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海とボサノヴァ

真夏だった。

鎌倉駅から由比ヶ浜までの海沿いの道を、夫と二人でおしゃべりをしながら歩いた。おそらく私たちは仲の良い夫婦だと思う。毎日毎日、二人でおしゃべりしているのに、二人の話題は尽きない。
海風が波を越えて私たちを包み、吹き抜けていく。涼しげな風は暑さを忘れさせてくれる。

「鎌倉に住みたかったね」

さいたま市に住んでもう何年も経つのに、鎌倉に行くと、いつも二人でそんな話をする。

夫は神奈川県の出身なので、遠くなってしまった横浜や鎌倉の街のことをよく嘆いている。起伏のない平野のさいたま市では、風はジッとして動かない。その上、再開発地域なので高層マンションが立ち並び、風を遮る。
もう一方で、歴史が深いさいたま市は、開墾され尽くされて緑地が残っていない。熱を帯びた風は、さいたま市に入るとその動きを止めて、熱気だけが留まってしまう。暑さも、さいたま市に馴染めない理由の一つだ。
それでも、私たちの住まいの環境は申し分ない。間接照明をつけてボサノヴァでも流せば、ここがどこなのか忘れてしまう。
雑多な街、東京で生まれ育った私は、環境にすぐに適応してしまう。東京は、人も街も入れ替わりが早い。街への郷愁など味わう間もない、むしろ、鎌倉のように移り変わらない景色にこそ郷愁を感じる。

「いつか鎌倉で暮らそうね」
夫は、いや、男たちは果たせない夢を果たせるかのように語る。私はそんな男の夢物語がとても好きだ。
私は答える。

「アルファロメオのスパイダーを買って、あなたがお買い物の時に運転してね。鎌倉の街を二人で走り回ろうね」

すると夫は楽しげに、「家は披露山に買おうね」などと、高級住宅地の名前を出す。
これで、私たちの夢は叶わないことが決定する。

お互いに顔を見合わせて笑う。
私の気持ちを察した夫は、不満そうに口を尖らす。

由比ヶ浜が見えてきた。

コンサートのステージが組まれ、ステージにはボサノヴァを唄う女性が立っている。彼女の体が「イパネマの娘」を奏でる。歌詞に合わせて唇が優雅に震える。

シャンパンと干したパイナップルを買って、砂の上のチェアーに座る。ボサノヴァの憂いを帯びた歌声が、波間にひびいた。

■自己紹介■

①名前:真冬ジャム

②この夏、行ってみたい場所:松本(ミナペルホネンに行きたい)

③おすすめnote:「パラレルスペック」https://note.mu/mfuyumisaki/n/n87e66f8015f1

ゲスの極み乙女。の曲「パラレルスペック」をモチーフにかいた短編小説です。

④ひとこと:これからも、曲をモチーフにした短編小説を中心にUPします。よろしくお願いします。 

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