一旦掘り下げる。ある意味でルーツ
掘り下げてみようと言ったのでまずは先述の自己紹介の一行目から。
私は兵庫県尼崎市という今ではダウンタウンの出生地として多少認知はあるものの、当時は「大阪に一番近い兵庫県にあってビックリするくらいガラが悪い」という町で生まれ育ちました。
中1の途中まで住んでいた尼崎の思い出は
鍵っ子
中華と焼肉とお好み焼き
めちゃガラ悪い
受験失敗
にある程度は集約されるかもしれません。
では、せっかくなので鍵っ子について。
私の両親は2人とも医療関係に従事していた関係で、当たり前のように保育園に入り、当たり前のように小学校の学童保育(当時はホームと言っていた)に入っていた。
ホームに入った時にはすでに弟が生まれていたため、17時にホームを出て家に帰ってもオカンは弟の迎えが遅くなり帰ってないこともあったので、いなければ鍵を開けて家に入り、帰ってくるまで1人で遊んでいた。
つまり7歳あたりから気がつけばオカンのヘアゴムで作られた鍵付きペンダントを首からぶら下げた立派な鍵っ子になっていたわけだ。何なら当時の気分としては「お前らが持っていないアクセを俺は身につけてるんだ」ぐらいの勢いで気に入ってぶら下げてたはず。
とは言えせいぜい1.2時間程度の間ではあるけど7歳の子が1人で家で留守番してたわけだ。その間恐らく1階の部屋で本を読んだりしてたと思う。(理由があって2階には絶対に上がらなかったので)
今の時代だとかわいそうにとか、親は何考えてるんだとか言われがちだけど、当時は普通。
裏を返せばそれだけ平和だったってことなのかもしれない。
あと鍵っ子とそうでない子は学校以外では交流が全くない上に、娯楽はテレビしかなかったので学校での話題はテレビ番組の内容に終始して、自分たちが学校終わって何やってるかといった話題には至らなかったのも「普通だった」と言える理由なのかもしれない。
まだいろいろあるが、とにもかくにも鍵っ子であったことは自身の形成に何らかの寄与はしてるはずだと思っていたりする。
次は何を掘り下げるかね。
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