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後払い決済サーブストラブル

 朝のニュースで、後払い決済サービストラブルが取り上げられていた。身近な出来事ではないので聞き流していたが、年配者の理解不足によるものか、以前から大袈裟だが世界中、ある方向に舵を切っているような気がして、違和感がつきまとっている。個人的なものなのか、社会の変化なのかいまだに、判別できず保留したままである。
 
 金融のポイントカードや市場に出回っているポイントカードなどについて、消費者のためのシステムではなく、企業が未来の不確実な商品の購買の先取り(共産主義・資本主義の計画経済や予定調和)であり、担保するためのシステムである。ポイント分はすでに商品に上乗せされているか製造から流通のどこかで、負担を強いられている可能性がある(たぶん)。以前の広告という手法は衰退し、それに投じる経費(CM・新聞・チラシ・カタログ)なども削減され、現時点ではSNSなどの発達で企業にとっては換金制度やポイントシカードなど、メリットが多く、手放しでどの企業も乗り換え、採用し始めている。ある意味で、はなはだ賢いシステムであり、古い人間には、詐欺まがいに見えなくもない。
 
 資本主義的狡知であり、現在では金融機関も半官半民も公共機関さへ無批判に採用している。公共に供する役割を責務とする機関であり、民間の営利を目的とした株式会社という組織ではない。すでにその責務を忘却し、アウトソーシングなどといって民間に丸投げし、機能不全に迫っている。
 
 SNSの換金制度は、穿った見方をすれば私たちを広告の道具として扱い、役に立っている間は使い切るまで都合よく利用するだろう。それこそ自己責任で、当の企業は痛くも痒くもなく、明日も同様に存続しているのだろう。
 
 貨幣は老若男女にとって平等であり、平等は貨幣が下支えしている平等である。生まれたばかりの赤ちゃんも明日死ぬかもしれない老人も平等であるというシステムであり、それを担保しているのは貨幣である。いわゆる「お金」をもってさえいれば、ガキも大人も平等であり等価交換が可能な世界に生きているということになる。役に立たなければすぐに等価交換(誰でも代替え可能)され廃棄される。それに私たちは同意したということであり、老若男女とは非対称(赤ちゃんはかつての私であり、老人は未来の私である)の関係であり、人々が生きながら得るために太古から営んできた知恵である。その知恵を放棄し忘れ去ろうとしているのは、一時的な時代の幸運であり、いつまでも続く幸運ではない。お金でお腹は満たされない。
 
 有識者が、啓蒙や教育でトラブルを回避できる社会を訴えているが、子どもたちを啓蒙や教育でトラブルを回避できるとは思えない。換金制度や貨幣優先の社会のシステムを考え直すことから始めることが先決であり、根本的に私たちがよってたつ足元を見直すことである、というのがおじさん的考えである。

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