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男の不妊治療「プロジェクト五十六」~56歳で双子の父へ

皆さんは、山本五十六をご存知でしょうか?

そうです、大日本帝国海軍の第26、27代連合艦隊司令長官です。戦死時の階級は海軍大将で、死後、元師に特進しました。明朗な性格で、部下や同僚から非常に高い信頼を寄せられた人物でした。山本元師は当時の欧米事情にも詳しく、日独伊三国軍事同盟や日米開戦に最後まで反対していました。
航空機戦力に早く着目し海軍航空隊設立に尽力し、旧日本海軍軍人の中でも傑出した名将としての評価は今日でも高く、海外においても広く賞賛されています。

私は、新潟県の出身ですので、現在の新潟県長岡市出身の山本五十六元帥は、郷土が生んだ歴史に名を刻む人物です。さらに、以下の名言を残しており、会社のマネジメントで行き詰まった時など、座右の銘として思い出しています。彼の名言はクリアファイルに印刷されてネットで販売されたりしています↓↓↓

山本五十六語録

それにしても、「五十六(いそろく)」というのは、少し変わった名前ですよね。

実は、当時の父親の年齢から命名されたそうです。母親も45歳での高齢出産だったそうです。

冒頭でなぜこんな話をしているかと言えば、私が現在56歳で子供を一人もうけたいと努力しており、この山本五十六元帥のお父様の偉大な(?)記録に並び、56歳で父親になれる可能性が高まってきたからです。

初めに少し自己紹介させていただきます。

現在の私は再婚です。妻は1985年生まれで今年の11月で36歳になります。

最初の結婚は1993年、27歳の時でした。当時の前妻は4歳年下でした。

結婚の翌年、第一子の長女を授かりました。その2年後、長男が誕生します。

長女が中学校3年の時に中国・上海へ単身赴任します。2009年の11月です。

細かい事情は省きますが、この中国駐在の間に最初の妻と離婚しました。もちろん、二人の子供は大学卒業まで経済的な責任を全うしました。

現在の妻となる中国人女性と出会ったのは上海です。出勤前、朝食をとるレストランで運命的な出会いを果たしたのです。それから私が上海から北京へ異動するなど紆余曲折がありましたが、結果的にゴールインすることになりました。

私たちは2019年5月に彼女の戸籍のある中国江蘇省南通市で結婚しました。中国では、赤い表紙の「結婚証明書」が発行されます。もちろん、その後、北京の日本国大使館を通じて日本でも入籍の手続きを行いました。

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さて、前置きが長くなりましたが、2019年夏頃から子作り作戦がスタートしました。別名、「プロジェクト五十六(いそろく)」です。最初は排卵日を予測して夫婦生活を営むタイミング療法からスタートしましたが、1年経っても結果は出ませんでした。この時、私は55歳、妻は34歳でした。どちらももう若くありません。そこで二人で相談し、本格的な不妊治療に踏み切ることにしたのです。2020年8月のことです。

私たちが選んだのは北京大学第三医院でした。

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この病院は、地元の人々からは「北医三院」と呼ばれており、不妊治療では中国トップクラスの実績を持つ大病院です。

中国で最初の体外受精に成功したのも、この病院です。

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「北医三院」には、「生殖医学中心」(中心とはセンターという意味)という独立した組織があり、不妊治療専用の病棟があります。下の写真がそれですが、隣には牛丼チェーンの吉野家があり、通院時にはよくお世話になっていました。

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私自身は、前妻との間に既に二人の子供がいましたので、自分の身体には何の問題はない、妊娠できないのは妻の方に何らかの原因があると人ごとのように考えていました。

ところが、この時に実施した精液検査で、私の方に重大な問題があることを発見したのです。

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日本の病院はどうか知りませんが、「北医三院」では検査結果をスマートフォンで閲覧することができます。これは、そのスクリーンショットですが、赤い下線を引いた部分の「精子活率(運動している精子の比率)」が15%という大変低い数字だったのです。つまり、85%の精子はほとんど動きが認められないというショッキングな事実でした。この項目の基準値が60%以上ですので、これは極めて深刻な状況であるというのが、後日の医師の説明でもございました。このnoteのタイトルに使った私の「おたまじゃくし」は、ほぼ瀕死の状態と言っても大袈裟ではありませんでした。

ところが、それから1年後、妻は妊娠しました。

つまり、私の精子の質が飛躍的に向上したということです。

このノートは、私自身の「男の不妊治療」の記録です。どうやって自らの精子の質を改善できたのか?つまり、「瀕死のおたまじゃくし達はなぜ復活できたのか?」という点を家族史という観点で記録に残しておきたいと思ったのです。コロナ禍において中国・北京で不妊治療に取り組む姿をユーモアを交えて書き残しておきたかったのです。振り返れば、先行きが不透明で不安な中でも、ほっこりと心が慰められるシーンも決して少なくはありませんでした。

以下、目次をご紹介します。

Chapter1 人生最初の精液検査

Chapter2 「北大三院」医師の指導内容と私の実践

Chapter3 人工授精にチャレンジ(3回失敗!)

Chapter 4 第2回精液検査

Chapter 5 体外受精に向けた卵子・精子採取

Chapter 6 第1回体外受精(痛恨の失敗!)

Chapter 7 第2回体外受精(ついに妊娠!!)

Chapter 8 振り返りとまとめ

ちなみに、健康診断の結果、妻の身体には不妊につながる直接的な問題はありませんでした。これまで、女性の視点で書かれた不妊治療の記録や情報はたくさん存在すると思います。このノートでは、精子に問題のある男性がどうやって治療し、克服したかが主題になっています。

あえてnoteで公開のするのは、同じ悩みを持たれた方にも、何らかの参考になればと思ったからです。また、なぜ有料にするのか、という点は、かなりプライバシーを伴う情報をお出しするため、興味本位で見てほしくない、真剣にこの種の情報を探している方だけに読んでほしい、という思いがあるからです。

関連する写真やデータも出し惜しみせずに豊富に使いました。コロナ禍における海外(特に共産主義圏)での不妊治療、体外受精という経験は、日本人では本当に稀少だと思います。真剣に夫婦で不妊治療を行っている方、ご主人がご自身の検査に消極的な方、また不妊治療で中国トップの「北医三院生殖医療センター」の様子や知見を知りたい方などにお勧めします。


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