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飲み屋に恋する男のはなし

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酒抜きで語れぬ私の人生、そのほんの一部をお聞きください、、
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#立ち飲み屋

恋のおわりは

今日から私が以前、恋の病に取り憑かれたように始めた『立ち飲み屋』の話を綴りたく思います。 多くのお客さまに足を運んでいただきました。 多くの友人も日本中から集まってきてくれました。 やんごとなき事情で再び方向転換をするまでの一年半の時間をともに過ごしていただいた皆さんとのお付き合いの話が中心となります。 今日は簡単に店の周囲の雰囲気をご理解いただければと思います。 私は大阪の人間ではありません。大阪は人に優しい街だと思います。 その中でもこの『阿倍野』って街が、素敵に優しい

『飲み屋ラブ』 片思いのラブレター 

気がつけば、あれが恋だったんだなあ、とそんなふう、、 考えてみればラブレターなんて書いたことが無い、、 そんな思いの丈を伝えたかったことが無かったのだろうか。 いや、私の思いは文章などを飛び越えていたのだろう。 『飲み屋ラブ』、私の片思いのラブレター、生まれて初めてのラブレターは、一度溺れてそのまま死んでもいいと思った大阪阿倍野で始めた『飲み屋』稼業へあてたラブレターである。 私は酒が好きである。 それ以上に飲み屋で営まれる日常が好きである。 酒は人を正直にしてくれる

エンドウ豆でおもいだす

三十年間サラリーマンを続け、つくづく向いていない仕事だと思い辞めさせてもらい五年の時間が過ぎる。 三十年という時間はあまりに長く、辞める選択を出来ない自分の勇気の無さに嫌気をさしながらも、生きていくため、次々と迫り来る家族の看病と介護のため、辞めるチャンスを失ってしまった。 そんなサラリーマン時代ではあったが、ゼネコンの営業には定石が無く、普通に生きていたら知ることの無い世界をのぞかせてもくれて面白かった。 辛く厳しい世界であったが、金を稼ぐのに辛く厳しいのは当たり前、そう

阿倍野の飲み屋のものがたり その1    (鶏皮ポン酢編)

夕方五時開店、開店直後から割と忙しい店だった。 この時間帯はだいたい決まった方々だった。 自転車で乗り付けてくれる防災工事会社の社長がだいたい一番乗りだ。 美味い酒を飲むために堺市から自宅近くの私の店まで来てくれた。 地元の貸しビルのオーナーはいつもパチンコの帰り、毎回「三万負けた、五万負けた」と私の店の売り上げもしくはそれ以上のことを言ってまずはビールを乾いた喉に流し込む。 難波の百貨店にお勤めの品の良い私と同じ歳の独身女性は非番の時、この時間に出て来てくれた。 一見のお客