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色のメッセージを受け取る#10「成熟した大人の愛」の色マゼンタ

「今日も誰かが、花を供えてくれていた。その人が来たのは2-3日前のようだね、花がまだ新しい。仏花の一番安いものを一束買って、それを半分にしてお供えしたみたい。誰かが墓参りをしてくれるのは、10月とか11月とか雨の日が多いね。野の花が供えられていることもあるんだよ。一体、誰なんだろう。」

弟から、こんな連絡が入った。母が高齢者向けの施設に入居し、母の住まいの片付けをすべて終えた後、弟はその足で父の墓参りに行ったのである。父の命日は12月29日。そして今日は10月31日だ。きっと、その人は月命日の29日にお花をもってお墓参りに来てくれたのだろう。そして私には「きっとあの女(ひと)」とすぐにわかった。あの時のことは、弟は幼くてまだ事情がよくわかっていなかったのか、それともつらい経験だったので記憶していないのかもしれない。

あの時のこととは、私が中学生から高校生にかけての時期のことである。4-5年間だったろうか、父は愛人と別宅に住んで、ほとんど家には帰ってこなかった。父は時々荷物を取りに自宅に戻ってきては、その度に母と大喧嘩をしていた。時に父が家に泊まることがあり、そんな際は、その女性が私の友人を装って私に電話をかけきた。「お父さんを呼んで」と頼まれたのである。

私は18歳で家を出たが、その後は帰省すると父は家にいたので、「あの女性とは別れたのだ」と思ったし、親戚のおばさんがこっそり「あの人は嫁にいった」と教えてくれた。それでも娘の私から見て、両親は仲の良い夫婦には見えなかった。父が運転する車に母が乗ることはなかったし、一緒に連れ立って出かけることもなかったようだ。

先日、母の住まいの後片付けをしていると、父の遺影が出てきた。かなり大判の遺影である。処分するに忍びなく、母が住む部屋の棚に飾っておいた。ところが、翌朝行ってみると、その遺影は床におろされ、しかも裏返しにされていた。父の顔が見えないように置かれていたのである。母は高齢のため、認知能力はかなり衰えている。それにもかかわらず父の顔は見たくないという感情は残っているらしい。本能的に、父の写真を裏返しにして床に置いたのだと思う。父は母と良い関係を築くことが出来ないまま、30数年前に亡くなった。

弟から「供え人知らずの花」の話を聞いて、父にとってのよき理解者は母ではなく、その愛人の女性だったのかもしれないと思った。昔の地方新聞には一般人の死亡者名簿が記載されていた。その女性は、父の死を新聞で知ったのだろう。そして命日を避けて、ひっそりと月命日にお花を供えてくれるようになったのではないだろうか。

父は、幼いころに実母を亡くしている。義理の母と腹違いの弟とは、疎遠だったので孤独な子供時代を送ったらしい。父は、ずっと実母の面影を追って生きていたのかしらと思う。そんな父の色は、「愛してほしい、かまってほしい」のピンクだろう。

ピンク色の父の良さを引き出してくれるのは、補色の緑色の特質が強い女性のはずだ。調和を重んじるナチュラルな雰囲気の人だ。ところが、父が妻として選んだ私の母は、コーラル色の女性である。繊細で傷つきやすく共依存の関係をもとめる女性だ。そんな母は、父の切実なピンク色の思いを受け止められなかったのだと思う。

私の母は、人生についての奥深い話が全くできない女性だ。私にとって、母と話が通じる話題は「これ、おいしいね」「この服いいね」という食べ物やファッション、そんなわかりやすいテーマだけだ。そんな母に、父は物足りなさを感じていたのだと思う。その愛人の女性は、父にとってはピンクの人特有の寂しさ「愛してほしい・かまってほしい」を埋め合わせてくれる大事な人だったのかもしれない。

その女性は、そろそろ80代かという年齢だ。「一番安い仏花一束を半分にしてお墓に供える」から察すると、つつましい生活をされているのかもしれない。父と別れた時は、遠く離れた実家に戻ったとも聞いている。今は遠方から何時間もかけて、お寺に来てくれているのだろうか。父との同棲を解消してから、かれこれ50年がたつ。それでも、父のことを想っていてくれるのだ。そんな彼女からは、ピンク(赤)に紫が混ざった「成熟した大人の愛」の色、マゼンタを感じる。もしかしたら、緑色も上手に発揮できる女性なのかもしれない。そんな女性と知り合うことができて、父は幸せだったに違いない。

「このお花、一体誰なんだろう」といぶかる弟には、この話はせずにおこう。愛妻家で家族思いの弟には余計な話だ。

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