見出し画像

聖夜

 石油ストーブの青い炎が揺らめく。私はすっかり暑くなってしまい、ウールの白いタイツを脱いでしまっていた。いつも夕方になると寒がる私を「タイツを脱いでしまうからでしょ?」と言って母は笑った。
 父は仕事から戻ると革の鞄を玄関に置き、街灯を点けに行くと言って家を出た。
 今夜、街灯の明かりを点ける係は我が家の番だからだ。居間でテレビを見ていた私は、父が玄関の扉を閉める音を聞いて慌てて外に飛び出した。水色のウールのセーターと花模様のゴブラン織りの厚手のスカートと裸足にボアの付いた赤いエナメルのサンダル、外気は小さな子供の体温をあっと言う間に奪った。
「お父さん待って!」
 私が父を呼ぶと父は石段の先で振り返り、私が来るのを待っていてくれた。
昭和40年代の東京西荻窪。その頃は、小さな路地はまだ舗装も整備されていなかった。そのような路地の街灯は、背の低い茶色い木の電柱にガラス製の白いカサ、そこに白熱電球が下がっていた。家を出て数メートル行った小さな路地にも、電柱が何本か並んでいた。子供達の間で、その灯りの黒いスイッチをクルッと回すことは名誉なことだった。みんなその電柱を見上げては、あの灯りを昨日点けたのは自分なのだと自慢しあった。父は私をひょいと抱き上げてスイッチを点けさせてくれた。薄暗い路地に、仄かな灯りがともる。
 次の電柱まで父に抱かれて歩くと、父は足を止めた。見てごらん、と東の低い空を指差した。
「あそこにある三つの星見えるだろ、あの星が空の真上に来ると春になるんだ。」
 まだ地上が今ほど明るくなかった東京の冬の空に、オリオン座の三つの星は揺らめくように光を放ち空に浮かんでいた。そして、星を見つめる私の指先はすっかり冷たくなっていた。
 街灯を全部点けると、父は抱き上げていた私を道路に降ろした。外気が一層冷たく感じて、私は小さく身震いした。点灯しました、の伝言を次の係の御宅に伝えに行く。いつも、おばあさんが応対してくれた。私の顔を見るなり、にこやかに「はいはい」と言って銀紙に赤い包みのチョコレートを一つ、私に手渡してくれた。それから私の足を見て「あら、寒くないの?」と驚いた顔をする。チョコレートを手に持った私は、寒さなど忘れて「寒くなーい」と返事をすると、父より先にその御宅の玄関を飛び出して駆け足で家まで戻る。父の「ありがとうございました。」と「おーい危ないぞちょっと待てー」と言う声を背中に聞きながら家までの数メートルを走る。
 家の扉を開けると暖かい空気に包まれる。母は夕飯の支度の手を止めて、玄関の上がりかまちから「あら、また裸足で行っちゃったの?」と息を弾ませた私を見るなり微笑んだ。手に持っていたチョコレートは「お夕飯のあとでね。」とすぐに取り上げられた。父が玄関に戻るころには、私は居間でテレビを見て笑っていた。

 父は一級建築士だった。父は毎日、夜遅くまで図面を引いてた。
 家族の寝室の隣に扉一枚隔てた図面を書く小さな書斎があった。その部屋の扉はいつも少し開かれていて、真っ暗な家族の寝室に図面の上に引く線のような細い光が射し込んでいた。光はセピア色のグラデーションをつけて二本真っ直ぐに伸び、私の布団の上を模様のように照らしていた。父が握る鉛筆が図面の上を走り紙と擦れ合う音を、子守唄にして私は深い眠りについたものだ。
 時代の追い風と父親の仕事の忙しさの中で、家族が希望に包まれた豊かで幸せな時代だった。

 12月には、幼稚園のクリスマス会がある。私が通っていた幼稚園は、キリスト教の幼稚園だった。子供達は、朝に昼にキリストに御祈りを捧げていた。いつも、園長先生がキリストの素晴らしいお話の紙芝居を読んでくださった。その中でも、とりわけ「キリスト様お誕生」のお話はクリスマス会の大切なお話だった。キリストが馬小屋で生まれたシーンは寒く寂しく、子どもの心に強い印象を残した。
 私はいつも、誰もいない礼拝堂の入口に飾られたキリスト生誕の宗教画を飽きることなく眺めていた。 いま思えば、エルグレコのレプリカだと思うのだが、雲の切れ間から荘厳な光が真っ直ぐに伸び、生まれて間もないキリストを照らし、天を仰ぐように聖母マリアが神に祈りを捧げている。あどけない顔で眠っているキリストの穏やかさ、それとは対照的に涙を流す聖母マリア。私は、その二人の表情を何度も見比べた。いつもキリストの生涯を物語として聞いていた私には、聖母マリアの表情が、これからキリストに襲いかかる困難な道のりを予見しているように思われた。クリスマス会は、華やいだ気持ちとキリストへの深い感謝の気持ちの両方を幼い私の心に植え付けていた。
 
