はじめに 認知言語学の本を、LLMと伴走しながら読み進めるシリーズ(11/X)。章ごとにまとめた内容を参考に、設定した「課題」に回答させている。
「課題」があまり本章の内容と合ってないのと、いい質問を思いつかなかったので、gpt-4oに質問を考えてもらい、Claude 3.5 Sonnetに答えてもらうというそういう設定にしてみたが、結果はとても良かったと思う。
「課題」の設定 課題の設定は、「第1章」 を参照のこと。本章では、課題は評価されない。
11章 他動性 自動詞と他動詞は明確に二分できそうであるが、一方、discuss, enter, reachなどがそれぞれtalk about, go into, arrive at などと似た意味を持つにも関わらず、英語では他動詞であると教わり、不思議に思った人もいるかもしれない。本章では、他動詞をめぐる現象を取り上げる。
11章イントロより 1.他動詞文・自動詞分 5文型のうち、自動詞を使ったSVを自動詞分、他動詞を使ったSVOを他動詞文と呼ぶことにする。
動詞の後ろに目的語がきているので他動詞文、前置詞がきているので自動詞分という形の上の区別でいいだろうか?
2.他動性 他動詞文がもつ意味的な性質のことを「他動性」(transitivity)という。他動性とは何かを考えるにあたり、動詞の直後に目的語が来る場合と前置詞が来る場合を比較する
(3) a. He kicked the ball. b. He kicked at the ball. (4) a. She bit the apple. b. She bit on the leather strap.
(3a)は動作主であるHeがボールを蹴ることによって、ボールが飛んで行ったことを表すのに対し、(3b)ではボールを狙って足を振り上げたが、足にボールが当たったか、空振りをしたかは問わない。(4a)は動作主Sheがリンゴをかじりその結果、食べられたことを表すのに対し、(4b)で革帯はかじり取られていない。革帯は、かじるという動作の影響をうけてない。
この意味の違いを形と関連づけると、他動詞文は次のような意味を表すと言えそうである。
(5) 他動詞文は、動作主が意図的に自らのエネルギーを対象に及ぼし、その結果、対象が位置ないし状態の変化を被ることである。
もしこれが正しいならば、他動詞文はSVOという形と意味(5)が結びついた記号とみなすことができることになる。
3.プロトタイプ・カテゴリーとしての他動性 以下の例文は、前節(5)をみたしているか?
(1) a. Brutus killed Caesar. b. Fred broke the window c. The two men discussed a broad range of issues. d. The train approached me. e. The train reached Tokyo Station. f. Sylvia resembles a Greek goddess.
(1a)は、ブルータスが、意図的な動作を行った結果、シーザーが死ぬ。同様に(1b)も窓は<割れた>状態へ変化を被っている。(1c)は<未決着>から<決着>への状態変化を被ると考えられる。(1d)では、電車の接近は私の状態を変えるとは考えにくい、同様に(1e)も、東京駅は変化しない。(1f)はそもそも動作ではなくて、似ているなので、ギリシャの女神が変化を被ることはあり得ない。
以上の考察から、(5)にあるように、対象が動作主の意図的な動作の影響を受け、位置ないし状態の変化を被ると他動詞文として表現されるのは確かだが、他動詞文だからといって対象が位置ないし状態の変化を被るとは限らないことがわかる。すなわち(5)は他動詞文というカテゴリーの必要十分条件ではなく、プロトタイプを表しており、他動詞文は他動性の度合いの差を含むプロトタイプ・カテゴリーをなしているとみなせる。そこで(5)を以下のように修正してみる。
(6) 他動詞文のプロトタイプは、動作主体が意図的に自らのエネルギーを対象に及ぼし、その結果、対象が位置あるいは状態の変化を被ることを表す。
そうすると、おなじSVOの文型をとる(1)の赤でも、(1a)や(1b)が最も他動詞文らし、が、(1e)や(1f)はあまり他動詞文らしくないことになる。
4.他動性と受け身 受け身文は動作の対象の<変化>に注目した言い方だといえる。
5.文全体の性質としての他動性 では、他動詞文のプロトタイプが、動作の対象が主体の意図的な動作によって<変化>を被る場合であるいならば、他動詞文らしい分ほど受け身文になりやすことが予測される。
(10d) * I was approached by the train. (11b) * Chicago has been lived by my brother
受け身にできないようにみえる、受け身にできないかどうかは個々の動詞の属性の問題のようにみえる。kill,break.look afterは受動態にすることができるが、appoachやlive inはできないというわけであるが、実際にはそう単純ではない。
(12) a. The stranger approached me b. I was approached by the stranger (13) a. Several famous personages have lived in the house b. The house has been lived in by several famous personages.
