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続:「生身」の人に会う


生身の人間に会う

この命題について引き続き考えている。

生身:生きている身体

やっぱり生存確認か。
生きていたら体温がある。
生きているものにしか体温がない。
死んでいるものは体温がない。
それは冷たい機械と一緒だから、パソコンやスマートフォンの液晶越しに会えても機械だから、体温ないから。
機械だから、無機質だから、それは人じゃないから、違う。違和感。

生きているものの発している熱量はすごい。
生きているものの体温って尊い、きっと。
自分より小さいものに対してそう思うもんね。
赤ちゃん、ちっちゃい子、犬とか猫とか。
すんっごいあったかいわけさ。生きてんだなぁって一番思う。
生きてる身体と接したいのか。

でも、もちろん誰でもいいわけじゃなくて、それはあなたがいいわけで、あなただから意味があって価値があって、あなたのことは左にスワイプなんてしないわ


友達が「気に入らなかったら切ればいい」って言っていて恐ろしくなった。
「縁を切る」ってことでしょ?
なんというか、機械に侵された思考のような。
LINE、Twitter、Instagram、繋がってもブロック削除で簡単に繋がったものを切ることが出来てしまう。
そんな軽薄なつながりでいいのか?
「切っても切れない」とかそういう言葉、あるじゃん。
「人と人のつながり」私は大事だし好きなんだけど。そんなに簡単切られたら困るんだけど。
神社とかいつも55円入れて(いいご縁がありますように)ってするよ?
機械じゃなくてやっぱり心のつながりの方が大事だし。
機械を通して会えても、通話が終わった後のブチッて切れる感じとか、通話マークでメッセージが切れてしまっているのとか、結構くる。
無機質だなぁって。


後半なんかまた違う話になってしまった。
また気づきがあったり、ゆらいだり、そんな感じのことがあったら載せます。


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