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2002 王の帰還

■2002.03 王の帰還

 私がこれを書いているあいだ、巷ではソルトレイクオリンピックが開催されていた。
 過剰な期待をかけては選手を潰すマスコミの報道が嫌いで、最近はほとんどオリンピックを観なくなってしまった。選手のクライマックスだけに立ち会う観衆であること、金メダルを期待するマスコミの報道に加担することで、自分が無邪気な王様になったような気分になるからだ。実際にはなにもしない、無邪気で残酷な王様に。
 マスコミの報道に選手への尊敬の念が感じられれば、自分がこんな居心地の悪さを感じることはないだろう。そういう報道関係者もいらっしゃると思うので、そういう方には暴言でごめんと謝っておきたい。
 そんなことを考えてうだうだと文章をひねくっていたのだが、書くのにずいぶん時間がかかってしまった。

キリマンジャロは、高さ一万九七一〇フィートの、雪におおわれた山で、アフリカ大陸の最高峰といわれている。西側の頂はマサイ語で“Ngage,Ngai”(神の家)と呼ばれている。この西側の頂上に近く、ひからびて凍りついた一頭の豹の死体が横たわっている。こんな高いところまで豹が何を求めてやってきたのか、誰も説明したものはいない。(キリマンジャロの雪 大久保康雄訳)

 TVでヘミングウェイの『キリマンジャロの雪』の話をしていたことがあった。番組はたしか「野生の王国」だったと思う。
 モノクロの記録映画のような映像のなかで、黒い影のような豹が岩場に横たわっていた。
 本当にキリマンジャロの山頂に豹がいたのかどうかはわからない。子どものころの記憶なのでさだかではない。
 『キリマンジャロの雪』の豹の死体は、『老人と海』の老人とどこか似ているような感じがする。
 崇高な狂気と、抗えない運命への哀しみ。そういえば最近『老人と海』のモデルとなったキューバの漁師が亡くなったという。

 アトランタオリンピックで田村亮子選手が銀メダルを獲ったときのインタビューが印象に残っている。
 田村選手は終始厳しい表情で、メダルへの喜びは微塵もないようだった。
 肯定されるのは勝者ひとり。こんなに厳しい世界がほかにあるだろうか。

 “He's nobody, I'm the champ! ”
 これは、モハメド・アリがライバルのジョー・フレイジャーにむけて言った言葉である。

 モハメド・アリ。本名カシアス・クレイ。もっとも有名なヘビー級チャンピオン、強烈なカリスマ性を放つボクサーである。
 1960年にローマオリンピックで金メダルを獲得してからプロへ転向したアリは、通算でヘビー級のタイトルを三度獲得している。レオン・スピンクスから三度目のタイトルを獲得したときは三十六才。通常ではタイトルマッチは無謀と思われるような年齢だった。
 最初にヘビー級のタイトルを獲得したあと、アリはベトナム戦争の兵役拒否によってチャンピオンの称号とライセンスを剥奪されている。1966年のことだ。二十五才から三年半、選手として絶頂の時期を空費したことになる。1970年に一度は引退を宣言するものの、一年後に復帰、そのときにジョー・フレイジャーにタイトルを奪われてしまう。ベルトは当時負けなしの剛腕、ジョージ・フォアマンの手に渡り、三年後、アリがフォアマンから奪い返す。この二度目のベルトの獲得劇「キンシャサの奇跡」は、後世に残る名試合と言われている。

 アリと同じヘビー級のチャンピオンでありながら、ジョー・フレイジャーとジョージ・フォアマンは、人々からは仮の王様としか見なされていなかった。アリが坐っていた空位の王座を埋める仮の王様。当時ふたりはついにアリの影から脱することができなかった。
 それは、アリと同時代に生きたボクサーの悲劇だった。

 “He's nobody, I'm the champ! ”の顛末。1974年の「キンシャサの奇跡」から八ヶ月後、アリがタイトルの防衛試合に臨んでいたときのことだ。
 試合前のアリの記者会見の席に、派手な格好をしたジョー・フレイジャーがふらりとあらわれる。毒舌をあびせるアリに、ジョーは「お前にトラブルが起きたらリングサイドで手を貸してやる」と嗤う。当時ジョーとアリの対戦は一勝一敗、三戦目を期待するマスコミにアリは言い放つ。