ここでは受動態にできている。この違いはなにか? (10d)と(12b)は、私に接近してきたのが列車か見知らぬ人であるかの違いである。列車がホームに入ってきても、ホームにいる私は特に何も影響をうけなない、それに対して、見知らぬ人が近寄ると、何らかの影響ををうけ、見まがえ、冷や汗などの心身の状態が変化することがあり得る。この違いが両社の容認性の違いに結びつくと考えられる。
live inも有名人が住み着くことによって資産価値があがるなどの状態の変化があり得る。この違いが受け身文にできるかどうかに結びついている。
他動性が個々の動詞の属性の問題ではなく、文全体が表す意味の問題であることを示している。同じ<接近する>、<住む>という事態であっても、対象が影響をうけ、変化を被ると捉えられた場合には、その事態を描写する文の他動性が上がるわけである。ここでも第3章にみたように、意味が事態の捉え方に依ることが示される。
6.他動性と事態把握 (14)切れる/切る、砕ける/砕く、折れる/折る、裂ける/裂く、割れる/割る、破れる/破る、焼ける/焼く (15)痛む/痛める、かがむ/かがめる、苦しむ/苦しめる、沈む/沈める、育つ/育てる、、、
(14)は、kir-e-ru/kir-u、自動詞「切れる」は、他動詞「切る」に -eを加えて作られている。(15)は今度は、他動詞「痛める」が自動詞「痛む」に -eを加えて作られていることがわかる。
(16) (14)のタイプ:自動詞=他動詞+e (15)のタイプ:他動詞=自動詞+e
この'-e'を”しるし”(標、徴)と呼ぶと、(14)では自動詞が"しるし"を含んでいるのに対し、(15)は他動詞が”しるし”を含んでいる。
(14)はいづれも<破壊>を表す動詞、自動詞が”しるし”を含んでいることから、<破壊>は他動詞であらわすことが普通で、自動詞で表すのは普通ではないと捉えられていることがわかる。一方(15)は生物の<動き>や<感覚>を表す動詞である。生物の<動き>や<感覚>を表すのは自動詞が普通で、他動詞で表すのは普通ではないことを示唆する。
まとめると、自分たちの住む世界では、<破壊>という事態は他からの働きかけがあって生じるのが普通であるのに対し、<動き>や<感覚>という事態は自ずと生じるのが普通であると私たちが捉えていることが言語形式から読み取れるわけである。
世界のありかたが私たちの物事の捉え方に一定の制約を課していることを示す例になると考えられる(第1章5節参照)。
練習問題 以下、回答を、Claude 3.5 Sonnetさんにお願いしてみました。
以下の練習問題を、認知言語学における他動性の考えに基づき答えよ 練習問題1.lookとseeについて次の例文がある (1) I looked this way and that, but I couldn't see her (2) I was looking at her all the time, but I didn't see her. look=見る、see=見えると覚えている人には、(1)は見たけど見えなかったという矛盾した意味を表しそうであるが、そうではない。さらにlookにatをつけて(2)のようにも言えるという。こうした例文をもとに、lookとseeの意味の違いを考えなさい。さらにその意味の違いが lookがatをとる自動詞、seeが他動詞であることとどう関係するか議論しなさい。 #認知言語がくにおける他動性の資料 <略>
入力プロンプト 練習問題へのLLMによる回答 lookは受動態になりにくい(*The mountain was looked at by me.)のに対し、seeは比較的容易に受動態になる(The mountain was seen by me.)。これは、seeの方が他動性が高いことを示している。 結論: lookとseeの意味の違いと文法的振る舞いの違いは、認知言語学における他動性の概念によって説明できます。lookは意図的な行為を表すが対象に変化を及ぼさないため他動性が低く、自動詞として振る舞います。一方、seeは対象が主体に影響を与え、主体の内部状態を変化させるため、比較的高い他動性を持ち、他動詞として機能します。 この分析は、言語形式(自動詞/他動詞)が事態の把握の仕方と密接に関連していることを示しており、認知言語学的アプローチの有効性を裏付けています。
Claude 3.5 Sonnet,2024.9.10 そうか、seeは主体の内部状態を変えるのかあ、、それも「他動性」の範疇なのね。。
LLMによる「課題」への回答 この章は「課題」と関係が薄そうなので、この章のメモから、gpt-4oに質問を作ってもらった。
gp-4oさんの設定した質問 質問1: なぜ、言語使用者は「look」ではなく「see」を使う傾向にあるのでしょうか?この選択はどのようにして特定の認知プロセスや認知基盤と関連していますか? 質問2: 言語使用者はどのような認知メカニズムを用いて、他動詞文が「意図的な動作」と「変化の結果」の意味を持つことを理解しているのでしょうか?また、このメカニズムは日常生活のどのような認知的経験から形成されていると考えられますか? 質問3: なぜ言語使用者は「The train approached me」という文を「I was approached by the train」と同様に受け身で言い換えることを避けるのでしょうか?この選好は認知的な事態把握としてどのように説明できますか?
