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Biblia studere LⅢ, Luc9:51-56、顔を堅く向けた

生成AIを使って聖書研究に取り組んでいます。そのお裾分けを記事にしています。

今回はルカによる福音書9章51-56節、使う生成AIはPerplexity Proです。お付き合いください。

テキストのご紹介

「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。 そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。 しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。 弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。 イエスは振り向いて二人を戒められた。 そして、一行は別の村に行った。」
‭‭                                     ルカによる福音書‬ ‭9‬:‭51‬-‭56‬ 新共同訳‬

テキスト概観

短いテキストですが、PerplexityでLlama3.1 70b(Sonar Large)によるテキスト概観をご紹介します。

ルカによる福音書9章51-56節は、イエスがエルサレムに向かう旅の開始を描いた部分です。この節では以下のような重要な点が含まれています。

1. **エルサレムへの旅の開始**:
  イエスはエルサレムに向かう決意を固め、旅を始めます。この旅は、イエスの使命とその結末に向けた重要なステップです。

2. **サマリア人の拒絶**:
  イエスとその弟子たちがサマリア人の村を通る際、サマリア人が彼らを迎え入れないため、弟子たち(特にヤコブとヨハネ)は怒り、サマリア人に対して天火を降らせるよう求めます。しかし、イエスはそれを許しません。

3. **弟子たちの誤解**:
  このエピソードは、弟子たちがまだイエスの使命と教えを完全に理解していないことを示しています。イエスは弟子たちに、愛と赦しを教え、怒りや報復心を戒めます。

この節は、イエスの旅の開始とともに、弟子たちとの関係や彼の教えの重要性を強調しています。

この回答はコンパクトで落ち着いた説明になっていますね。

[雑談] Perplexityによる聖書研究について

PerplexityはWebからの情報を上手に利用するサービスとして知られています。そして、情報源も明示してくれるのでファクトチェックが可能です。

以下は聖書研究に限ってのことですが、そこから観察できるPerplexityの特徴をご紹介します。

Web検索に長けているPerplexityをそのままに使って得られる回答はそれはそれで役に立ちます。しかし、さらに深掘りしたいという要望には応えきれないという弱点が見られます。

今回はしかしPerplexity Pro(有料版)を試しています。Pro版は深掘りが可能です。と言うのはいくつかのAIモデルを選択することができるようになっているからです。ChatGPT4oやClaude3.5sonnet、Llama3.1などのトップランナーも選択可能です。

また、フォーカスという機能があって利用者の求める関心の傾きに沿っていく種類かの使い分けができるようになっています。

そのような手の込んだ生成AIサービスであることを良く理解して使いこなすことが肝要かと思います。(興味深いのですが私はまだ習熟してはいません。)

聖書研究に関しては、聖書の言語とその時代の諸言語や歴史的文化的な背景を理解する必要があります。また、聖書と現代に至るまでの歴史や文化との関連、さらには長い研究の歴史があり、その成果に関するInsightも求められます。

それらの膨大な知識はWeb上で簡単に散見できるというわけではありません。膨大な情報の蓄積(ラーニングデータ)と上質なAIの仕組みが必要です。

その上でAIの賢い使い方を身につけることによって聖書研究にとっても深掘り可能な有用なツールとしてAIが機能してくれるということになります。

私はAIのツールとしての能力の現状を理解し、賢い使い方を身につけたいと思って生成AIとお付き合いをしています。PerplexityProはそのために役立つAIサービスの一つです。そう思われます。

雑談はこのくらいにして、お裾分けに戻ります。深掘りの一端をご紹介します。

重要な用語

テキストに用いられている重要な用語を抽出し、短くごく簡単に解説してもらいました。

ルカによる福音書9章51-56節で用いられている重要な用語や言い回しは以下の通りです。

1. **「エルサレムに向かう旅を始めた」**(9章51節):
  - **「旅を始めた」**(ギリシア語: ἀναλαβὼν τὸν προσώπον):イエスがエルサレムへの旅を開始する決意を示しています。この旅は、イエスの使命の重要な転換点です。

2. **「サマリア人の村」**(9章52節):
  - **「サマリア人」**(ギリシア語: Σαμαρῖται):サマリア人はユダヤ人とは別の宗教グループであり、ユダヤ人と対立関係にありました。この拒絶は宗教的・文化的な対立を反映しています。

3. **「迎え入れてくれなかった」**(9章53節):
  - **「迎え入れてくれなかった」**(ギリシア語: οὐκ ἐδέξαντο):サマリア人がイエスと弟子たちを拒絶したことを示しています。この拒絶は単に個人的なものではなく、深い歴史的・宗教的な対立を反映しています。

4. **「天火を降らせる」**(9章54節):
  - **「天火を降らせる」**(ギリシア語: πῦρ ἄνωθεν καταβῆναι):ヤコブとヨハネがサマリア人に対して天火を降らせるよう求めたことを示しています。これは、旧約聖書のエリヤの故事(列王記下1章10節)に基づくものです。

5. **「許さなかった」**(9章55節):
  - **「許さなかった」**(ギリシア語: ἐπετίμησεν αὐτοῖς):イエスが弟子たちの要求を許さなかったことを示しています。イエスは弟子たちに、怒りや報復心ではなく、愛と赦しの教えを教えます。

6. **「他の村に往く」**(9章56節):
  - **「他の村に往く」**(ギリシア語: ἐπορεύθησαν εἰς ἑτέραν κώμην):イエスと弟子たちが他の村に向かったことを示しています。この行動は、イエスの教えが拒絶された場合でも、愛と赦しの精神を貫くことを示しています。

