの物差しで語ったら優劣を決められるかもしれません。でも、世界にはたっくさんの物差しがあります。優劣を決めるのにどの物差しをどれだけ採用しますか?
過不足なく必要な物差しを採用して、いろんな側面から物事を評価出来たら良いなと思っています。

余計な話を書いてる気がするので、あとで推敲したほうがいいかもですね。すみません。

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