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2020 桜の上で会いましょう

 前作の雑文『Undercurrent』に私がわざとぼかして書いた部分がある。
 当時の匿名掲示板のログを見つけたので、懐かしくなって雑文の続きを書いた。

 2003 年の一月から三月にかけて、BL 小説サイト(当時はオリJUNE サイトと呼んでいた)を震撼させる事件が起こった。提言騒動である。
 提言騒動とは、似た設定のBL 小説を書いたふたりの作家の関係がこじれ、その相互サイトの面々が集団で「後発」のパクりとされた作品をネット上から下ろそうとした事件である。
 そのさい、提言サイトのメンバーはネット上のマナーとして、「先発の作品に類似した作品を後発の人間が書いたら、後発の人間が先発を尊重して小説をサイトから下ろす」ことを提言していた。

追記:
提言サイトの公式な「提言」はこのようなものでした。

オリジナルジュネ小説サイトの作品同士について、その内容が多くの第三者の指摘を受けるほど重複した場合、作品を後からサイトに掲載した方(以下後発)が、先に公開されている作品(以下先発)の作者に敬意を表し、その意向に従って問題解決にあたる


 「後発」の人間(A さん)は「先発」(B さん)の作品だけではなく、相互サイト(Cさん~Eさん)の三つの小説もパクっていると告発されていた。が、提言サイトに作品の検証はなく、A ~E の作品もどこのサイトの話かも明らかにはされていなかった。

 オリJUNE 作家が集う匿名掲示板の各所では、A さんへの非難や不透明な提言サイトへの疑問の声が渦巻いていた。
 私も提言が出たとき、第三者の意見を必死で探し、とある匿名掲示板に辿り着いた。
 匿名掲示板で、私は提言の話を愚痴った。匿名掲示板なので、当時の私はコテハン(固定ハンドルネーム)ではなかった。

 私の書き込み。

私もAサイトがどこまでパクリなのか気になる。
そもそも一般に向けて提言というのがあるのに、
一方的な事情の説明と賛同のメルアドが一個だけ
ほかのサイトのリンクも意見を言えるフォームも
まったくないというのは失礼な感じがした。
掲示板がつけられないならフォームでもいいんだよ。
Aに対してあれだけ強硬(と私は思うが)な提言をするなら、
Aサイトがひどいパクリをしたとはっきり言わなければ
事情を知らない人間には納得できないよ。

 すると、掲示板に「わたしは全て(5作品)を読んでいます。」という書き込みが現れた。のちに「道案内」と名乗る方の書き込みである。
 そして、匿名掲示板で作品を検証しようとする動きが始まった。道案内さんのヒントをもとに、A ~E の五作品を検証したのである。
 作品を探す人は複数いたが、私が一番早く作品の検証を出した。道案内さんから「ファイナルアンサーさん」と特定されたのもそのときである。

当時の私の書き込み。

全部読んだ感想はだいたい前に出たことと同じです。
グレーではあるけど、確実に黒とも言いきれない。
一番疑わしいのは発端のAとBの小説で
Aをパクリと思った人が、C~Eの小説に過剰反応したように見えます。
AとC~Eだけを独立して見れば、パクリと反応したかどうか
わからないと思います。
AとBは同じ平安の時代設定、名前と官職、決めの台詞など
重複した部分が多々あったので、
剽窃と騒がれても仕方ない部分はあると思いますが、
私がAを完全に黒だと思えない理由は、
AとBの文章が確実に違う人の文章であるように見えたからです。
これは私の印象で、別の方にはそうは見えないかもしれません。
私が今まで見た剽窃の検証サイトでは、
パクリ元の文章をパッチワークのようにつないで
小説を作っているという作品が主でした。
パクリ元の文章に別の文章が混じっている状態なので、
検証してもそれがパクリだとわかりやすいのです。
AとBで文章や表現が重複している部分もありましたが、
Aの文章のなかにBの文章が混在している
というほどではありませんでした。
今回は文章の重複というよりは、
設定や文章の構造、キャラクターなど、
パクってもそれが剽窃であるとはわかりにくく、
しかもパクリ元もありふれた設定であることが多かったので、
結局はなんとも言えないな、と思ってしまったのです。

