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餃子ラブ、魅惑の中華料理たちのはなし

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美味しいものは生きる糧、そのなかでも大好きな餃子と中華料理への私のラブです
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#餃子

料理が好きだということ

今の若い人達がまだよく憶えていない頃に料理店で飲酒の出来る時代があった。 美味い料理に舌…

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私の人生における『餃子』の存在について

私は餃子が好きであるが、毎日餃子ばかりを食べているわけではない。 ただ、私にとって餃子は…

宮島ひでき
3か月前
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美しき餃子

五感で楽しむ「食」。 「美」を楽しむは五感の何であろうか。 入り口はさまざまあろうが、最終…

宮島ひでき
3か月前
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「蒸す」から餃子を考える 

私が生まれた年、1960年は第二次世界大戦が終わって15年しか経っていない。小学校でそんなこと…

宮島ひでき
4か月前
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懺悔の餃子

久しぶりにラジオから流れるチャゲアスの「万里の河」を耳にした。夕方合気道の稽古のためにJR…

宮島ひでき
4か月前
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餃子とともにいきる その第五回

1985年昭和60年、私たちは大学を卒業し、それぞれの道を歩き出した。 ゼネコンに就職した私の…

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餃子とともにいきる その第四回

1980年、二十歳でそれまで約二年間、豊橋の魚市場で過ごした生活に区切りをつけて上京した。 消去法で選んだ大学は西武池袋線、池袋から三つ目の江古田にある。 東京の私鉄会社の創始者が起こした学園、たぶん創設当初は武蔵野の端ではあるが緑も田畑も残る自然豊かな場所だったのではないかと思う。 大阪に住みついてからずっと思うのは、東京のほうが緑が残る街だということである。 そんな意味では私は大阪より東京のほうが好きである。 上京当時、愛知の我が家には母と私しかいなかった。 父は仕事

餃子とともにいきる その第三回

小学生4年、1970年に豊川から豊橋に転居した。 引っ越しの理由は、父の会社の上司が独居して…

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餃子とともにいきる その第二回

愛知県豊川市、愛知県の東部に位置し、名古屋は尾張であり、豊川・豊橋は三河の中でも東三河に…

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餃子とともにいきる その第一回

食の記憶って誰にでもあると思う。 毎日三食とは言わないが、誰もが何かを食べなければ生きて…

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