gpt-4o,2024.9.9 Claude 3.5 Sonnetさんの回答 これらの質問に対して、提供された他動性に関する参考資料を基に回答いたします。 質問1: なぜ、言語使用者は「look」ではなく「see」を使う傾向にあるのでしょうか?この選択はどのようにして特定の認知プロセスや認知基盤と関連していますか? 回答: 言語使用者が「look」よりも「see」を使う傾向があるのは、以下の認知プロセスや認知基盤と関連していると考えられます: 1. 事態の捉え方: 「see」は知覚の結果を表し、対象が主体の視覚に入る状態を示します。これは、主体が受動的に情報を受け取る過程を反映しています。一方、「look」は意図的な行為を表し、主体が能動的に視線を向ける動作を示します。日常生活において、私たちは多くの視覚情報を意図的な注意を向けずとも受け取っているため、「see」の使用頻度が高くなる傾向があります。 2. 他動性の度合い: 参考資料によると、他動性はプロトタイプ・カテゴリーを形成しています。「see」は対象が主体の内部状態(認識)に変化をもたらすため、「look」よりも他動性が高いと考えられます。言語使用者は、より他動性の高い表現を選択する傾向があり、これが「see」の使用頻度の高さにつながっています。 3. 認知的効率性: 「see」は知覚の結果を直接表現するため、認知的に処理しやすい表現です。一方、「look」は意図的な行為を表すため、その行為の結果(見えたかどうか)については別途表現する必要があります。言語使用者は、より効率的に情報を伝達できる「see」を選択する傾向があります。 4. 事態の客観的把握: 「see」は事態をより客観的に捉える表現です。主体の意図や努力ではなく、知覚の事実そのものを表現するため、客観的な描写や報告に適しています。このため、多くの文脈で「see」が選択されやすくなります。 これらの要因が相互に作用し、言語使用者の「see」の選択傾向を形成していると考えられます。この選択は、人間の視覚情報処理システムや、事態を客観的に捉える認知能力、さらには言語の経済性を重視する傾向などの認知基盤に基づいています。
Claude 3.5. Sonnet,2024.9.9 なんか、なんとなく見るとか、客観的ってところはそうかなという気もする。
質問2: 言語使用者はどのような認知メカニズムを用いて、他動詞文が「意図的な動作」と「変化の結果」の意味を持つことを理解しているのでしょうか?また、このメカニズムは日常生活のどのような認知的経験から形成されていると考えられますか? 回答: 言語使用者が他動詞文の「意図的な動作」と「変化の結果」の意味を理解する認知メカニズムは、以下のように説明できます: 1. スキーマ形成: 日常生活での繰り返しの経験から、「動作主の行為」→「対象の変化」というスキーマ(概念的枠組み)が形成されます。このスキーマは、他動詞文の基本的な意味構造と一致します。 2. イメージスキーマの活用: 「力の伝達」や「経路」などのイメージスキーマを用いて、動作主から対象へのエネルギーの流れを概念化します。これにより、「意図的な動作」と「変化の結果」の関係性を理解します。 3. プロトタイプ効果: 参考資料の(6)にあるように、他動詞文のプロトタイプは「動作主体が意図的に自らのエネルギーを対象に及ぼし、その結果、対象が位置あるいは状態の変化を被ること」です。言語使用者はこのプロトタイプを基準に、他の他動詞文を理解します。 4. 類推的思考: プロトタイプ的な他動詞文(例:「He broke the window」)から、より抽象的な他動詞文(例:「He understood the concept」)へと類推を行い、意味を理解します。 5. 身体化された認知: 自身の身体経験(物を動かす、変化させるなど)を基盤として、他動詞文の意味を理解します。 これらのメカニズムは、以下のような日常生活の認知的経験から形成されていると考えられます: 1. 物理的操作の経験: 物を持ち上げる、押す、引くなどの経験から、力の伝達と結果の変化を直接的に体験します。 2. 因果関係の観察: 行為とその結果の関係を繰り返し観察することで、因果関係の概念を形成します。 3. 社会的相互作用: 他者の行動が自分や周囲に影響を与える経験から、行為と変化の関係を学びます。 4. 言語使用の経験: 他動詞文を使用し、その効果を観察する経験を通じて、文法形式と意味の関係を学習します。 5. 抽象的思考の発達: 具体的な物理的経験から、より抽象的な概念(例:感情、思考)への他動性の拡張を経験します。 これらの日常的な認知経験が蓄積され、他動詞文の理解に関する認知メカニズムを形成していくと考えられます。
