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60/100 骨のうた

文字書きさんに100のお題 098:墓碑銘

骨のうた

 わたしの母の話をしよう。
 わたしはほんとうの母を知らない。わたしの同胞は、生まれ落ちるといとけない姿を風に晒してひとりで育つ。が、わたしはたまたま、骨の母が埋まっているところに生まれついた。わたしの同胞は、動くものに踏まれ、食われ、簡単に命を奪われてしまう。
 わたしは骨の母にいろいろな話を聞いた。
 わたしのほんとうの母のことや、骨の母が風だったころの話を聞いた。
 骨の母は動くものであった。動くものが朽ちて動かぬものになった。骨の母はたくさんの同胞とともにあったが、同胞は土に埋まり、雨に流されて、とうとうこの身だけが残ってしまったのだという。
 動くものであったころの骨の母は心を守っていた。心というのは、風の行き先を決めるところのことであるらしい。

 わたしは骨の母の歌を聞いて育った。
 風が吹くと、骨の母は身の隙間から細い声で歌を歌った。わたしは母の歌を聞くと安らかになったけれど、骨の母は歌うのが好きではなかった。それは歌ではなく、この身が鳴っているだけだと母は言った。
 動くものだったころ、風をきって走るその響きこそが私の歌だった、と母は言う。そして、もういちどこの身で歌を歌いたい、と。
 風に歌わされるのではなく。

 骨の母はわたしを守ってくれた。母は光をやわらげ、風を防ぎ、雨の雫が優しく落ちるようにしてくれた。それでも骨の母は悲しんでいた。わたしには空が半分しかない。自分の身がわたしから空の半分を奪ってしまうのだといって。
 骨の母は、わたしから光の半分を奪うことがわたしをひ弱にしてしまわないか、心配でならないのだった。

 骨の母は、この身がわたしの檻と化していると言った。わたしに覆い被さる骨の一本一本を砕いて、光が通るようになればいいのに、と。檻とは骨の母が閉じ込められていたところのことだ。動くものが風にならないようにするのだという。
 わたしは動くものではないから、ときどき風になってみたいと思うことがある。しかし、動くものが風になりたくないと思うこともあるのだろうか。わたしの呟きを聞いた骨の母は笑った。そこは自分で入るところじゃないんだよ。動くものがほかの風を捕らえるために作ったものなんだ。私も好きでそこに入ったわけじゃない。敵に閉じ込められたのさ。
 骨の母は敵と戦わなければならなかった。だから敵の檻に入れられたのだという。骨の母は檻から逃げ出した。そして敵に殺されて動かぬものになった。
 動くものの話は難しい。動くものはときどきほかの風とぶつかってしまうのだろう。敵の話をするときの骨の母は、激しい風のように荒ぶり、わたしをふるえさせてしまう。

 骨の母はふるさとへ帰りたいという。母が生まれたところのことだ。動くものの心はわからない。わたしが、生まれたところからずっと動かなければいいのにと言うと、母は、風は動かないわけにはいかないのだと言う。
 風は動かなければ生きていけないから。

 わたしの身は大きくなり、骨の母のなかからはみ出るほどになった。このままでは母の身を砕いてしまう。わたしはこれ以上大きくなりたくなかった。それでも、わたしにはどうすることもできなかった。
 骨の母の隙間からわたしは身を投げ出した。骨の母の外で大きくなれば、骨の母を殺すこともないだろう。骨の母の外側は、わたしに優しくしてはくれなかった。身を灼く光と、冷たい風。わたしは光を避ける雲を待ち、避けられない雨と風に打たれた。
 わたしはますます成長していった。骨の母はキシキシと身を軋ませながら、大きくなろうとするわたしの身に耐えていた。わたしは骨の母の苦しみが悲しくてならなかった。もう光も水もいらないのに、わたしはこの身を止めることができない。
 わたしの身がとうとう母を傷つけてしまった。骨の母には細かいひびが入り、母の身がわたしをぎゅうぎゅうと締めつける。骨の母はわたしの痛みに悲鳴をあげた。私を殺しなさい。私の身を突き破り、光のなかで生きなさい!
 骨の母を殺すなんてわたしにはできない。でもこの身が、骨の母に押し潰されてふるえるわたしのこの身が、わたしに逆らって外へ出ようとする!
 骨がはじける音がした。わたしが骨の母を砕いてしまった。一本の骨が土に落ち、その隙間から激しい光が射し込んでくる。
 もうやめて。わたしは身を縮めた。この身を貫く痛みよりも、母の折れた骨の痛みが、わたしの心をふるえさせる。骨の母は痛みをこらえながらわたしに笑いかけた。おまえをこんなに大きく育てたことが、私は嬉しくてならないのだよ。この痛みこそが私の歌。私の骨の一本一本が折れていくこの響きこそが、私の歌いたかった歌なんだ。
 だからもうそんなに身を縮めておまえを痛めつけなくてもいいんだよ。
 風の悲鳴のような音が響いた。骨の母の身がはじけて、わたしを締めつけていた痛みが引いていった。わたしの身は伸び上がり、骨の母を粉々に砕いて、眩しい光と冷たい風のなかに広がっている。
 何て気持ちいい空。骨の母はまだ引き裂かれた痛みに苦しんでいるのに、わたしには、思うさま身を広げた心地よさがいっぱいに広がっていく。
 骨の母は痛みに呻きながら、わたしに笑いかけた。
 空の半分をおまえに返したよ。
 白い粉を風に舞わせて、骨の母は崩れ落ち、消えていった。

 これでわたしの母の話は終わり。
 骨の母はふるさとへ帰れなかった。が、もっと遠いふるさとがあることをわたしに教えてくれた。
 わたしもいずれ帰るふるさと。生きるものすべてが生まれるところへ、母は帰っていったのだ。

 わたしは同胞とともに空へそびえ立つ動かぬものになった。
 わたしの身で風は歌を歌い、動くものは子供を育てる。
 そしてわたしの子が身に宿ると、動くものはわたしの子を遠くまで運んでいってくれた。
 わたしは子を育てられないけれど、どこかで誰かがわたしの子を育ててくれるだろう。
 すべての母なるものが、母となる子のために。

 風が吹く夜は、母の歌を想う。わたしの身を鳴らす風が、骨の母を鳴らしたことを思う。
 骨の母が悲しんだ歌、それは、わたしを育ててくれた子守り歌だった。
 もうわたしが骨の母の歌を聞くことはない。

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