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湖畔をぶらぶら散歩して、もくもくじっくり制作した

こんにちは。お久しぶりです。

湖で行なった2回目活動の記録を書きたいと思います。前回の活動の記録はこちらです。今回は湖畔をぶらぶらとお散歩をしながら、写真を撮り、ノートに絵や文字をかき込んだりしたのちに、短歌を10首詠むことを目標に活動を行いました。そして、帰宅後にその短歌をもとに、モビールの制作を行いました。

1回目と大きく異なる点は、デザイン専門家のYさんと2人でフィールドワークを行なったことです。複数人で歩くことによって、同じ場所でも、歩くルートや注視するものがかわりました。

1.湖畔をぶらぶら散歩する

前回とは打って変わって、薄暗くとっても寒い一日でした。風も強く、耳元で常にゴウゴウという音がしていました。天候が悪い上に、平日だったことも相まって、人の姿は一切なく、その代わりに湖畔にはさまざまな鳥たちが羽を休めていました。

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この鳥たちとは絶妙な距離感を保ちつつ、湖畔を練り歩きました。私たちがちょっと好意を持って近づくと、ぷ〜んといった様子で素っ気なく湖へ泳いでいきます。いたるところに鳥はいるので、終始鳥たちに翻弄されました。

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一方、いつもそこにいる、柳の木はまるで絵画で描写されている嵐の日の木のような角度で風を受けていました。この姿をみてそもそも、木自体が湖に向かって成長していることに不思議な感覚を覚えました。まるで、風に向かって反発して育っているようです。

他にも、寒空の下、枝をかき分けて砂浜を歩いてみたり、湖畔にある二重の塔を参拝したり、藤棚に実る豆のようなものに釘付けになったりと前回とはまた違う湖畔を味わいました。

その活動の記録がこちらです。

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とにかく人のいない湖では、自然界とそこに生きる生き物たち、そしてそのほかの私たちというような人に入り込む余地はない圧倒的敗北感を味わいました。その要因として考えられるのは、やはり天候が悪かったことです。天気は人が介在できないものであるため、その威力が強かったことで環境がどのようになっているのか、ほかの生き物はどんな行動をしているのか、そのような点が気になりながら、メモをしていました。

2.短歌を詠む

今回はぶらぶらし終えると、拠点に戻りメモや写真を見て振り返りながら、短歌を詠みました。今回は10首その場で詠むことを目標に、デザイン専門家Yははじめて短歌を詠むため、まずは5首を目標に詠みました。

詠んだ短歌がこちらです。

洞爺湖にばん

3.モビールをつくる

このフィールドワークを経て詠んだ短歌をもとに、連想するかたちをまずはスケッチしました。

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そして、短歌をひとつ選び、その短歌をイメージしながらモビールのスケッチを行いました。

選んだ短歌は、
湖上にはふんわりと浮く鳥がいる柳が揺れる砂が飛び散る です。

この短歌は、湖の水しぶきに混ざって砂が飛んでくるほどの悪天候の中で、鳥たちはのんびりと風に身を任せて飛んでいて、その様が浮いているようだった情景を表しました。

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このスケッチを参考に、1度目に制作したモビールがこちらです。

湖上にはふんわりと浮く鳥がいる柳が揺れる砂が飛び散る

使用した素材は、流木、軽石、糸、針金、トレーシングペーパー、段ボール、カラーテープです。

左側の針金で痛いほど強い風を受けて揺れる柳を表しました。柳の揺さぶられている様子と反して、右側では、風の中、浮いているように飛ぶ鳥を半円の丸みで表し、湖の砂を軽石で、水しぶきをカクカクに折った色付きのテープで表現しました。ぐるぐる巻きになっている白いものはダンボールを用いて渦巻く風を、長方形の紙はトレーシングペーパーで、天候の悪い湖の前では儚い存在となる人間と表しました。木は湖付近で拾った流木の朽ちてしまった静けさがこの日の様子に合っていたため、使用しました。

4.振り返り

この活動の中で、わたしとYのぶらぶら中のものの見方が異なっていたことがわかりました。簡単にいうと、わたしは見たものに対してことばをイメージしながら物事を見るのに対して、Yはかたちをイメージしながら物事を見ていたのです。

わたしは見えている事実を記録する中で、心の動く出来事に対して,瞬間的に湧いた感情にしっくり来る言葉を回想しながら探しました。例えるとすると、日記を書くような感覚でメモを取っていました。
ですがYは、当初かたちをイメージしながら物事を捉えていましたが、短歌をつくるためのぶらぶらであるという意識をもつと思考が変わって、自らの心を動かしている目の前の事象をそのまま見るのではなく、隠喩と換喩による見立てになりそうなものを手探りしながら見るようになっていったと言っていました。

このようにわたしとYの間には、目の前の光景に対する捉え方に違いはあるものの、省察的な実践を行なっているという共通点を発見できました。

また、ぶらぶら散歩の後に、学芸員のMさんを交えて詠んだ短歌を囲んで話し合ったことでも、新たな発見をすることができました。Mさんは、私たちの短歌を詠んだ際にこう言いました。

「短歌を詠むことは昔でいう写真技術ですね。カメラのシャッターをきるような。短歌を詠むともう忘れないよう切り取るし、切り取れる。でも、短歌が写真と異なるのはそれぞれの経験によって景色をつくり直せるから、一人一人が違う景色を持てますね。」

このような言葉をいただき、短歌をモビール作りに組み込む意味を見つけることができました。

それは個々の中で詠んでいる際に生々しい鮮やかな情感や情景を残しつつ一旦収束させますが、他者と混じり合ったときにそれらは解放されて、他者の記憶と結びつき、拡散されていきます。つまり、短歌はデザインプロセスにおいて議論を拡散させるために用いることのできる道具であることがわかりました。

5.おわりに

この活動を経て、わかったこと、さらに問わなければならないことの発見がたくさんありました。情感を含んだデザインを短歌からつくったモビールでどのように受け取り手に伝えてゆくのか、デザインプロセスを見直したり、モビールづくりでの試行錯誤を繰り返すことをこつこつ行いつつ、実践の記録を更新していきたいと思います。

つづく!

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