2024 愛のもうひとつの名前3

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 私たちをあやす箱のなかでは、たくさんの罪悪が垂れ流されている。
 父が引きこもりの息子を殺したニュースを観ながら、ドラマで黒焦げの死体を解剖する監察医の手さばきを観ながら、私たちは食事をしている。
 飴色の陽光が落ちる午後、温泉宿の露天風呂で人が血を流して倒れている映像を見る。色あせたドラマの再放送、いくらでもある過去の映像のなかで、彼らは執拗に他人の暴力と死を刷り込んでいく。
 まるで私たちの日常が罪で溢れているかのように。
 箱の外にいる人々はぽかりと日だまりのように明るく、過去を失った老人のように呆けていて、私はそんな彼らの襟元にどんな罪が隠されているか探しきれずに茫然としている。
 私の目に映らないだけで、彼らの耳の奥にはたくさんの罪悪が渦巻いているのだろうか。
 私の額にも罪悪の灰が付けられているのだろうか。

 私の命を繋ぐ、たくさんの殺された私の上に、私たちは生きている。
 自分が生きるためにたくさんの私を殺してきた。だからいつか私は誰かの命を繋ぐためにこの世界を去っていくだろう。
 それが当然の理だと思っていた。
 星が死ぬのだから私もいつか死ぬのだ。
 私は若いと褒められる歳になった。ほんとうに年若い者にとって、若いとは褒め言葉ではなく、幼いと同義だ。
 若くなくなった私は誰かに命を託せなかった。
 ひとつの葉が他の葉を育てて枯れていく、その円環に加わることができなかった。
 だから私は言葉だけを残していこうと思う。文明の境目に生まれた使命を果たすために。

 人生に地味に苦しんだ。人を失うことに深く傷ついた。
 人が数日、数ヶ月で立ち直ることに、三十五年も苦しんだ。深く感じるのがよかったのか、今の私にはわからない。
 私は自分よりも大切な人を失ってみたかった。自分の半分をえぐり取られたまま歩き続ける、その痛みの減衰を味わってみたかった。

 私の運命が戸口で倒れて死んだとき、私は私でないもので世界が作られていることに初めて気づいた。
 私の運命が動かなくなったのに、私は生きている。
 私は外側にある、私ではないものに心を奪われ、支配されるようになった。
 私ではないものに心の中心を置き、振り回される。
 いつかそれが私と同一になる、その日を夢見て、私は私ではないものの周辺をくるくると回り始めた。
 あなたが私と同じでない、私の思い通りにならないと苛立ちながら。

 私は常に振り回される人生を送ってきた。
 私ではないものに注目し、歓心を買い、いつかあなたが私になることを夢見て。
 しかしあなたはあなたでしかなく、幾度も重なりそうになる瞬間に胸を躍らせながら、私はあなたに裏切られ続けた。
 当時はあなたにそれを強要したのが私だと気づかなかった。
 あなたがあなたであるためには、私とは違っていなければならない。
 あなたと私がほんとうにひとつになってしまったら、あなたは世界に溶解して消えてしまう。
 私は私ではないものに恋をした。あなたが私と似ていると思ったからだ。
 私の引きちぎられた半身に形がうまく収まると思ったからだ。
 私はすべてが私であったころの記憶を思い出すことができない。
 失われた故郷に帰る方法はもう忘れてしまった。途切れた空白に、私はぼんやりと途方に暮れる。
 

 
 

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