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世間

 世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実態があるのでしょう。
 
 けれど、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、これに対して葉三は「世間というのは、君じゃないか」という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
 
 世間とかみんなは、という世間やみんなはどこにいるのでしょう。みんなが・・・というみんなは、あなた自身ではありませんか。みんなをt都合よく先んじてつくりだし、自分の行いの免罪符にしているのではありませんか。何も変わらない、のではなく変えようとしない自分がそういわせているのではありませんか。
人間失格 太宰治
 
 コロナで給付金が支給されることになった。確かにないよりはあったほうが助かるが、いずれは税金に上乗せされてくるだろう。時間差における自給と自払というところで、所詮は国民各位が支払うことになる。なかなか目の前に餌をぶら下げ、あとで集金するという狡知はいささか善人ぶった詐欺師に感じられる。
 もっと費用対効がよい政策があるだろうと思うのだが政策より票集めに一生懸命のようで、その間に国の借金は増えていくばかりである。
 つい最近、同じくらいの年齢の人たちと雑談していて、給付金の話になった。
 「みんなが給付金をもらっているので、私ももらうことにした。そうじゃなきゃ損だもの」
 「みんなって」と一瞬思った。
 みんなって、誰の事。もしかして自分の中のみんな・・・。
 「でも・・・」といって。面倒なので、それ以上は言いださなかった。

 そういえば、かつてどっかで似たような経験をしたことを思いだした。太宰治の「人間失格」の一節である。この小説が書かれたのは1948年(昭和23年)であり、いまから75年も前のことである。
 
 


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