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餃子ラブ、魅惑の中華料理たちのはなし

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美味しいものは生きる糧、そのなかでも大好きな餃子と中華料理への私のラブです
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#エッセイ

料理が好きだということ

今の若い人達がまだよく憶えていない頃に料理店で飲酒の出来る時代があった。 美味い料理に舌…

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私の人生における『餃子』の存在について

私は餃子が好きであるが、毎日餃子ばかりを食べているわけではない。 ただ、私にとって餃子は…

宮島ひでき
8か月前
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美しき餃子

五感で楽しむ「食」。 「美」を楽しむは五感の何であろうか。 入り口はさまざまあろうが、最終…

宮島ひでき
8か月前
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「蒸す」から餃子を考える 

私が生まれた年、1960年は第二次世界大戦が終わって15年しか経っていない。小学校でそんなこと…

宮島ひでき
8か月前
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懺悔の餃子

久しぶりにラジオから流れるチャゲアスの「万里の河」を耳にした。夕方合気道の稽古のためにJR…

宮島ひでき
8か月前
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水餃子の追憶

もうすぐ冬が終わりを迎えるようです。 札幌のゼネコン時代の先輩が時々連絡をくれるのですが…

宮島ひでき
8か月前
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春は餃子

「春は あけぼの」 私は年中朝がいい。その時期、季節の朝がいい。 まだ多くの人たちが口にしてない朝の空気が好きである。 子どもの頃から寝ない子だと母に言われた。 身体に良くはないだろうが「遅寝早起き」が得意だった。 なんだか寝る時間がもったいなかった。 でも、布団に入ると同時に寝ることができた。 そしてそれは今も続く。 そしてそして、朝は早くに眼が覚める。 それも今もなお続く。 両親より早く起きて飼い犬を引きつれて近所の小川を散歩しながら煙草を吸うのが日課の高校時代だった

餃子とともにいきる その第五回

1985年昭和60年、私たちは大学を卒業し、それぞれの道を歩き出した。 ゼネコンに就職した私の…

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餃子とともにいきる その第四回

1980年、二十歳でそれまで約二年間、豊橋の魚市場で過ごした生活に区切りをつけて上京した。 …

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餃子とともにいきる その第三回

小学生4年、1970年に豊川から豊橋に転居した。 引っ越しの理由は、父の会社の上司が独居して…

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餃子とともにいきる その第二回

愛知県豊川市、愛知県の東部に位置し、名古屋は尾張であり、豊川・豊橋は三河の中でも東三河に…

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餃子とともにいきる その第一回

食の記憶って誰にでもあると思う。 毎日三食とは言わないが、誰もが何かを食べなければ生きて…

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みわくの中華料理 その3

父は長野県飯田市のはずれ、愛知県境に近い山の中で育った。 平地の無い山の農家に稲作は不可…

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みわくの中華料理 その2

人間の三大欲の一つである『食欲』、その食欲への飽くなき探求を行う中華料理に私は多大な興味を寄せる。 私の書く、これからの文章はキュレーション記事ではなく、私の記憶に頼るある意味妄想の文章と思っていただければ幸いである。 『蚊の目玉のスープ』、子どもの頃から本が好きで中学高校では豊橋駅前にある精文館書店をよくウロウロしていた。 料理の本もよく立ち読みした。 その中に出てきたのがこの蚊の目玉のスープである。 漢方であるこのスープ、私の一番の興味は蚊の目玉の採取方法であった。