 そして、待ちに待ったクリスマス会当日の朝が来た。1番お気に入りの真っ白なビロードのワンピースは、胸のところに切り返しがあり、銀色のレースのリボンがついていた。襟の周りに小さなパールのビーズが二列、丁寧に縫い付けられていて、胸から下はチューリップスカートになっていた。普段は履かない黒い薄手のタイツは、母の履いているストッキングのようで嬉しかった。エナメルの黒い靴はベルトに大きなシルバーのボタンがあり、靴を履いて留めるといい音がした。真紅のベレー帽を被り、チャコールグレーのピーコートを羽織ると、クリスマス会のお出かけの準備が整う。今日はキャンドルサービスと音楽演奏会がある。トライアングル担当の私は、ワクワクしながら幼稚園に向かった。
 礼拝堂の長い窓は、黒いビロードのカーテンで締め切られた。キャンドルサービスは、クリスマスの恒例だった。子供達は白いキャンドルを慎重に持ち、隣のお友達から火を移す。キャンドルの薄橙色の灯りを消さないように、キャンドルを持つ手を気にしながら、私たちはキリストのために讃美歌を歌った。先生の演奏するパイプオルガンの音が、礼拝堂一杯に響き渡る。私はその音色も、私たちの歌声も、より一層美しい音色を奏でて神様の元に届くのではないかしら、と思っていた。演奏会のときに先生が子供たちの胸に、柊のブローチをつけてくれた。私は、赤い可愛らしい実を指で弄んでは緊張を和らげて、出番を待っていた。ステージから母を一生懸命探したが、見つけられなかった。トライアングルは、練習通りに打っていたつもりなのに、一度だけ違う場所を打ってしまった。私の間違えて打ったトライアングルの音が、いつまでも残響音になって広がる。私は急に心細くなり、目に一杯の涙を溜めたまま演奏を終えた。演奏会のあいだは悲しくて仕方がなかった。
 すべての発表が終わった。
「今日はサンタさんが、早めに来てくださって皆様にプレゼントをくださいました。」
 子供たちから歓声があがる。園長先生は、少し大きなクリスマスプレゼントを配ってくださった。私はプレゼントを受け取ると母のもとに駆け寄った。さっきは見つけられなかった母が、優しい微笑みで目の前にいた。母は「トライアングルが上手に出来ていたわね。」と言いながら、そっと手を繋いでくれた。先ほどまでの心細さは、すぐに忘れてしまった。嬉しくて、ほっとして、私は急に明るい気持ちになった。
「神様も、キリスト様も、聖母マリア様も、今日はきっと幸せな気持ちね。」私が母に言うと、「きっとそうね。神様も喜んでいらっしゃるわね。お家に帰ったら、叔母さまがケーキを届けに来てくれるわね。」と微笑む。毎年恒例の我が家のクリスマス会のことを急に思い出した私は、「このワンピース、ずっと着ていてもいい?」と母にねだった。母は少し困った顔をして、それから思い付いたように「エプロン付けましょう。可愛らしいエプロンを作ってあるのよ。」と言った。私はワンピースよりもエプロンのことがずっと気になって、わくわくしながら家路を急いだ。

 母の手作りのエプロンはサイケデリックな花模様だった。「白いワンピースより紺色のジャンパースカートがいいわね。」と叔母にも諭された私は、白いワンピースを素直にハンガーに掛けた。
 私にとっては、ハンドクリームの香りのする母の手は、魔法の手だった。お手玉、ビーズ刺繍の口金バック、クリスマスオーナメント、みかんの入ったミルクゼリー、バニラフレーバーの甘いクレープ、ジンジャークッキー、全部母の手作りだった。
 同じ頃、優しかった祖母が亡くなった。母は、祖母をとても尊敬し信頼していた。私は母から、女学校時代の優秀だった祖母の逸話を何度となく聞いた。
寒い朝に訃報の電話が鳴って、それから母は毎日泣いていた。それでも、食卓には丁寧に作られたおかずが並び、不安そうに母の顔を覗き込む私に、母は慌てて涙を拭い微笑んでくれた。

 あの頃の母が、いまの私よりもずっと年下で世間知らずのお嬢さん育ちだったことは、アルバムの写真を見ればわかる。少女の面影が残る母が幼い私の肩を抱き、モノクロームの写真の中で、少し不安そうに微笑んでいる。そして、私にとっての拠る辺は、そんな面影を残す母だった。すっかり安心しきって母の腕にもたれた私は、満面の笑みでカメラにピースサインを送る。
母は、ひた向きに子育てをしていたと思う。
 いまよりうんと不便な時代に、いまより情報も少ない時代に、まだ二十八歳の若いお嬢さんは、優しいお母さんだった。

 ずっと昔のクリスマスの思い出は、父と母が親になっていく物語でもあった。
 今夜は、両親の奮闘に心から感謝して、静かに聖夜を祝う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?