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ベスト・オブ・エネミーズ

こんにちは。倉増哲州です。

ナショナルシアターLIVE 『ベスト・オブ・エネミーズ』を観てきた。
1968年のアメリカを舞台に保守の人とリベラルの人が討論を交わすお話ってぐらいのざっくり浅い前情報しかなかったのですけど、
実は前々から観たいなぁと思っていて楽しみにしていた作品。

作品のテーマがテーマなだけに、二人の人間がそれぞれの立場で討論をするといった、割とストイックな作品なのかなと、観る前は思っていたのですが、
実際はそんなことは全然なく、舞台美術もテレビ局を模して、映像が使われたりと見た目に飽きない、素敵なものだったし、
内容も皮肉、ユーモア、歌あり、そして圧倒的スピード感とテンポで
単純に演劇というエンターテインメントとしてすごく楽しめた。

以下は、ネタバレ含む個人的感想になります。

舞台は1968年のアメリカ。
ベトナム戦争真っただ中で、5年前にケネディが暗殺。
次期大統領を決める選挙の真っただ中。
テレビが白黒からカラーに変わり、そんなテレビで初めて公開討論番組が行われ保守派の人とリベラル派の人がお互いの意見をぶつける。

最初はお互い軽い気持ちや動機で出演するんだけど、だんだんと討論の回数を重ねていく毎に、
視聴者の反響、テレビの影響力の大きさ、何より相手に負けたくないといった気持ちが高まって、どんどん白熱する。

お互いが相手のことをいけ好かないと思いながらも、相手の弱点を知るために、相手の過去を調べ、相手の書いた本を読み…
そんなことをしているうちに立場は真逆だし、テレビで討論を交わせば激論になるんだけど、一番の理解者になっていくように見えた。
右と左というお互いの考え方、立場は違えど、実は陰と陽。
似たモノ同士のように。
例えば、同じ山の頂上を目指しているのに、どの道で登るのかでいがみ合ってるような。

作品は、1968年のアメリカ激動の時代感、空気感を反映するように、
作品もものすごいスピード感で進んでいき、主人公の二人も周りの人たちも
とにかくアクセル全開。討論もアクセル全開。フルスロットル。

そのアクセルをベタ踏みさせるものは何なのか?
お互い共和党、民主党という右と左の立場でそれぞれテレビを通して、われわれ視聴者にむけて自分達の正しさ、相手の間違いを投げかけ、
ついには白熱しすぎて、最後は放送禁止用語が飛び出し、今でいう炎上状態になり番組は終わる。

自らの正当性をテレビで視聴者に伝え、いわば伝道しようとしていた二人。
それがいつしかテレビカメラの前で討論することで、周りからの期待、相手に負けたくないという気持ちが強くなり、自分自身がテレビに扇動されてしまいアクセルを踏むしかなくなった二人。

そして最後の最後。
周りに人もいなくなって、カメラがない状態で二人っきりで話す二人。
周りの喧騒や期待、虚栄心みたいな背負っていたものを下ろして、やっとベタ踏みしていたアクセルから足を離し、ニュートラルな状態に。
やっとただ一人の人間として話す二人。
やっぱり立場は違うけど、ラストは二人で見合って大きく頷いて舞台は暗転。
このシーンでなんだかジーンと来ちゃった僕。
美しかった。

“分断”というのも大きなテーマのこの作品でしたが、
自分が正しいと思ってることでも、だからこそほんとに正しいのか常に自分で自問自答して悩むものだし、
逆に言えば悩み続けないと、別の考えの人の声や意見を聞くことができないし、ともすれば攻撃してしまうようになってしまうのかも。
右とか左とか思想は関係なく、イデオロギーだけじゃなく色んな場面において。

あと秀逸だなあと思ったのは、
作品の中である登場人物が
「討論番組なんてどっちの考えが正しい間違ってるが大事じゃなくて、結局どっちの人間が好きか嫌いかなのよ」みたいなことをいうのですが、

この作品の主人公の二人、
どちらも微妙に好感があって、微妙に好感がない。
なので観ている僕たちも、自身の右寄り左寄りの考えに影響されず
距離感を持ってある意味フラットな立場で作品を観ることができるように
綿密に計算されて作られてるように思った。
だからこそ、観た僕たちは改めて現代の分断について考えさせらる。

と、長々と個人の思ったことをメモ程度にただただ書きましたが、
小難しくは全然なく、エンターテインメントとしてとても楽しめた、よい作品でした。

大阪からみる夕日は綺麗でした。

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