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2002 奴隷の寓話

■2002.05 奴隷の寓話

 これは大塚英志の『江藤淳と少女フェミニズム的戦後』筑摩書房 2001年 の「第一章 サブカルチャー文学論・江藤淳編」を読んで書いた寓話です。細部は違うのですが、江藤淳の母親と妻との関係をこんな感じかなと思って書いた文章です。

 AとBの家族のお話です。
 AはBと結婚しました。AはBと子どもを支配する権利を持っていました。
 AはBに子どもを生ませます。そうして生まれたのがaでした。
 aはBに育てられます。aはBがいちばん好きでした。が、BはAのものですから、永遠にaのものにはなりません。それに、aはAからこう言われていました。
 おまえはBをあきらめなければ立派なAにはなれない。あれは劣ったものだからな。
 aはBをあきらめるために、bと結婚しました。
 aはbを愛し、支配します。かつてのAと同じように。が、aがほんとうに愛していたのはBでした。
 aはbに完全なBであることを要求します。
 bに依存することをaは認めることができません。aはBをあきらめなければ立派なAになれないからです。
 aはbのことをこう思います。
 自分がbを愛しながらも苛立つのは、bが完全なBではないからだ、と。
 aはbのことを愛していますが、永遠にbに充たされることはありません。
 永遠に充たされなければ、永遠に求めつづけることができるのですが……

 bはaを愛していましたが、同時にaの要求に疲れていました。
 どんなに頑張ってもbがBになることはできません。
 Bはaの心のなかだけに存在するものです。ほんとうのBは、aが思うような完璧な人間ではないかもしれないのです。
 bが家を出ていきたくても、それは叶わない願いでした。
 bはaに依存しなければ生きていけないのです。

 aはBを愛していました。
 しかしaはBを「劣ったもの」として押しとどめているのが自分であることに気づいていました。
 aはBを「劣ったもの」にはしたくなかったのですが、aは「A」となることで、Bを裏切ったのです。
 だからaはBが「劣ったもの」にならない方法を探し求めました。
 かつて救えなかったBのために。

 社会はAによって動かされています。AとBは平等であることを謳いながらも、BはAよりも「劣ったもの」であるという考えを捨てようとはしませんでした。
 Bたちは自分の母親の苦労を知っています。Aに完全に「劣ったもの」とされていたBのことを。
 BはAと「同じ」であることを社会に訴えています。
 aはかつて救えなかったBのために、Bたちの主張を支持しました。

 が、aはbの「A」となった時点で矛盾を内包していたのです。
 aはBに「劣ったもの」ではなくなってほしかったのですが、aがBの人生を取り戻すことはできません。
 そしてそれは、かつて愛したBを自分で崩壊させることでもあるのです。
 Bが「A」と「同じ」になるためには、BはBであってはならないからです。
 社会にはだんだん「A」になりたいBが増えてきていました。
 「A」になりたいBは、自分の子どもであるbにこう言い聞かせました。
 「B」にならないように、「A」のようになりなさい。

 「A」になりたいbは、aが愛したBのようにはなれません。
 aは身代わりのbに「A」と「同じ」ようになってほしいと願いながらも、bが完全なBではないことに失望しています。
 その結果、aはbを愛しながらも拒絶することで、bを崩壊させていくのです。
 bはaと同じ罪を背負っているのですから。
 Bの子どもであるがゆえに、Bの可能性を殺したという罪を。

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