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居場所を失う

ずっとひとつの居場所として利用していた、ネット上の掲示板が閉鎖することになりました。
お世話になってきたその掲示板の中で、約12年間、ほんとうについ数日前までゆるく日記を書いていました。

その掲示板を利用しはじめたのは中学生のときでした。
その時の自分は文章の書き方を知らず、今読み返すとハチャメチャな文章です。
学校でトラブって不登校になり、家族ともうまくいっていなくて、どこにも居場所がなくて、とにかく死にたかった。でも利用していた掲示板のおかけで、この12年間、自分と向き合って、言葉を書いて、気持ちを表現できるようになって、そしてなんだかんだ今日も生きています。
ずっとわたしの居場所でした。

誰でも匿名で書き込みができるし、目の前に相手がいないから、話せなくなることはないし、だけど見てくれたり、現実で会う大人たちよりもしっかり話を聞いてくれる人たちが掲示板にはいました。
思ったことを自分の言葉で書けること、なかなか相談できない自分にはその掲示板のスタイルが合っていました。匿名(ハンドルネームを使っていたけど)だからこそ、書けることがありました。

心の中でどうしようもできなくて、とにかくどこかに苦しいことを吐き出したくて、でも誰にも言えないから、毎日「死にたいな〜」とか「ほんと辛い」とか「いなくなれたらいいのに」とか「消えたい」とか、思うままにスレッドに書きました。毎日が限界で、生きるのに必死でした。
ほんとうにたくさんネガティブな言葉を書いてきたけど、でもそれでいつも心は救われていました。
今も毎日必死だけど、昔よりは生きやすくなったし、言葉にすることで今何に困っているのか、なぜ辛いのか、12年前よりも自分で考えられるようになったとも感じています。

出会って、知ること

そして、この12年間でいろんな人と出会って、助けられて、支えてもらって、たくさんの価値観と世界を知りました。
掲示板はいろんな人の投稿が読めるから、ほかの人の日記も読みにいっていました。死にたいとか消えたいって書いている人は、わたしだけじゃなくて、それにとても救われたことを思えています。
「画面越しの誰かががんばっているから、わたしもがんばろう」じゃなくて、「死にたいって思ってもいいんだ」、「自分と同じ気持ちをしている人がいるんだ」っていう安心感。
自分だけじゃないことにほっとしました。

それから同じような気持ちをしている人たちと交流したり、気持ちを共有したり、相談したり、傷の舐め合いみたいなときもあったかもしれないけど、でもそれで心が安心したし、なによりひとりじゃないって思えました。


そして、今利用しているSNSたちを使う上で気をつけること、基本言葉だけでのやりとりだから、相手を傷つけるような言葉ではないかを考えたり、誹謗中傷などのやってはいけないネット上のルールやマナーなどは、すべて掲示板から学んだと思います。

今もネット上で知り合った人に会うことは危険であることには違いないのですが、昔よりSNSなどで気軽に繋がれることができるようになりました。
わたしがこの掲示板を頻繁に利用している時代は、ネットで誰かと出会うなんて危険!という意識が特に強い時代だったと思います。
ネットで出会った人と連絡先を交換するなんて絶対やっちゃダメ!ってもう耳にタコできるほど言われたけど、そこは自分で見極めながら連絡先を交換しました。

幸い、大きなトラブルに巻き込まれたことはなく、電話した人も、メールした人もいます。もうほとんどの人と連絡はとれないけど、今でも繋がっている人もいます。実際に会った人もいます。
そのときの喜びはもうすごくて、ほんとに会えるなんて思っていませんでした。会えたのは社会人になってからがほとんどだけど、それまでの数年間、ずっと文字だけでやりとりしていた人と会えるなんて。
(ちなみに昨日は、掲示板で出会った友人とあつ森の通信をしました)

同じ辛い日々を過ごした人たちと、現実で会って思うことはいつも「生きていてよかった、よく生きてきたし、よくがんばってきた」です。お互いに。
今も決してすべてがうまくいっているとは言えないけれど、でも、辛い思いをしていた人と会えるって、うれしいよね。わたしたち、死ななくてよかったよね。いつも、そう思います。

居場所の心地よさ

この掲示板をずっと利用してきて、居心地がよかったこともあり、最近になってわたしもネット上に居場所を作りたいと思いました。
これが、polarisの原点かもしれません。
※polarisについては過去の記事をご覧ください。