「奴のまわりから離れるがいい。いいかい、奴は何者でもないんだぜ。だが、俺は王者だ」
 決定的な一言だった。確かに、王者から見れば、すべての者が何者でもない。だが、たとえ彼が王者であるにしても、このような決定的な言葉を人に投げつけることが、果たして許されるものなのだろうか。
 “He's nobody, I'm the champ! ”
 アリがそう言った時、ジョーは深い傷を負った獣のように体をふっと硬くしたのが私にはわかった……。(『王の闇』P232)

 沢木耕太郎の『王の闇』の最終章「王であれ、道化であれ」からの引用である。
 『王の闇』は、ボクシングやマラソンなどのスポーツノンフィクションをまとめた本だ。
 この本の特徴は、スポーツマンの絶頂の「その後」の話を描いているということだ。

 「王であれ、道化であれ」は、沢木氏がアリVSスピンクス戦を観にニューオリンズに行くところから始まる。アリが三度目のベルトを獲得することになる、選手生活の最晩年の試合だった。
 ショーの余興に、ジョー・フレイジャーが呼ばれていた。ボクサーとしてではなく、歌手として。すでに引退していたジョーはクラブの歌手になっていた。
 沢木氏はジョーの心境を聞きにナイト・クラブを訪れる。薬をやり、濁った目をしたジョーは、インタビューの申し出を聞いてこう答える。ハウ・マッチ・ユウ・ペイ?
 現役のころのインタビュー料と同じ金額をふっかけられた沢木氏は、インタビューする価値はないと判断して席を立つ。
 沢木氏は在りし日のジョーの話を聞こうとしている。が、ジョーにとってそれは終わっていない現在の話だ。ジョーの歌を聞きながら、沢木氏はジョーの姿に常人では及びもつかない頽廃の翳を見る。「俺はいつか帰ってくる」と歌うジョーに、店の客は舞台にカムバックしているじゃないかとジョーをからかう。
 ジョーが背負っているのは、自分のボクシング人生を終えることのできない孤独だった。

 ビリヤードの玉がほかの玉をはじくように、ある記憶がべつの記憶につながることがある。『王の闇』のこのシーンを読んで、私は数年前に観たある映画を思いだしていた。

 「怒れる雄牛」ジェイク・ラモッタは、アリが活躍していた時代より二十年ほどまえのミドル級チャンピオンである。
 マーティン・スコセッシの映画『レイジング・ブル』では、ラモッタがチャンピオンに昇りつめてから、引退して売れないショーの役者に堕ちていくまでの半生が描かれている。

 このパラグラフには『レイジング・ブル』のネタバレがあります。
 ラモッタは、仲の悪い妻を叩きだして若いビッキーと結婚し、ミドル級のタイトルを獲得して人生の絶頂に昇りつめる。が、ビッキーに近寄る男たちに嫉妬したラモッタは、ビッキーに暴力をふるって愛想をつかされてしまう。そして、仲の良かった弟がビッキーに手を出したと勘違いして暴力をふるい、弟とも決別してしまう。引退してからはじめたバーも、最初は一つの大きな店だったが、どんどん小さくなって最後には身ひとつの流しの芸人になってしまう。でもラモッタは「自分が悪いわけじゃないのに」と頭を抱える。そんな話だ。

 私は『レイジング・ブル』を観て、「どうしてこんな映画をわざわざ作っているのだろう」と思った。
 人々は『ロッキー』のような話を望んでいるのであって、ロッキーがどう落ちぶれていくかという話までは望んでいないはずだ。
 あるいは、アリの「キンシャサの奇跡」のような、絶頂の瞬間を。

