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飲み屋に恋する男のはなし

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酒抜きで語れぬ私の人生、そのほんの一部をお聞きください、、
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#私と酒

恋のおわりは

今日から私が以前、恋の病に取り憑かれたように始めた『立ち飲み屋』の話を綴りたく思います。 多くのお客さまに足を運んでいただきました。 多くの友人も日本中から集まってきてくれました。 やんごとなき事情で再び方向転換をするまでの一年半の時間をともに過ごしていただいた皆さんとのお付き合いの話が中心となります。 今日は簡単に店の周囲の雰囲気をご理解いただければと思います。 私は大阪の人間ではありません。大阪は人に優しい街だと思います。 その中でもこの『阿倍野』って街が、素敵に優しい

酒とともに今年も暮れていく

仕事が終わり飲む酒はなぜか優しく感じられた。 泣きたい時に酒を飲み、苦しい時に酒を飲み、そんな時の酒はなぜか苦く感じられた。 その時々の感性を酒にぶつけてきたけれど、酒に逃げたことは一度も無かった。 酒の魔性を知っている。酒は人を狂わせることのできる水である。そう思いカウンターの中に立ち、酒を客に売って来た。「惰性で飲む酒はうちにはございません」そう言ってみたかった。でも客は私の心が読めたのかも知れない。酒に優しく酒に真面目な客が多かった。 店が客を大事にするように、客は

宿酔い(ふつかよい)の朝に

熱いコーヒーを胃袋に流し込み無理やり目を覚ませる。久しぶりの二日酔いに頭を抱える。かつて毎日味わったあの感覚である。仕事があり、付き合いがあり上司もいれば先輩、後輩たちもいた。馴染めぬ営業に、馴染みたくはなかった営業に、どぶどぶと浸かっていく自分が嫌だった。 この世に生を受けてこの世に生きることにはどんな意味があるのかと考えることが無駄だと分かっていても、考えねば押しつぶされてしまいそうな毎日だった。酒に逃げたつもりはなかったのだが傍から見ればそう見えたに違いない。でも若い

そして今宵も酒を飲む

気がつけば年の瀬を感じる時期となり、気がつけばとうに六十を越えており、あらためて気ぜわしくなったりしている。 年齢とともに生活スタイルは変わり、人ととの出会いは減っている。 とはいうものの、同年代と較べればまだまだ人との出会いは多いのかも知れない。そんな中のお一人、この note で出会ったリアル菊地正夫アニキに東京で今年6月に出会った。 SNS上での付き合いの方に出会うなんて私の常識ではありえないことだったのであるが、なんとなくこの人には会ってみたいな、と思い、ご指定頂い

酒を飲む理由(わけ)

私が酒を飲む理由、それはそれほど難しいことではない。 世に酒があるからである。 酒を悪く言う人がいるが、酒が悪いわけじゃなく、飲む人間が悪いのである。でも、それは仕方のないことかも知れない。人の性格が違うように酒への耐性が違うし酒に対する考え方も違う。 私は酒に多くを求めることは無いから、この先も酒に溺れることは無いだろう。 それに、やることが無いから「酒でも飲もうか」とはならない。 やることが、あってあってどうしようもないから「酒でも飲むか」となる。 同じ酒でも家で何もする