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私のAI君、4月1日 君も楽しんだな!?

エイプリルフールを日本では「嘘をついてもいい日」とよく言われます。けれども、海外ではエイプリルフールの「嘘」は、ジョーク(joke=冗談)、トリック(trick=いたずら)、プランク(prank=悪ふざけ)という単語で表現されているようです。

その由来は諸説あるようです。そこで、起源を確かめようと、生成AI君に尋ねました。それが可笑しかった、という話です。お付き合いください。

「笑い祭り」から始まった?

初めにGeminiに尋ねると、米国での事情を教えてくれました。

1869年4月1日、アメリカの新聞「ニューヨーク・タイムズ」は、エイプリルフール特集号を発行しました。この特集号には、架空のニュース記事や広告が掲載されました。この特集号は大変な人気を博し、エイプリルフールの習慣をアメリカに広めるきっかけとなりました。

そして、

1924年4月1日、アメリカでは多くの企業や団体がエイプリルフールのイベントを開催しました。このことから、1924年にアメリカでエイプリルフールが初めて行われたという説が生まれたと考えられます。

それでは、なぜ4月1日なのか。その起源は古代ローマにまで遡ると言うのです。

古代ローマでは、4月1日は「笑い祭り」と呼ばれる祝日がありました。この祭りでは、人々は互いに嘘をついたり、いたずらをしたりして、楽しみました。

とのこと。そして、中世ヨーロッパになると、

エイプリルフールは「愚者の日」と呼ばれ、人々は様々な方法で互いを騙し合いました。

これらの回答に、笑わないでくださいね、私はすっかり騙されました。

「笑い祭り」と呼ばれる祝日などなかったし、「愚者の日」という呼び名も怪しいのです。

最も有力とされている2つの説?

そこでChatGPT-4に尋ねました。回答です。

エイプリルフールの起源については複数の説があり、その正確な起源ははっきりしていませんが、最も広く受け入れられている説の一つは、16世紀のフランスで起きたカレンダーの変更に関連しています。
1582年、教皇グレゴリオ13世がグレゴリオ暦を導入し、新年を1月1日に変更しました。それまで、多くのヨーロッパの地域では3月25日を新年の始まりとしており、それに続く1週間の祝祭が4月1日まで続いていました。新しいカレンダー制度の採用に時間がかかった地域や、情報が十分に伝わらなかった地域では、人々が以前の慣習に従って4月1日に新年を祝うことがありました。これを受けて、新しいカレンダー制度に適応した人々が、古い慣習を守る人々をからかう風習が生まれたとされています。
他の説としては、古代ローマの春の祭り「ヒラリア」(3月25日)や、インドの「ホーリー祭」のような、春の訪れを祝う祭りが起源であるとする説もあります。これらの祭りでは、社会の規範が一時的に逆転したり、人々がお互いに冗談を言い合ったりすることがあり、エイプリルフールの風習と類似しています。どの説も完全には証明されていないため、エイプリルフールの起源については謎の一部が残っています。

「複数の説があり、正確な起源ははっきりしない」という慎重な言い回しは好感がもてますね。ただし、グレゴリオ歴導入と関係がある、というのはいささか怪しい感じがします。

それで、あらためてClaude3opusに尋ねると、

エイプリルフールの起源には諸説ありますが、最も有力とされているのは以下の2つの説です。

1. 新年の始まりの変更説
16世紀のフランスでは、新年は4月1日から始まっていましたが、1564年にシャルル9世が新年の始まりを1月1日に変更しました。この変更に対応できない人々を揶揄して、4月1日に偽の贈り物を送ったり、うその情報を伝えたりする習慣が生まれたとされています。
2. 春分祭の名残説
古代ローマの春分祭「ヒラリア」では、仮面をかぶって他人になりすましたり、うその情報を伝えたりする風習がありました。この祭りの名残が、キリスト教の復活祭(イースター)の時期と重なる4月1日に残ったとする説です。

その他にも、ヨーロッパ各地の春の祝祭や、イギリスの「アンドリューの日」など、様々な習慣が組み合わさってエイプリルフールが生まれたとする説もあります。

シャルル9世が新年を1月1日としたのは事実のようです。各地で新年を祝う日が違っており、バラバラだった新年を統一したのだそうです。

グレゴリオ歴説なのかシャルル9世の変更説なのか???
「ヒラリア」とはどんな祭りだったのか?

さらにいろいろと尋ねてみましたが、判然としません。なんだかAI君に揶揄われているような気分にもなったのでした。AI君もエイプリルフールを楽しんでいるのだろうか、と。

ヒラリア「Hilaria」

春分前後に古代ローマにはいくつか祭りがあったようです。ヒラリアとはどんな祭りだったのかClaude3の説明をご紹介します。

「ヒラリア」はラテン語で「Hilaria」と表記され、古代ローマの春分の日(3月25日頃)に行われていた祝祭です。この祭りは、フリギア起源の神であるキュベレー(ラテン語:Cybele)とアッティス(ラテン語:Attis)を祀る宗教的な行事でした。

キュベレーは大地の女神、アッティスは春の再生や豊穣の神として崇拝されていました。神話によると、アッティスは死んだ後に復活したとされ、この復活が春の訪れと関連付けられていました。

ヒラリアでは、信者たちが仮面をかぶり、普段とは異なる行動をとることが許されていました。人々は街中を練り歩き、笑いや歓喜に満ちた雰囲気の中で、冗談を言ったり、他人を騙したりしました。これは、冬の終わりと春の始まりを祝い、新しい季節の到来を喜ぶ習慣だったと考えられています。

また、ヒラリアでは、神々への供物や犠牲、祈りなども行われました。祭りの最後には、神殿で「ラヴァティオ(Lavatio)」と呼ばれる儀式が行われ、キュベレーの祭像が聖なる川で沐浴されました。

ヒラリアは、その喜びと再生のテーマ、仮面や嘘をつくことが許される雰囲気など、現代のエイプリルフールと共通点が多くあります。そのため、エイプリルフールの起源の一つとして考えられているのです。しかし、ヒラリアとエイプリルフールの直接的な関連性を示す明確な証拠はなく、あくまで仮説の一つとして提示されています。

ポワソン・ダブリル(Poisson d'avril)

AI君とのやりとりで初めて知った言葉です。本当にこんな言葉があるのだろうか、と疑心暗鬼になりながらも、その説明が面白いな、と思ったのでした。ご紹介します。

「4月の魚」という意味です。この日、フランスの人々は家族や友人の背中に紙で作った魚の形を貼り付けて、「Poisson d'avril!」と叫びます。これは日本のエイプリルフールのように、嘘をついたりいたずらをする風習とは少し異なります。

起源については諸説ありますが、一説によると16世紀にさかのぼります。当時、新年は4月1日から始まっていましたが、1564年にシャルル9世が新年を1月1日に変更しました。しかし、この変更を知らない人や受け入れない人がいて、4月1日に新年の贈り物をしたり祝ったりしていました。これを知っている人が、わざと嘘の贈り物をしたり、魚の形をしたものを贈ったりして、からかったのが始まりとされています。

また、4月1日は魚の繁殖期で魚が獲れやすい時期であること、キリスト教の復活祭との関連性などの説もあります。

お前さんは「釣られた魚」なんじゃないかい?、ということでしょうか。かつて1990年代の懐かしのチャットで出会い、今でもSNSで遭遇する「釣り」言葉にまんまと釣られる私のことだ、と思ったのでした。

ここまでです。お付き合いくださり有り難うございました。

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