 「キンシャサの奇跡」は、『モハメド・アリ かげがえのない日々』という記録映画で観ることができる。
 ザイールのキンシャサでジョージ・フォアマンVSアリのヘビー級タイトルマッチが行われたのは、1974年のことであった。ジョー・フレイジャーに奪われたベルトは、当時絶頂にあったフォアマンの手にあった。フォアマンはアリと同じアメリカの黒人で、強烈な破壊力のあるパンチをもつボクサーだった。フォアマンの自伝『敗れざる者』の訳者である安部譲二氏は解説で、フォアマンの試合は3ラウンドまででノックアウトすることが多く、テレビ局はコマーシャルをする時間が足りずに困ったと書いている。通常の試合は1ラウンド三分で15ラウンド。フォアマンは当時全線全勝、最終ラウンドまで闘うことはほとんどなかったという。
 試合はフォアマンが圧倒的に優勢だと思われていた。ボクサーは一度ボクシングをやめると絶頂期の七割ほどしか力が戻らないという。三年半のブランクを経たアリが絶頂にあったフォアマンに勝つ可能性はほとんどないと思われていた。
 が、『モハメド・アリ かげがえのない日々』では、民衆のアリへの熱狂的な支持が描かれている。
 アリは黒人であることを理由にレストランに入店を拒否されたことで、オリンピックの金メダルをオハイオ河に投げ捨てたことがある。それがブラックムスリム(マルコムXで有名)に入信し、カシアス・クレイからモハメド・アリに改名する契機となった。白人社会から敵視されていたアリは、ベトナム戦争の兵役拒否によって白人の報復を一身に背負うことになる。
 「俺はベトコンに文句はないぜ!」と言いきったアリは、アメリカの黒人のみならず、第三世界の貧しい人々のヒーローとなった。その熱狂がキンシャサの奇跡の伏線になったことは間違いない。民衆は自分の勝利を宣言してはばからないアリを支持し、チャンピオンのフォアマンを応援する声はほとんどなかったという。
 試合がはじまると、フォアマンは一方的にアリを追いかけ、アリにパンチを浴びせた。アリはコーナーのロープ際に追いつめられ、フォアマンの強打を浴びつづける。が、急所にはひとつもヒットしなかった。
 アリはフォアマンのパンチを見きっていた。
 一方的な試合は第八ラウンドまでつづいた。コーナーに押し込まれたアリが身体をかわした瞬間、フォアマンの身体がコーナーへくるりと入れ替わる。アリは鋭いカウンターを一発フォアマンに叩き込む。この一発で、フォアマンはマットへ沈んでしまった。
 のちにアリのこの戦法は「ロープ・アンド・ドープ」と言われ、讚えられることになる。

 アリの勝利は、第三世界の貧しい人々の勝利を意味していた。
 が、対戦相手のフォアマンが、アリと同じアメリカの、アリよりも恵まれないスラムの黒人であったことはある種の皮肉である。
 アリよりも「黒い」黒人であるフォアマンに勝つことが「黒人の勝利」であると信じ、つねに自分の偉大さを主張してはばからないアリの精神構造は、一種のパラノイアに近いものであったろう。
 アリはつねに自分の強さを吹聴して相手を挑発し、「大口叩き」として観客に期待半分、嘲り半分の目を向けられていた。
 この過剰なまでに自分の勝利を信じる能力こそがアリの原動力であった。

 過剰なまでに自分を信じる能力。
 それはかぎりなく自分を高める原動力ともなるが、ベクトルを逆にすれば、際限なく堕ちていく闇の能力にもなりうる。
 『レイジング・ブル』のジェイク・ラモッタは、ジョー・フレイジャーに似たファイターであるが、私生活では、妻や弟に暴力をふるう粗暴な男として描かれている。美人の妻ビッキーが浮気するのではないかという妄想に悩み、すこしでもビッキーがほかの男性と喋っていようものなら、はげしく嫉妬して暴力をふるう。
 ビッキーはラモッタを愛していたが、ラモッタの暴力に耐えきれずにかれと別れることになる。ラモッタが「浮気したのか」とビッキーに迫るシーンがあるが、それはラモッタのなかですでに答えが出ている問いでしかない。ビッキーが「浮気をしていない」といっても、ラモッタは自分の思い込みから逃れることはできない。それは、ラモッタがリングで一直線に相手に向かっていくさまとまったく同じである。
 リングでのラモッタの激しい闘志が、実生活では家庭を破壊する暴力にもなりうる。スコセッシはその表裏一体の部分を描いている。

