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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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#怖いと思ったこと

顔に傷あるけしぼうず

この note にやって来て約二か月、ずっと自分の記憶の整理をしていたように思う。 母の半生は兄の出生を悔恨し続け、私には「それでいいのか、あなたの人生をそんなことだけで終わらせてしまっていいのか」との疑問を拭うことはなかった。 父はお気楽に見えた、当時高額な兄の治療費を稼ぐと長く海外に勤務し、すべては母に任せきりであった。 父もゼネコンにいた電気・機械のプロであった。 長い時間は人の記憶をぼやかし、曖昧にさせる。 それは良いこと、悪いことの両面を持ち合わせる。 そしてそれ

冷たい冬の日の出来事

背筋が凍るような思いをしたのはこんな暑い眠れぬ夜ばかりではない。 まだ高校生の大晦日、気まぐれに初日の出を見ようと浜名湖に自転車で向かったことがある。 東海道新幹線を東京から大阪に向かうと浜名湖を通過する。 私にとっての浜名湖界隈は小学生の頃から東海道線に乗って釣りによく行った明るい雰囲気の楽しい思い出のある土地である。 あの大きな浜名湖の太平洋との境の汽水域当たりの地名を今切(いまぎれ)という。 500年以上も前に浜名湖の入り口が決壊したそうだが、いまだに今切と呼ぶのを不

蒸し暑い夏の日の出来事

静かな夜だった。 異様な暑さはひと段落したものの、信じられないような湿度の高さに濡れたフローリングは私の足を取り、思わず事故を起こしてしまうところであった。 室内で湿度が95%などを超すことはめったにない。 理由の一番はもちろん気象条件であるが、鉄筋コンクリート造の気密性の高い建物の室内であって換気が悪いと湿度が上昇し続けることがある。 だから、雨の日でも実は換気は必要なのである。 高湿度の室内はカビやダニのはびこる環境を作り上げるばかりか人間を病気にする。 精神をも病ませる

怖いと思ったこと その5

その頃いつも掃除機をかけていた。 気付けばいつも掃除機を片手にしていた。 夢のなかの話であるが、いつも掃除機をかけていなければ私は塵に埋もれてしまうのである。 小学生の時、先生の話に「一年に1ミリの塵が積もれば千年で1メートルになる」そんな話を聞いた。 算数での単位でのたとえ話だったのか、理科の話が発展したのか覚えていない。 でも私にはとても現実的なことに思えて怖さを超えた感慨のようなものがあった。 ちょうどその頃、豊橋の太平洋岸にある伊古部(いこべ)という地名の海岸によ

怖いと思ったこと その4

ゼネコン時代のことである。 関西のある地方都市の営業所に配属され、右も左も事情の分からぬままマンション新築の地元対応の責任者を拝命していた。 それこそ右往左往しながら毎日を送っていた頃である。 その頃、所長が一日の長い時間を使って建築・土木の責任者と打ち合わせをしていた。 この所長はややこしい話、人に聞かれたくない話を半径1m先の人間に聴かせない特技を持っていた。 やばい話だなと思い、触れないでいたが所長から説明があった。 「施工したプールで事故があった」と。 小さな子ど

怖いと思ったこと その3

昨日、金曜日の夜に合気道の稽古から帰ると金曜ロードショーで『崖の上のポニョ』をやっていた。 後半の少しだけだったが、初めて観た。 この舞台となった鞆の浦のある広島県福山市まで何度か行ったことがある。 その頃からずっと気になっていた宮崎作品であった。 福山まで行ったのはある方の自宅の移築の監修を頼まれてのことであった。 設計事務所時代にたまたま付き合いをしたシステム会社の社長がいらっしゃる。 私がゼネコン時代に付き合いをした日本を代表するコンピューターのメーカーでありシステ

怖いと思ったこと

60年も生きて来れば怖いと思う体験を一度や二度は誰でもしてきていると思います。 口に出すか出さないか、だけではないでしょうか。 今、私が勤める障害者施設で夜中に不思議な経験をしています。 縁あって私は夜勤だけをやっています。 まだ新しい鉄筋コンクリート造3階建ての3階にショートステイが出来るようになっています。そこで私は朝まで一人きりで障害を持った若者たちの相手をしています。 たいていの場合は深夜は皆さん熟睡してくれます。 私たち以上に日中の生活は多くに気を遣い疲れ切って