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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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#京都大原野

顔に傷あるけしぼうず

この note にやって来て約二か月、ずっと自分の記憶の整理をしていたように思う。 母の半生は兄の出生を悔恨し続け、私には「それでいいのか、あなたの人生をそんなことだけで終わらせてしまっていいのか」との疑問を拭うことはなかった。 父はお気楽に見えた、当時高額な兄の治療費を稼ぐと長く海外に勤務し、すべては母に任せきりであった。 父もゼネコンにいた電気・機械のプロであった。 長い時間は人の記憶をぼやかし、曖昧にさせる。 それは良いこと、悪いことの両面を持ち合わせる。 そしてそれ

日記のような、びぼーろくのような(2023.05.17 京都大原野の初夏の香り)

京都の端っこの西京区大原野の春はたけなわをすでに通り越していた。 阪急洛西口駅から電動アシスト付き自転車で走る道はほんのひと月前の季節とは様相を変え緑の濃さは増し陽射しの力強さも増していた。 途中、ところどころで田植えの準備を始めていた。トラクターの邁進する田から掘り起こされる虫たちを目当てにサギとカラスが離れない。そんな姿をスマホに収める私をカラスは「あんた何してんの」とでも言いたげにジッと見ている。 この農作業に当たるオッチャンは何を合図に田植えの準備を始めるのであろう

日記のような、びぼーろくのような(2023.3.29 京都大原野のタケノコの声を聞いた日)

昨日もまた朝仕事を終えて京都西山にある放置竹林整備のNPO事務所まで行った。春はあけぼのとは言うけれどもこの春はどの部分を切り取ってもいいものである。広い青空は春の空気に満ちていた。西山に貼り付く山桜はまるでパッチワークの一部ように私の目には映る。常緑の深緑と新緑の黄緑、白っぽい山桜のパッチワークである。 事務所に着くといたのは理事長と近くの造園屋さんの80歳過ぎの会長が世間話をしていた。タケノコの出始めたこの時期、誰も事務所にはいない。鳴き方を覚えたウグイスは誰かにその声

日記のような、びぼーろくのような(2023.3.22 京都大原野でWBCを観戦した日)

京都大原野にも春爛漫の日がやって来ていた。昨日、仕事を終え放置竹林整備のNPO法人事務所「京都・竹・環境流域ネット」まで行った。最寄り駅の阪急洛西口駅からレンタサイクルに乗るが京都西山に向かう空気にはもう冬の居残りを感じることは無かった。枯れていた草木や畑には新しい緑と赤・黄・白とやって来た春を喜ぶ素直な息吹があふれている。桜の蕾も弾けんばかりに膨らみ、チラホラと我先にと開きかける悪戯坊主もいる。もう誰も止めることの出来ない春が堰を切っていた。 事務所に着くといつもと様相が

日記のような、びぼーろくのような(2023.3.08 京都大原野の春のおとずれ)

毎週のルーチンである。 朝、仕事を終えて京都大原野にある放置竹林整備のNPO事務所に向かう。 ほんの二週間前に手袋をして、ジャンパーのチャックを顎まで上げて自転車を走らせたのが嘘のようであった。 京都西山、大原野の里にも遠慮がちではあるが春は足を運んでいた。 途中洛西ニュータウンを抜けるが、街の歴史とともに歩んで来た年老いた街路の桜の芽はあと一押し、背を押してくれる誰かの登場を待ちわびているようであった。 そんな中にいつも気になる一棟がある。 昭和40年代に住んだ豊川の社宅

日記のような、びぼーろくのような(2023.3.01 京都駅八条口でのおもいで)

仕事が終わり、朝JRで京都駅に向かった。 名古屋の製薬会社が竹材の契約にやって来るから出てこれないかと仕事中の昨日の晩に理事長から連絡が来た。 「よろしく頼む!」いつもこんな感じである。 京都駅を八条口から出て陽に当たるともう違う季節を感じた。ジャンバーを脱ぎ何年振りだろうか都ホテルのロビーに向かった。 まだ駅上のグランビアホテルの無い頃によく人と待ち合わせ、打合せに使った。なんだか活気の無いロビーで久しぶりに一人ボ~ッとしながらホテルを出入りする人間の観察をしていた。10

日記のような、びぼーろくのような(2023.2.22 早春の京都大原野)

2月22日、今年の『猫の日』は例年と違う感慨を持って京都大原野に向かった。 今季最後の寒波となるのであろうか、昨日舞い降りた早春の雪はまだ山肌に張り付いていた。 通称『竹ネット』、NPO法人 京都発・竹・流域環境ネット の主要メンバーが集まって来年度の新事業の打合せがあった。 行政の発注の放置竹林整備が続く。行政のさまざまな事業において竹林が障害となっている。それを伐開して産業廃棄物としての処分は時代遅れになっている。可能な限り共存しなければならない。そして、一度整備した竹

日記のような、びぼーろくのような(2023.2.8京都大原野、霧雨にむせぶ春の予感)