 私は当時A ~E のサイトの作品を読んだことはなく、サイト間のしがらみもなかったので、これは完全に第三者としての意見だった。
 道案内さんには「まったく同じ意見です」と言われた。A とB の作品を連載当初から読んでいて、設定の被りはあるものの、それは歴史ものとしてありふれた事象を使った結果であり、「別の作品として成立している」とのことだった。

当時の道案内さんの書き込み。

ネットはモニターにむかっている時は人と繋がっているような気がするけど
ふりむけばいつも独りです。
あの同盟を見た時、私は本当に怖かった。
集団に取り囲まれて、無理強いされているような恐怖を感じました。

それを受けた私の書き込み。

私が一番怖かったのは、あの同盟の提言がスタンダードなものになって
あるグループに入っていないサイト(私がそうです)や後から入ってくる書き手さんが萎縮することでした。
モニターの前には自分ひとりしかいませんが、自分が誠実に接していれば
モニターの向こう側に伝わっていると思いますよ。ちょっときれいごとですが。

 道案内さんは、「ファイナルアンサーさんに道案内できなくなるのが、なんだか寂しい(w 私のサイトにも来てください (どこだよ、それ?)」という書き込みをしていた。それを受けて私は、「道案内様、どこかですれ違ったらまたよろしく(w 桜の上でお待ちしています」と書き込んだ。
 匿名掲示板上での匿名の馴れ合いである。

 検証が終わったあと、私と道案内さんの書き込みに対する反論は見られず、事態はすこし落ち着いたように見えた。
 が、その後も提言サイトへの賛同者が増え続け、提言をもとに他の小説サイトの作品を削除しようとする人々が続々と現れた。

 その被害者の救出と、提言の検証など、外部の人たちが次々に提言に対抗するサイトを立ち上げた。
 私も提言を解決するためのサイトのひとつを運営した。そのとき私は当時のコテハンだったファイナルアンサーを名乗ることはなく、自サイトのハンドルネームを使うこともなかった。当時も今もマイナーである自分のサイトをウォッチャーに晒す勇気はないからだ。
 私の書き込みを特定して、ふしぎな好意を抱いてくれた道案内さんに会うことは二度とないだろうと思っていたが、私は道案内さんに「あなたはひとりではないんだよ」とパソコンの向こうで言いたかった。

 三月に入って、反提言サイトの有志が「手打ち案」を出し、いろいろな紆余曲折のなかで、提言騒動は収束した。
 私も提言騒動が一応解決したことで、反提言サイトのひとつを持っていた自分の役目が終わったと感じていた。
 ある日、反提言サイトの方からメールが来た。その方は、私に別の反提言サイトの管理人さんのメッセージを携えていた。

 ところで、私は「道案内」です。
 気づいていらっしゃいましたか?

 その方が提言サイトの被害対策に尽力していることは、私も知っていた。ただ、私はその方が道案内さんだとは、まったく気づいていなかった。
 道案内さんは、私が反提言サイトを運営しはじめたころから、私がファイナルアンサーであることを悟っていた。大勢の人が関わった提言騒動のなかで、私がファイナルアンサーであると気づいたひとはひとりもいなかった。鋭い方だと思った。

 メールを受け取ったのは深夜だった。そのとき、私の脳裏には鮮やかに咲き誇る桜の映像が広がっていた。
 あんなに鮮やかな桜の映像を今後見ることはないだろう。


 その後も提言サイトの活動は続き、私と道案内さんは提言サイトの跡地の活動に関わっていった。

 提言サイトの跡地や反提言サイトもほとんどなくなり、今は「こういう事件があった」という概要しか残っていない。17 年前の事件だから、それでいいのだろう。

 私はその後、『水辺』という短編を書いた。それは直接提言騒動のことを書いた話ではなかったが、ネットの水辺を通してやりとりしたさまざまな人々の思いが、私のなかに残っていた。
 『水辺』の最後に書いたこの一節が、私の当時の実感だった。

 思いは、伝わってしまうものなのだ。
 冬木が撮りつづける空の写真は、画面のむこうがわにつながっている水辺を通して、顔も名前もしらない誰かに思いを伝えつづけるのだろう。

 道案内さんとは現在連絡を取れないが、どこかで元気に暮らしていればいいなと思う。またお会いすることがあれば、パソコンの向こうでお酒でも飲みましょう。

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