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飲み屋に恋する男のはなし

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酒抜きで語れぬ私の人生、そのほんの一部をお聞きください、、
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#エッセイ

恋のおわりは

今日から私が以前、恋の病に取り憑かれたように始めた『立ち飲み屋』の話を綴りたく思います。 多くのお客さまに足を運んでいただきました。 多くの友人も日本中から集まってきてくれました。 やんごとなき事情で再び方向転換をするまでの一年半の時間をともに過ごしていただいた皆さんとのお付き合いの話が中心となります。 今日は簡単に店の周囲の雰囲気をご理解いただければと思います。 私は大阪の人間ではありません。大阪は人に優しい街だと思います。 その中でもこの『阿倍野』って街が、素敵に優しい

酒を飲まずに酒飲を考える

自分が歳を取るだなんて考えることのない若い時代は誰にでもあるであろう。 自分が歳を取ることを真剣に思い詰めて生きる人間も少ないだろう。 行き着くところ辺りまで行って「ああ、歳を取ったな」、そう思うのではないだろか。 そして、それはやってはならないことをするのと同じじゃないかとも思うのである。普通の人は理性がそのやってはならぬことを止めるのだろう。 でも、戦争では理性の箍が外れてしまい、大義名分を持って人の命を奪い去り、それから胸を張って両親、家族、愛する愛される人の待つ家に

「さようなら」は最後に一度だけ

1977年、私は高校二年生だった。ちょうどこんな寒い時期、当時はもっと寒かった。 飼い猫ブチは自在に外との行き来をして、私の2階の部屋の窓が彼の玄関になっていた。開け放しの窓からは冷たい外気が流れ込み、私の部屋は寒かった。 外気と変わらぬ冷たい部屋で私は膝を抱きながら生まれて初めて買ったシングルレコードを聴いていた。 八代亜紀の声に魅せられて、よく理解してない歌詞に惹き込まれて『愛の終着駅』を聴いていた。 『文字の乱れは 線路の軋み  愛の迷いじゃないですか』 すごいな

酒とともに今年も暮れていく

仕事が終わり飲む酒はなぜか優しく感じられた。 泣きたい時に酒を飲み、苦しい時に酒を飲み、そんな時の酒はなぜか苦く感じられた。 その時々の感性を酒にぶつけてきたけれど、酒に逃げたことは一度も無かった。 酒の魔性を知っている。酒は人を狂わせることのできる水である。そう思いカウンターの中に立ち、酒を客に売って来た。「惰性で飲む酒はうちにはございません」そう言ってみたかった。でも客は私の心が読めたのかも知れない。酒に優しく酒に真面目な客が多かった。 店が客を大事にするように、客は

宿酔い(ふつかよい)の朝に

熱いコーヒーを胃袋に流し込み無理やり目を覚ませる。久しぶりの二日酔いに頭を抱える。かつて毎日味わったあの感覚である。仕事があり、付き合いがあり上司もいれば先輩、後輩たちもいた。馴染めぬ営業に、馴染みたくはなかった営業に、どぶどぶと浸かっていく自分が嫌だった。 この世に生を受けてこの世に生きることにはどんな意味があるのかと考えることが無駄だと分かっていても、考えねば押しつぶされてしまいそうな毎日だった。酒に逃げたつもりはなかったのだが傍から見ればそう見えたに違いない。でも若い

そして今宵も酒を飲む

気がつけば年の瀬を感じる時期となり、気がつけばとうに六十を越えており、あらためて気ぜわしくなったりしている。 年齢とともに生活スタイルは変わり、人ととの出会いは減っている。 とはいうものの、同年代と較べればまだまだ人との出会いは多いのかも知れない。そんな中のお一人、この note で出会ったリアル菊地正夫アニキに東京で今年6月に出会った。 SNS上での付き合いの方に出会うなんて私の常識ではありえないことだったのであるが、なんとなくこの人には会ってみたいな、と思い、ご指定頂い

酒を飲む理由(わけ)

私が酒を飲む理由、それはそれほど難しいことではない。 世に酒があるからである。 酒を悪く言う人がいるが、酒が悪いわけじゃなく、飲む人間が悪いのである。でも、それは仕方のないことかも知れない。人の性格が違うように酒への耐性が違うし酒に対する考え方も違う。 私は酒に多くを求めることは無いから、この先も酒に溺れることは無いだろう。 それに、やることが無いから「酒でも飲もうか」とはならない。 やることが、あってあってどうしようもないから「酒でも飲むか」となる。 同じ酒でも家で何もする