昨日も仕事を終え、阪急京都線に飛び乗った。一車両に数人の乗客がパラパラと散らばる阪急電車もいいものである。車窓から見える紙芝居のような風景には過去私が携わってきた多くの思い出がある。NPO事務所の最寄り駅から自転車を借り走り出すと途中雨に降られた。霧雨である、二週間前には大雪の交通麻痺がウソのようである。決して冷たくない雨に濡れながら洛西ニュータウンを抜けた。 事務所に着くと倉庫の片づけを始めていた。都市計画法用途地域における指定用途以外の利用で全面撤去を求められていた倉庫

日記のような、びぼーろくのような(2023.2.1京都大原野、雪のなかで育つ夢)

一昨日、いつものように仕事を終えて阪急線の最寄り駅まで歩き洛西駅で下車する。阪急の子会社の運営するレンタサイクル屋で一日420円の電動アシスト付き自転車を借りる。 日陰にはまだ凍った雪が残る。やはり大阪市内とはだいぶ温度差があるようだ。その上に乗り上げぬように走り、途中の洛西ニュータウンを抜ける。耳が冷たい。息が白くなる。目が覚め、生きていることを感じる。 今日から京都市内の大学生4名がインターンシップでやって来ていた。座学から現地での伐採まで、一通りの竹の知識とボンヤリし

日記のような、びぼーろくのような(2023.1.18京都大原野の早い朝)

庭の椿の落花音で目を覚まし、まだ明けぬ闇の朝を独り歩く。 こんな朝が好きである。 寂しく悲しくなるような迫る夕闇を背に歩くより、 こんな朝が好きである。 私の吐息は白く型取られ、朝の冷気と擦れる音が聞こえてくる。 こんな朝が好きである。 すべての存在を押しつぶしてしまような夜のしじまは私にさよならと言ってくる。 またすぐ来るくせに言ってくる。 お前が友だちになりたいと思ってるのは知っている。 でも私にそれは出来ないんだよ。 もうずいぶん前に分かれは告げたはずだ。 もう、私に

日記のような、びぼーろくのような(2023.1.11京都大原野の年はじめそして今宮戎神社・えべっさん)

昨日の休み、京都大原野のNPO法人 京都発・竹・流域環境ネットの事務所まで。 八尾をまだ暗いうちに出発、着いた大原野の最寄り駅でちょうど日の出を迎えました。八尾より気温は低く、息は白く吐き出されます。 写真は陸上自衛隊桂駐屯地、最寄りに新駅が出来て以前より住宅が増えました。至近距離、出来れば徒歩圏内に鉄道駅があるのは便利でいいですね。 途中、洛西ニュータウンを抜ける頃には京都西山を朝陽が照らし出し始めました。気温は氷点下、電動アシスト付き自転車は快適ですが、耳はやっぱり冷

日記のような、びぼーろくのような(2022.12.21京都大原野のなんでもない日常)

NPO法人 京都発・竹・流域環境ネットと付き合いを始めてもう10年以上になる。 生命のもととなる海を豊饒に保ち、私たちの子ども達、私たちの未来のためにこの財産を当たり前に残すための一翼を担うことが出来るようになろう、とスタートして京都府下、南部からスタートし、北部の宮津、舞鶴、そして京都市内の嵯峨嵐山、大原野と活動の拠点は移って来た。 放置竹林なんて言葉が出てきてそれほど時間は経っていないと思う。私たちが子どもの頃、ほんの40年、50年ほど前には「サオや~、青ダケ!」という

日記のような、びぼーろくのような(2022.12.07京都大原野の竹の煙は昔の匂い)

京都大原野の午前の空気は冬だった。 朝仕事を終え、いつものように大原野に向かう。駅前でレンタサイクルを借りて放置竹林整備NPO事務所に向かう。頬を刺すもう冬の冷たい空気は眠気覚ましにちょうど良い。でも手の冷たさ、自転車に乗っての冬の冷たさはまた別物である。子どもの頃の故郷愛知の山や海を走り回った事を思い出す。今年初めてここで手袋を手にした。 途中抜ける洛西ニュータウンの街路樹も寒さに向かうのに丸裸になりつつありなおさら寒さを募らせます。 現地に着くと年末に向けてずいぶんわ

日記のような、びぼーろくのような(2022.11.30京都大原野さよならの秋)

昨日午前、仕事を終わらせて京都大原野の放置竹林整備のNPO事務所まで行きました。 町内会である西山善峯寺西国第20番札所の境内にある手水場の竹で作った出水口の取換えです。 冷たい山水がこの石槽の底から噴出しているのですが、ニューコロナに対応して、誰もが触れる柄杓を使うことなく竹で作った出水口から出る水で直接手を洗えるようにしています。 枯れかけた秋は紅葉の鮮明を奪われつつありましたが、京都大原野の足元から忍び寄る冬の先兵は樹々に最後の猶予を与え、最後の最後まで燃え尽きさせ