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最近思うこと

毎日決められた時間に出社して
毎月一定額以上のお給料をいただく。
正社員として働いていた頃は
会社という後ろ盾さえあれば
何も問題ないと思っていたし
それが当たり前すぎて
何の違和感も感じていなかった。



それが今はどうだろうか。
何の後ろ盾もなく、どこにも
寄りかからない生活を送っている。
けれど、そんな生活に対する違和感も
なぜか感じていない。
この数年で価値観が180度変わってしまった。



確かに
何かに寄りかかっていたあの頃は
やっぱり安心感もあったし
大きな失敗をしたとしても
上司が守ってくれた。
会社が守ってくれた。



じゃあ何にも寄りかからなくなった今は?



大きな失敗はそのまま自分に返ってくるし
誰にも守ってもらえない。
そこに執着はないけれど、とはいえ
一種の「怖さ」は常につきまとってくる。


その「怖さ」というのは
時間の経過と共に慣れていくものだとは思うけれど
それに即座に対応できるほど、私は人間デキていない。



        ☆☆☆☆☆☆☆
     

      これからの時代のキーワード
    「知性・コミュニケーション・個人」



上記キーワードの「個人」でいえば
”しゃなえ”個人として
noteに記事を投稿する事に抵抗はないけれど
自分のYoutubeチャンネルへの投稿は未だに怖い。


例えば
スキルやセンスが伴っていないために
何度も撮り直したり編集にも手こずったりして
やっと動画をアップしたとする。
けれど、その動画への反応は
オブラートには包まれていない。
視聴回数0というその事実を
ただただ突きつけられるだけ。


数年前、会社に寄りかかっていた頃だったら
その事実を知っても、私は組織の一部~
みたいな意識が働いて、スルーできていた気がする。


それが一転。
組織から離脱し、どこにも寄りかからなくなった今。
数字たちは土足でズカズカやってくる。
それを目にして、落ち込んだ事も正直あった。
なんで会社を辞めちゃったんだろうとか
どうして今自分はこういう生活を選んだんだろうとか。


でも結局は全て自分が決めているのだ。


会社を辞めた事も
今こういうスタイルで生活している事も
この大変革の時代を選んで生まれてきた事さえも。


そう思ったら、もう前に進むしかない。
自分が決めて歩んできた道を、他の誰でもなく
自分が一番に受け入れてあげなくては。
どんなに過去をうらやんだって
戻る事もできないワケだし。



そういうわけで
まず私がする事は
この大変革の時代に、必死に生きている自分を
セルフムツゴロウさん化する事。
今までオブラードに包まれていたものが
今はむき出し且つダイレクトに自分の所に来ている。
それを受け止めてるのだから
これでもかっ!というぐらいに自分を
ヨシヨシしてあげたっていいではないか。



そして
この時代を共に乗り越える同志たちと
noteをはじめ、様々なSNSで出会えた
そのご縁に感謝する事。



最後に
自分の根っこにある思いを
数字や情報に左右されずに
前を向いて堂々と表現していく事。
これに尽きる。






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