いつか居場所づくりをやりたいと思っていることを掲示板にも書き込んでいました。
居場所の形はいろいろあるけれど、今はわたしを助けて、支えてくれたこの掲示板のような世界がほしいって思ってしまいます。
いろんなひとと会話できる場所、顔を合わせなくても話せる場所、自分だと知られずに書き込める場所。ほんとうに心地よかったから。
居場所って心地よさが何よりたいせつなのだと思います。

何度も言ってきたけど、ネット上にも居場所があるって思うし、そう思っているからpolarisを作りました。
掲示板でたくさん救われてきたから、現実の世界で救われることが全てではないと思います。

日記は日記帳に書けばいいじゃないと思うかもしれませんが、たしかにそうかもしれないけど、わたしはそうじゃなかったのです。
いろんなSNSがあるからそれを使えばいいかもしれない。けど、ちょっと違うんです。雰囲気とか、そこに住んでいるひととか。居心地の良さとか、ひとりでずっと書き続けるのか、見えない誰かと誰かと共有しあうのか、とか。
あの場所だからこそ書けることや言えることがあって、心地よさがありました。なかなかこの気持ちは伝わりにくいと思うけど……。

ちゃんと心の底から思っていることを自分の言葉で書いて、自分でそのことについて掘り下げて考えることができたし、あとになって読み返して振り返ることもありました。
そのせいもあってか、自分にとってはどの時間にもちゃんと意味があって、辛い時間も苦しい日々も、ぜんぶどこかに辿り着くまでに必要な時間だったんだと思えるようにもなりました。(この価値観を誰かに押し付けることはないですが)

その辛い道中もずっと記録してあって、読めば今でもそのときのことを思い出せます。
わたしが書いて残してきた日々と言葉が、ほぼ全部掲示板の中の日記にあります。どれくらい文字を書いてきたんだろう……。いろんなハンドルネームでやっていたから、もうログを探しても全て見つからないだろうけれど、何万文字?何億文字?書いたかもしれないです。
でももう消えてしまいました。

どんな場所よりも、どんな現実よりも、一番上手に自分と向き合える場所でした。今日までも、ずっと、ずっと、そこがわたしの居場所でした。

これから先のこと

そしてわたしが自分で居場所と認識している場所は、掲示板が全体の50%くらいを占めていたので、正直本気で困っています。
この先どうしよう。今、ちょっと心が追いつかないのです。もうひとりじゃないことはわかっているけど、ひとりになってしまうような、すっごく不安です。

失うって、こういうことだと思うのです。
身近な人が亡くなったような、そんな気持ちに近いのかな。
どこかぼんやりしてしまいます。

ほんとうにたいせつだったんだなって、あとになってさらに思いが強くなりますね。悪い意味ではなく。
なくなるときってほぼいつも急で、じわじわ悲しみがこみ上げてくる。普段からたいせつにしていても、なくなったときの悲しみや後悔はどうしようもないと思います。

ただ、閉鎖する掲示板に出会えなかったら、今こうして文章を書くこともなかったし、今の自分もいなかった気がします。
どうにもならないモヤモヤと辛い気持ちを抱えて、いまでもどこかで彷徨っていたと思うし、もしかしたらほんとうに消えていたかもしれないですね。
でも、今までのことほんとうに全部間違ってなかったと思う。
ずっと死にたかった人間が、今も生きてることですこしだけ証明できていると思います。何度も言うけど、ずっと支えてくれた居場所でした。


実はこの掲示板がなくなることで、これで3つ記事を書きました。
ほんとうに悲しいんだと思います。
昨日、ほんとうに跡形もなく消えてしまったページを見て、なんとも言えない気持ちになりました。

さて、わたしは次の居場所を探さないといけません。また居心地のいい場所が見つかってほしい。そう簡単にはいかないと思うけれど。
たぶんnoteではない気がします。かといってブログでもないかな。インスタは居場所にはならない気がしています。
今は瀬田として過ごしている、Twitterが一番、掲示板に近いような雰囲気の居場所です。https://twitter.com/shiro_hibi



これからもいろんな場所で、いろんな言葉を残しながら、自分なりに居場所を作っていくか、見つけるのだと思います。そうするしかない。
出会えてほんとうによかった。12年間、守ってくれてありがとうございました。


polarisも心地よい場所になっていくといいな。みんなにとっても、自分にとっても。



2020.6.26


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