 『王の闇』を読んで『レイジング・ブル』を思い出したのは、映画を観たときの疑問の答えが『王の闇』にあったからだ。

 『王の闇』の「コホーネス<肝っ玉>」は、輪島功一の最後の試合をめぐる話である。
 沢木氏は、輪島選手の世界Jミドル級タイトルマッチの試合を観に行く。それは、四度目の王座獲得という「奇蹟」への挑戦であった。
 輪島が三度目にタイトルを獲得したときは三十二歳、ボクサーとしては「老年」といっていい年だった。試合後、沢木氏は輪島に引退を勧めにいくが、輪島は「チャンピオンのまま引退はしない」と断言する。
 四度目のタイトルマッチは惨憺たるものだった。輪島の足はほとんど動かず、脇で起こっている喧嘩のほうに観客の目がいくようなひどい試合だった。
 試合後「俺だからあそこまでやれた」と呟く輪島をあとに、沢木氏は暗い気持ちで控室を後にする。

 沢木氏は引退した輪島選手に酒の席で四度目の試合をいつ決めたかと聞く。輪島が試合を決めたのは、三度目のタイトルを獲得した直後、衰弱しきって入院していた病院のベッドでのことだった。
 輪島はそのとき、目と口しか動かない状態になっていた。死体のように横たわり点滴を受けていた四日目に、輪島は病院を退院しようと決意する。医者の制止をふりきってむりやりタクシーの寝台車で退院した輪島は、二十三日間寝たきりで過ごした。苦痛で身体が痺れて息ができなくなると、妻に全身をマッサージしてもらってようやく息ができるような状態だったという。それでも輪島は一度も「引退する」とは言わなかった。
 一ヶ月後にようやく立てるようになってから、輪島は奥さんにもう一度試合をするといった。奥さんは猛反対して輪島を止めた。それでも奥さんは輪島の執念に負けて、四度目の試合を許したのだ。
 輪島は、自分の悲惨な試合を「ハッピー・エンドさ……」といった。
 自分はああいう終わり方しか想像できなかった。メチャメチャ、ボロボロになるまでやりつづけ、堕ちるとこまで堕ちて、そしてやっとひとつのことをおえられる、と。
 沢木氏はようやく輪島がチャンピオンのまま引退せずに闘いつづけた真意を理解する。

 彼が恐れたのは惨めになることではなく、惨めにすらならず、闘うことなく格好よく「卒えて」しまうことだったからだ。
 この男は何と勇気のある男だ。私は腹の底からそう思った。この男には間違いなく「コホーネス」がある。コホーネスとは、ヘミングウェイが愛用したスペイン語で、男性器を意味するという。転じて肝っ玉あるいは勇気を意味するようになったともいう。だが、コホーネスのある男とは、ヘミングウェイのように自分の限界を守り、常に成功しつづける男のことではないだろう。コホーネスのある男とは、失敗しても、失敗しても、完膚なきまで打ちのめされるまで闘いつづける男のはずだ。
 輪島はコホーネスのある男だった、肝っ玉のある男だった……。(『王の闇』P146)

 輪島のこの「終わり方」は、場末の歌手となって「俺はいつか帰ってくる」と歌うジョー・フレイジャーの「終わり方」と対になっている。
 終わるために堕ち続ける者と、終われずに過去をひきずる者。
 『レイジング・ブル』を観たときに「なんでこんな映画を」と思いながらもそれに惹かれた理由もこの「終わり方」にあった。
 チャンピオンとなって引退することは華麗な終わり方ではあるが、輪島はそれを「いくじがないからだ」と嘲笑する。「闘えるだけ闘って、負けたら新しい者にベルトをくれてやったらいい」と。
 頂上へたどりつこうとする凄絶な意志は、頂上で迎える死をかえりみることなく、一心に頂点へのぼっていく。
 闘う者の狂気とキリマンジャロの頂上で死んでいた豹は、同じパワーに突き動かされていたのではないだろうか。

 私は何冊かの本と映画でかれらのことを知っているだけだ。が、ひとりだけテレビでリアルタイムで目撃した人物がいる。
 アトランタ・オリンピックの開会式で、最後の聖火ランナーを観たときのことだ。
 白い聖火ランナーの服をきたモハメド・アリが聖火をうけとったとき、ナレーターがああと溜息をついた。アリは現在パーキンソン病の治療を受けながら、公演や慈善活動を行っているという。テレビに映った顔は呆けたような無表情だった。そして、オハイオ河に捨てたオリンピックの金メダルのレプリカを授与されていた。

