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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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2024年1月の記事一覧

日記のような、びぼーろくのような(2024.1.17 冬のある日に思う私の目標)

冬枯れの京都西山大原野、夜勤明けの朝にNPO法人京都発・竹・流域環境ネットへ向かった。 社会問題ともなっている放置竹林整備を目的に運営しているNPOである。手伝いに通いだしてもう10年にもなるであろうか。実は私はここで竹の1本も切ったことがない。私の一番の目的はここの理事長への恩返しなのである。 理事長は私が20年ほど前までやっていたゼネコン営業マン時代に京都府下で限りなく世話になった方である。当時理事長は役所勤めの公人であり、民間の営業マンである私などと付き合いをしてはな

ラジオを聴き、そして思い出した

もう30年も前の記憶である。色褪せたその記憶は今なお私の頭のなかに残り、同じような田舎道を車で走るといつも思い出す。当時私は奈良県北部、法隆寺まで車で15分くらいのところに住んでいた。そしてある縁から三重県志摩の漁師町へ年に何度か通っていた。いつしかその行き来の道は私にはすっかり見慣れた緑多い愛すべき風景となり、四季の緑の濃さの違いや咲く花々の淡い赤や黄の彩りに心を許すようになっていた。 その時は小学生の息子を助手席に座らせて自宅に向かい走っていた。三重の県境から京都府下に

「夢のつづき」のつづき

もともと夢を憶えていないほうだから、休みの昨日、昼寝をしていて見た夢は初夢だったのであろうか。 寝汗をかいて目が覚めた。 私は列車のボックスシートに独り座りボンヤリ外を眺めていた。 海岸線を走る列車の右手には月の光を反射する白銀の山々がそそり立ち月の明かりばかりか私たちのまわりに渦巻く嘘も生き辛さも跳ね返すかのような白い輝きを放っていた。 左手には漆黒の海が横たわり唸り声をあげてうねる波は白い輝きが跳ね返すすべてを吸い込むようであった。 そして私には分かった。 怖い、痛い

さて、今年も始まった

正月を迎え、年は新しく変わった。深い感慨も無く日付が変わったように思う。 年賀状を書かなくなって、もうしばらく経つのに届く年賀状に申し訳なさを感じ何本か電話を入れ「まだ生きている」と報告する。 同じように何本か「お元気ですか」と電話が来た。メールもラインも来た。私よりずいぶん年上の先輩方からである。近況をお聞きし、お礼を述べて電話を切った。メールもラインも返事をした。 80を過ぎてラインを時々くれる京都でずいぶん世話になった不動産屋の元専務には大事な息子がいた。親父と同じ業界