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飲み屋に恋する男のはなし

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酒抜きで語れぬ私の人生、そのほんの一部をお聞きください、、
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2021年5月の記事一覧

エンドウ豆でおもいだす

三十年間サラリーマンを続け、つくづく向いていない仕事だと思い辞めさせてもらい五年の時間が過ぎる。 三十年という時間はあまりに長く、辞める選択を出来ない自分の勇気の無さに嫌気をさしながらも、生きていくため、次々と迫り来る家族の看病と介護のため、辞めるチャンスを失ってしまった。 そんなサラリーマン時代ではあったが、ゼネコンの営業には定石が無く、普通に生きていたら知ることの無い世界をのぞかせてもくれて面白かった。 辛く厳しい世界であったが、金を稼ぐのに辛く厳しいのは当たり前、そう

梅雨寒

若い頃には雨に濡れることなどなんとも思わなかった。 カッパも着ずに働く男たちが格好良いとさえ思っていた。 当時の私は人生の混迷期の真っただ中におり、中学・高校時代の友人には誰とも会わずに一人生きていく道を模索していた。 高校を卒業し、仕事をしていないのが嫌であった。食うためではなく自身の見栄のために仕事を探した。 見つけた魚市場の仲買は温かな一家で家内制手工業のような経営をしており、ひねくれた私を家族のように迎え入れてくれた。 働くならば肉体労働と決めていた私だったが魚市場で

開かぬ店におもう

久しぶりに家内がレーズンバターを買って来た。 レーズンバターは家内の頭の中ではデザートに分類されるようである。 私にはもちろん酒のアテである。 30年ほど足を運んでいるJR高架下にある新梅田食堂街の立ち飲み『北京』のレーズンバターは美味かった。 早い時間に行くと親父が手作りのレーズンバターを、大きなボールでバターと干し葡萄をヘラでこねて作っていた。 カウンターに並ぶラム酒も入れていたに違いない。 いつもバーボンのロックのアテだった。 洋酒には甘い物があったりする。 チョコレ

料理が好きだということ

今の若い人達がまだよく憶えていない頃に料理店で飲酒の出来る時代があった。 美味い料理に舌鼓を打ちながら、ビールや酒が飲めたのである。 街の中華屋で脂っこい肉ニラ炒めやニンニクたっぷりの餃子をビールや紹興酒で胃袋に流し込むのはたまらなかった。 私は料理が好きである。 飲み屋をやっていたくらいだから当たり前だろうと思われる方も多いだろうが、料理の得意でない料理人はいる。 たぶんセンスの問題だと思う。 たとえばこの肉ニラ炒めを作る手順である。 下ごしらえは別として炒める順番