 このパラグラフには『キング・オブ・コメディ』のネタバレがあります。
 『キング・オブ・コメディ』というスコセッシの映画がある。主演は『レイジング・ブル』と同じロバート・デ・ニーロ。デ・ニーロのおたくな演技が冴えた映画なのだが、そんなに有名な作品ではない(と思う)。
 リチャード・パプキンは毎週観ていたトークショーの支配者を脅迫して自分をそのショーに出演させようとする。ストーカーが司会者になりかわってトークショーに出演するようなものだ。おたく魂がオーバーランしたリチャードの練習風景はなかなか痛い感じがする。リチャードは新進のタレントとして本当にトーク番組に出演することになる。
 タキシードを着てほくほくとステージにあがったリチャードは、自前の漫才を披露する。これはまあまあおかしいので、私は寒い終わり方じゃなくてよかったと思ったのだが、この話のラストは、リチャードのこの台詞で終わる。

どん底で終わるより、一夜の王でありたい。

 最後のこの台詞で、一般人のリチャードが番組を乗っ取ったおかしみや哀しみなどが浮かび上がってくる、そういう映画だった。

 「キンシャサの奇跡」によって敗北したジョージ・フォアマンは、引退してのち、キリスト教の伝道師となる。
 『敗れざる者』――ジョージ・フォアマンの自伝には、恵まれなかった少年時代の生い立ちから再びヘビー級の王者に返り咲くまでの話が描かれている。
 七人兄弟の五番目。父親は働かず、家を支えているのは母親だけという貧しい家庭で、フォアマンは飢えと闘いながら育つ。学校に行っても貧しい身なりのフォアマンは相手にされず、政府の貧民救済運動の職業部隊に入るまでは、フォアマンはスラム一の乱暴者として通っていた。
 フォアマンは職業部隊でボクシングを習い、1968年のメキシコ・オリンピックで金メダルを獲得する。リングで星条旗を振ったフォアマンは国の英雄と讚えられるが、ある人に「戦地で同い年の若者が死んでいるのに、よく旆など振れるな」と言われる。当時はベトナム戦争の真っ最中であった。
 プロに転向したフォアマンは、当時のヘビー級チャンピオン、ジョー・フレイジャーからタイトルを奪い取る。「スモーキン・ジョー」、前へ前へとすすむ蒸気機関車にたとえられていたジョーと、三ラウンドほどでノックアウトしていた剛腕のフォアマンは、同じタイプのボクサーであった。当時無敵とされていたジョーからタイトルを奪い取ったフォアマンは、ザイールのキンシャサでアリと闘い、タイトルを失うことになる。
 キンシャサの数試合後でフォアマンは引退する。宗教的体験を経験したフォアマンは、街角に立ってキリスト教の説教を始める。そうして恵まれない子どもたちのためにヒューストン・青少年センターを建てて子どもたちに勉強やボクシングを教えていた。
 フォアマンは自分の子ども時代の経験から、貧しい身なりの子どもは先生から差別されることを知っていた。

少年たちにとって、センターは港であり、安全地帯だった。誰かがベンチに金の鎖を置き忘れたことがある。一週間経ってもそれはそのままそこにあった。少年も、大人たちも、何もせず、ただ坐って心を開放する。居眠りする人間もいる。そこは誰もが自分自身の世界で王様になれる場所だ。(『敗れざる者』P369)

 青少年センターが資金難に陥り、フォアマンは公演によって寄付を募っていたが、もっと効率的に金を稼ぐ方法を思いつく。
 自分がもういちどヘビー級チャンピオンになること。
 神の助けを借りて、もう一度……。

 いままで何度かボクサーの年齢の話を書いてきた。
 この決意をしたときフォアマンは三十七歳、ボクシングからは十年離れていた。周囲の人々からは復帰などできるわけがないと思われていた。三十六歳で三度目のヘビー級のタイトルを獲得したアリでも、ほとんど見込みはないと言われていたのだ。
 が、かれは見事にカムバックし、もういちどヘビー級のチャンピオンとなる。そのときかれは四十五歳だった。
 フォアマンは一度はヘビー級の王者になった。が、人々から真の王者として受け入れられることはなかった。
 「真に大切なことは、どれだけ人に与えられるかだ」と悟ったフォアマンは、引退して牧師になってからようやく人々に受け入れられるようになる。貧しい子どもたちに自分自身が王様になれる場所を与えたフォアマンは、そうすることによって自分の王様になったのだ。

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