iPad、「身軽で良い」と思う、私の理由
はじめに
私の好きなある国語辞典には【タブレットPC】は「液晶画面からなる一枚の板状のパソコン。視認性と携帯性に優れる。」と説明されています。
的確ですし、異論はないと思います。「一枚の板状で視認性と携帯性に優れる」が確かにiPadの特徴かとおもいます。
あえて付け加えることがあるとすれば「アクセサリーの話題に事欠かない」でしょうか。
マウス、キーボード、タッチペン、ケースや保護フィルム、スタンドなど、いろいろと必要に応じてアクセサリーを揃えることができます。
それらはiPadの用途を広げたりiPadの特徴を際立たせたり、本体を保護したりします。それですから、話題に事欠かないですね。
ただし、タブレットPCの特徴である一枚の板状、視認性と携帯性の良さ、にマイナスの影響を与えることも事実です。
私はアクセサリーを極力用いずにiPadを使いたい、それが王道ではないかと考えています。それを「iPadは『身軽で良い』」と表現しています。
そのことについて、少しお話しさせていただきます。お付き合いください。
マウスとキーボードの利点と、使わない理由
利点については丁寧に論じる必要があるかと思いますが、無理やり一言で表現するとiPadをPCライクに使うためのアクセサリーということかと思います。
iPadがiPad+PCになる、なるかも、ということでしょう。作業範囲が拡大し、操作性や効率が向上します。
なのに使わない私の理由は、iPadの作業範囲で十分に楽しむことが出来ているからです。また、液晶のタッチパネルでの操作に不自由を感じないからでもあります。
もちろん、絶対に使わないということではありません。必要が生じた時は使いますし、使えるように準備はしています。しかし、ここ数ヶ月使っていません。
以上の理由の他に私の身体的な条件による理由があります。脳出血による片麻痺で左手の機能をすべて失っているということです。使えるのは右手だけです。
ということは、キーボードは必ずしも使い易いとはは言えず、臨機応変にiPadのアクセサリーを動かしたり取り付けたり設置したりすることができません。一枚の板状のまま使うことが出来るのであればそれが最善なのです。
そんなことがアクセサリーを極力避けたい理由となっています。
一枚の板状のまま使う快適さを知った
一枚の板状のままに使うことに慣れると、iPadを一枚の板状のまま使うことが快適に感じられるようになりました。
「自由を手に入れた」という感じです。iPadだけで、Apple Pencilは別ですが、アクセサリーを用いることなく、自由に快適に作業に取り組むことができるのです。
アクセサリーを用いることによって生じる不自由さから解放されている、と言い換えても良いかと思います。
また、高価な専用キーボードを購入したり、机の上にいろいろな物を置く必要がありません。
たった一つ、フリックでの文字入力に指が慣れるまで苦労しましたが、、、
わたしはiPadをアクセサリー無しで使うことをお勧めします。
ここまででです。お付き合いくださり、有難うございました。
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