不義理という言葉

義理とか人情といった言葉が嫌いじゃない。 そんなことを大切にこの歳まで生きて来たように思う。 しばらく行ってなかった飲み屋がある。 大阪に来たばかりの時に先輩に連れて行ってもらった店だから行き出してもう30年以上にもなる。足繁く通っていたわけではないが、忘れることなく時々行っていた。JRの高架下、大阪駅の至近の店だから待ち合わせにもちょうどよいのである。30年前からスタンド形式の立ち飲み屋である。酒は洋酒が中心、ビールはあるが日本酒は無い。食べる物は写真の通り、食を求める場

阿倍野の夜

自分の年齢のことを時々考えるようになった。 こんなことが歳を取った証拠なのかも知れない。 「まだまだ若い」と先輩方からは言われるがそれは当たり前のこと、誰もが同じように歳を重ねるのだから先輩方から見たら、そりゃ私はいつまでも若い。でも、一般的に見れば若くはない。髪には白いものの方が多くなってしまい、電車の席を女子高生から譲られたのは一度や二度ではない。そのたびに自分の年齢を痛感してしまう。 合気道の稽古の帰りに阿倍野でワインを飲んで帰った。 いつものこの時間に行く店である。

昨晩の稽古

金曜日の夕、合気道の稽古の日、、であった。 しかし、今月は金曜日が月5回ある、月4回の契約のもと、昨日3月3日を休みにしていたのをすっかり忘れていた。稽古生の皆さんは優秀で誰一人来る者はいなかった。(優秀というか、当たり前か、、) 金曜のこの時間にフリーになるのはめったに無く、飲み屋時代によく世話になったワイン屋に寄って帰った。マスターは相変わらずお元気そう、いつもの笑顔であった。以前と変わらぬ空間に以前と変わらぬ匂いの時間が流れていた。 しばらくすると私の自宅の改修に知

カステラなる名の酒の肴

よく行くというわけではないが、時々思い出したように行きたくなる飲み屋がある。 場所は千日前相合橋入り口付近、すぐ近くに丸福珈琲本店がある。 なんばエリアがエセ大阪人の私には大阪らしく思え時々ウロウロするのだが、正確に難波、日本橋、千日前のエリアの区分をいまだ知らない。 この飲み屋はそれらのちょうど中途半端くらいのところに立地しているのではないだろうか。 だから、繁華街のど真ん中でもないのである。 それなのにいつ行っても一杯のお客さんで賑わう店なのである。 鰻の寝床のような

飲み屋で考える

若い頃には一人で飲み屋に入るなんてことはありませんでした。 必ず誰かと一緒でした。 やはり仕事の関係の飲酒の席が多かったですね。 お客さんをタクシーに乗せてドアを閉めた後の記憶が無いなんてことがよくありました。 気は張っていますし、もともと弱くはない酒です。 酒に飲まれることはめったにないのですが、体調の悪い時の席や宴席の続いた時には記憶が無いってことがしばしばありました。 今はそんなことは無く、気楽ですね。 飲酒の時間を楽しめるようになったって感じです。 一人で飲んでよ

阿倍野の飲み屋のものがたり(兼業・副業ノススメ)

はじめに なんとも生き辛い大変な世の中になってまいりました。 『終身雇用制度』なんて言葉はもともとあったものではなく、過去を振り返り時代の流れとともに変わっていった雇用体制を定義したもので、ただの整理用の言葉なのでしょう。 そう考えなければ生き辛くって仕方ないサラリーマンが多いはずです。 かく申す私も、もともとはサラリーマン、50歳で家族の介護と看護のため、介護休職を余儀なくされ、54歳で途切れぬ家族の災難のため世で言う『脱サラ』をしましたが、更なる家族の病気のため再び雇

『飲み屋ラブ』 片思いのラブレター 

気がつけば、あれが恋だったんだなあ、とそんなふう、、 考えてみればラブレターなんて書いたことが無い、、 そんな思いの丈を伝えたかったことが無かったのだろうか。 いや、私の思いは文章などを飛び越えていたのだろう。 『飲み屋ラブ』、私の片思いのラブレター、生まれて初めてのラブレターは、一度溺れてそのまま死んでもいいと思った大阪阿倍野で始めた『飲み屋』稼業へあてたラブレターである。 私は酒が好きである。 それ以上に飲み屋で営まれる日常が好きである。 酒は人を正直にしてくれる