Claude 3.5. Sonnet,2024.9.9 なるほどね、物理→因果→社会とつみあがったものに、言語的な体験とか、さらには抽象度の高い領域も比喩的に物理現象で説明したりするから、それって形成しつつ、でも、たんに受領だけでなく、世界の見方も規定していてそれが、矛盾ないから、さらに強化みたいな感じなのかもね。
質問3: なぜ言語使用者は「The train approached me」という文を「I was approached by the train」と同様に受け身で言い換えることを避けるのでしょうか?この選好は認知的な事態把握としてどのように説明できますか? 回答: 言語使用者が「The train approached me」を「I was approached by the train」と受け身で言い換えることを避ける傾向は、以下のような認知的な事態把握に基づいていると説明できます: 1. 他動性の度合い: 参考資料の第5節で説明されているように、他動性は文全体が表す意味の問題です。「approach」という動詞は、対象(この場合「me」)に明確な変化や影響を与えないため、他動性が低いと認識されます。受動態は通常、他動性が高い事態に対して使用されるため、この文脈では不自然に感じられます。 2. エネルギーの流れと影響の認識: 列車が接近するという事態では、主体(「me」)が直接的な影響や変化を受けているとは認識されにくいです。参考資料の例(10d)と(12b)の比較で示されているように、列車の接近は通常、人間に対して特別な影響を与えないと捉えられます。 3. 事態の自然な把握: 列車の接近は、列車自体の動きとして自然に把握されます。受動態を用いると、人間(「I」)を中心に事態を再構成することになり、事態の自然な把握から逸脱してしまいます。 4. 意図性の欠如: 列車は意図を持って接近するわけではありません。受動態は多くの場合、意図的な行為に対して使用されるため、この文脈では適切でないと感じられます。 5. 主観性と客観性: 「The train approached me」は事態をより客観的に描写しています。一方、受動態「I was approached by the train」は主体(「I」)の視点から事態を再構成しており、より主観的な表現になります。多くの場合、言語使用者は客観的な描写を好む傾向があります。 6. 認知的な際立ち(cognitive salience): この事態において、列車の動きが最も際立っている要素です。受動態を使用すると、認知的に際立っていない要素(「I」)を文の主語位置に置くことになり、認知的な不自然さを生じさせます。 7. 事態の典型性: 列車が人に接近するという事態は、日常生活において典型的な経験です。典型的な事態は、通常、能動態で表現されることが多く、それが言語使用の慣習となっています。 これらの要因が複合的に作用し、言語使用者は「The train approached me」という能動態の表現を選好し、受動態での言い換えを避ける傾向があると考えられます。この選好は、事態を自然かつ効率的に把握し、表現しようとする人間の認知的傾向を反映しています。
Claude 3.5. Sonnet,2024.9.9 認知的な際立ちとか、事態の典型性なんかは、この認知言語学のテキストがないと思いもよらないことだな、そういいう意味で、よくコンテキストが読めているなあと思った。
感想 今回はgpt-4oで作った質問に対して、Claude 3.5 Sonnetで答えてもらうという組み合わせをとってみた。たまたまなのかもしれないが、いい問いと、期待を裏切らない回答であった。
勝者:双方とも勝利者