これらの用語や言い回しは、ルカによる福音書9章51-56節の重要なテーマや教えを理解する上で重要です。

気の利いた回答だと思います。節ごとにテキストの流れに沿って重要な用語を抽出してくれています。また、聖書のギリシャ語が表示されています。それによって更なる深掘りが可能です。

上記1.の詳しい説明を求めたので、その回答をご紹介します。

ギリシア語の「ἀναλαβὼν τὸν προσώπον」を文字通りに日本語に訳すと、以下のようになります。

- **ἀναλαβὼν**:「取り上げる」または「引き受ける」
- **τὸν προσώπον**:「顔」を意味する「προσώπον」の対格形

したがって、文字通りに訳すと「顔(を)取り上げる」となります。

この表現は、イエスがエルサレムへの旅を開始する決意を示すために用いられており、より自然な日本語訳としては「決意を固める」や「決意を固めて」などが適切です。

「顔を向ける」とか、「顔を上げて堅く向けた」という言い回しですね。それで、「決意を固める」や「決意を固めて」という意味になるのでしょう。

それは「よそ見をしない」ということでしょう。弟子たちはよそ見をしたようです。

現代の神学者の解釈

現代の神学者たちのテキスト解釈を紹介してもらいました。

ルカによる福音書9章51-56節について、現代の神学者の解説は以下のような点に焦点を当てています。

1. **エルサレムへの旅の開始とその意味**:
  - **ジョン・N・コリンズ**(John N. Collins)のように、多くの神学者は、この旅がイエスの使命の重要な転換点であり、十字架への道を示していることを強調しています。イエスはエルサレムへの旅を通じて、自分の運命を自覚し、弟子たちにもその意識を共有しようとしています(『ルカによる福音書』)。

2. **サマリア人の拒絶とその背景**:
  - **アイラ・L・フリーマン**(Ira L. Freeman)などの神学者は、サマリア人とユダヤ人の間の宗教的・文化的な対立を指摘しています。この拒絶は単に個人的なものではなく、深い歴史的・宗教的な対立を反映していることを示しています(『ルカによる福音書』)。
  - **レイモンド・E・ブラウン**(Raymond E. Brown)も、サマリア人の拒絶が単に個人的な拒絶ではなく、より広い宗教的・文化的な背景に基づいていることを強調しています(『ルカによる福音書』)。

3. **弟子たちの反応とイエスの教え**:
  - **ジョセフ・A・フィッツマイヤー**(Joseph A. Fitzmyer)のように、多くの神学者は、ヤコブとヨハネの反応が弟子たちの成長と理解の進展を示していることを指摘しています。イエスは弟子たちに、怒りや報復心ではなく、愛と赦しの教えを教え、弟子たちに新しい道を示しています(『ルカによる福音書』)。
  - **ルーク・ティモシー・ジョンソン**(Luke Timothy Johnson)も、イエスの教えが単に外面的行動を変えるだけでなく、心の変化を求めるものであることを強調しています。弟子たちは、イエスの教えを通じて、愛と赦しの精神を学び、成長していくべきです(『ルカによる福音書』)。

4. **現代への適用**:
  - **現代の神学者**は、このエピソードを通じて、現代社会にも適用可能な教えを見出しています。例えば、**N.T.ライト**(N.T. Wright)は、イエスの教えが現代のキリスト教徒にも適用され、愛と赦しを実践するよう呼びかけていることを強調しています(『ルカによる福音書』)。

これらの解説は、ルカによる福音書9章51-56節が、イエスの旅の開始とともに、弟子たちの成長とイエスの教えの重要性を強調していることを示しています。また、現代のキリスト教徒にも適用可能な教えを提供していることも示されています。

ここで取り上げている神学者のうち私が知っているのは三人だけです。他の人のことは生成AIで調べることができますね。それも深掘りの一部になります。

編集史研究のパースペクティブからのテキスト理解

福音書研究の一つに編集史という方法論があります。1970年頃から盛んに取り組まれました。ルカによる福音書の研究が先駆けとなりました。その方法論のパースペクティブによるテキスト理解を求めたのでご紹介します。

ルカによる福音書9章54-56節は、イエスとその弟子たちがサマリアの村を通過する際の出来事を記録しています。この箇所は、弟子たちがサマリア人の拒絶に対してどのように反応したか、そしてイエスがどのようにそれに応じたかを描写しています。編集史研究において、この箇所は以下のような意味を持ちます。

**1. テキストの異同と伝承の変遷**

この箇所には、いくつかの異なる写本伝承が存在します。特に、弟子たちが「天から火を呼び降ろして彼らを滅ぼしましょうか」と言った後のイエスの反応には、写本によって異なる部分があります。一部の古い写本では、イエスが弟子たちを叱責する言葉が省略されていることがあります。このような異同は、初期のキリスト教共同体がどのようにこの物語を伝え、解釈してきたかを示しています。

**2. イエスの教えの強調**

編集史的には、この箇所はイエスの教えの核心である「敵を愛し、迫害する者を祝福する」というメッセージを強調するために編集されたと考えられます。弟子たちの暴力的な提案に対するイエスの拒絶は、彼の平和と慈悲の教えを強調するものです。この編集は、ルカの福音書全体におけるテーマと一致しています。

**3. ルカの神学的意図**

ルカは、異邦人やサマリア人を含むすべての人々に対する神の愛と救いを強調しています。この箇所におけるイエスの対応は、サマリア人に対する偏見を超えて、すべての人に対する愛を示すものとして編集されています。ルカはこの物語を通じて、初期の教会が直面していた異文化間の緊張を解消しようとした可能性があります。

これらの点を考慮すると、ルカによる福音書9章54-56節の編集史研究は、初期キリスト教における伝承の変遷、イエスの教えの強調、そしてルカの神学的意図を理解する上で重要な役割を果たしています。

今回はここまでにします。お付き合いくださり有り難うございました。

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