突然訪れた別れの日(その1)

今日は長男マッキーの命日だ。
4年前の今日、16歳でマッキーが旅立った。
覚えているうちに、あの日のことを書き留めておきたいと思う。

別れの時は、突然やってきた。

その3年間は、いつ呼吸が止まってもおかしくないような綱渡りのような毎日だった。けれど、本当にその時がやってくるなんて思いもしなかった。
前日の夜、マッキーのサチュレーションはいつもよりも低いのが気になった。
サチュレーションというのは、酸素濃度のことで、呼吸が不安定なマッキーはその数値を計測するのが日常のことだった。
いつもよりもサチュレーションが低かったけれど、マッキーは苦しそうじゃなかった。
いろんな数値が正常じゃなくても打つ手はない。
何度も何度も救急外来を訪れたけれど、結局治療することもなく
点滴一本打って深夜に家に帰る、それが当たり前だった。
だから、数値よりもマッキーが今、苦しそうかどうか、そのことだけを判断基準として救急へ行くかどうかを判断するようになっていた。

サチュレーションが低くても、穏やかに眠っているマッキー。かわいい。

それを見て、私も休むことにした。夜の2時近くだったと思う。
その夜は、夫がマッキーのケアを担当する日だったから、私は別室で眠りについた。
「マッキーのケア」というのは、痰の吸引のこと、そして体位変換のこと。
夜中もケアが必要なので、夫婦で1日交代で担当していたのだ。
「じゃあね、おやすみ。」マッキーの頭を撫でた。


「ママ、起きて!マッキーが大変だよ。」

次女のYuzuの声で飛び起きた。朝8時を過ぎていた。
マッキーのベッドに向かうと、夫が「マッキー頑張れ、マッキー頑張れ」と言いながら心臓マッサージをしていた。
私を見るなり、「救急車!」と言った。
「マッキー、行かないで!」と叫んだのを覚えている。
マッキーの顔はもう青白かった。

119番にコールした。
手が震える。
救急車を呼ぶのは、もう十数回目だったけれど、いつもとは空気が違った。
大学病院にも電話した。
先に電話しておくと、スムーズに搬送してもらえるのを知っていたからだ。

10秒でセーターとジーンズに着替えて、財布とか保険証とか必要なものをカバンに放り込み出かける準備をしてノーメイクを隠すためにマスクをして
救急車が到着するのを待った。

次女でまだ小学生のyuzuは泣いていた。長女で中学生のmeguは「だいじょうぶだよ」とyuzuを優しくなだめていた。
(meguありがとうね)と心の中でつぶやいた。

「マッキー!マッキー!」何度も名前を呼んだ。
救急隊が到着した。AEDを何度も試す。
でもマッキーの顔色は変わらなかった。
救急車へ向かうためにエレベーターに乗ると、私の背中を救急隊員の人がさすってくれた。そんなこと初めてだった。
救急車にお世話になるのはもう十数回目だった。
いつもは私が救急車に乗って、夫は娘たちと自宅で待つ・・・そうしていたけど、この時は二人で救急車に乗った。
人工呼吸器をつけることになるのだろうか、緊急手術が必要になるんだろうか、また辛い決断をして承諾書にサインしなければならないかもしれない、
それなら二人の方が良いと思ったからだ。

運転席の助手席に夫が乗った。私はマッキーのベッドの横に乗った。救急車の中で、マッキーの手をさすった。ずっとさすり続けた。
綺麗な手。真っ白で、指が長くて、とても美しい牧人の手。
ずっとずっとさすった。涙がどんどん溢れてきた。
手をさすることしかできなかった。

「お母さん、アドレナリンを投与しても良いですか?」
救急隊員の人が聞いてきた。
アドレナリンって何だ?
いつもだったら、「それは何のためにするんですか?どんな副作用があるのですか?」と聞く。
でも目の前のマッキーがこれまでとは違うのは明らかで、質問する余裕なんて全くない。「はい。」というのが精一杯だった。

何度かアドレナリンというのが投与された頃、救急車が大学病院に到着した。

(つづく)


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