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ドイツ歌曲の話 詩人の恋 Dichterliebe #21 終曲、ドイツ名所めぐり


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Die alten bösen Lieder, 
Die Träume bös‘ und arg,
Die lasst uns jetzt begraben,
Holt einen großen Sarg.

むかしの忌まわしい歌と
いまいましい夢
そいつらを葬り去ろう
大きな棺を持ってこい

Hinein leg‘ ich manches,
Doch sag‘ ich noch nicht was;
Der Sarg muss sein noch größer 
Wie‘s Heidelberger Fass.

そこにいろいろ入れるが
今は何を入れるかは言わない
ハイデルベルクの樽よりも
大きな棺が必要だ

Und holt eine Totenbahre
Und Bretter fest und dick,
Auch muss sie sein noch länger,
Als wie zu Mainz die Brück‘.

棺台を持ってこい
丈夫で分厚いやつを
マインツの橋よりも
まだ長いのを

Und holt mir auch zwölf Riesen,
Die müssen noch stärker sein,
Als wie der starke Christoph,
Im Dom zu Cöln am Rhein.

12人の巨人を連れてこい
ケルン大聖堂の
聖クリストフォロスより強い奴らを

Die sollen den Sarg forttragen,
Und senken ins Meer hinab;
Denn solchem großen Sarge
Gebührt ein großes Grab.

奴らは棺を担いで
海にどぼんと投げ落とす
そんな大きな棺には
大きな墓が必要だ

Wisst ihr, warum der Sarg wohl
So groß und schwer mag sein?
Ich senkt‘ auch meine Liebe 
Und meinen Schmerz hinein.

なぜ棺がそんなに大きくて重いか
君たち分かるか?
僕の恋も悩みもその中に入れたからだ。


いよいよ終曲。

四分の四拍子。嬰ハ短調。前曲の平行調。Ziemlich Langsam かなり遅く。

ジャーン!
ジャジャーン!
ジャジャーン!
ジャジャーン!

という大層な前奏に続くのは、♩♪♪という、民謡調のリズム。
なんか田舎のチャチな芝居小屋の幕が上がったような感じがする。

昔の忌まわしい歌って、あの彼女が歌ってた歌でしょうか。5番とか10番とかの。彼女はきっと歌が好き。
いまいましい夢、これはこれまで三曲も夢について歌ってます。
そいつらを葬ってしまえ!大きな棺を持ってこい!歌の中での詩人はとても偉そう、強そう。

その棺はハイデルベルクの樽よりもより大きくなくてはいけない。

棺台はマインツの橋よりも長くないといけない


ケルン大聖堂の聖クリストフ像より強い巨人12人がかりでその棺を運ばせろと

聖クリストフォロス像って、金剛力士像みたいなのかと思ってたら違いました😅
ドイツ民俗学小辞典によると
「ペスト、伝染病の守護聖者で、船頭となって貧しい旅人を渡し、最後に幼児姿のキリストを渡したとの伝説から、船人、いかだ師、近年ではドライバーの守護聖者、だそうです。」

伝染病の守護聖者。頼りたい。

それよりも強いのを12人連れてこいというわけです。
12人の巨人と調べると、こういうのが出てきましたが、面倒で読んでません。どなたかどうぞ。


その度に音楽は全音ずつ上がりながら
こういう上行系。

まずはホ長調で「ハイデルベルクの樽より大きい」
そして嬰ヘ短調「マインツの橋よりも長い」
ト長調「ケルン大聖堂のクリストフォロスより強い」

歌い手はこういうの単純にテンション上がります(笑)

その巨人たちが棺を海に投げ落とすまではある意味単調で、雄々しかった音楽が、(雄々しいと言ってもどこか田舎臭い)最後に二段構え、いや三段構えの結末。

なぜそんなに棺が大きいのか、君たちわかるか?

「君たち」、世間の人々、と言っていいのでしょうが、詩を読んでいる人、歌を聴いている人には突然自分に話が振られたような感覚を覚えます。

pで低音でうめくように。そこまでかなり高音で声を張って歌っていますから、実際うめき声にならざるを得ません。そこまでわかっていたか、シューマン。ピアノは今までになかったシンコペーション。


そしてオクターブ上がり、シンコペーションもおさまり、


僕の恋も僕の悩みも棺に入れたからだ

ここはLiebeは愛ではなく、恋と訳したいですね。ニ長調が美しい。
「僕の」で減七、「悩み」で振り切ってイ長調に行くのも美しい。

恨み、強がってきた詩人が最後につぶやくあきらめ。もう全部手放そうと。

それをやさしく受け止めるかのように長い長い後奏がはじまります。それは12曲目「夏の朝」の後奏と同じメロディ。

四分の六拍子、変ニ長調に転調。

「夏の朝」は八分の六拍子で、変ロ長調でした。全く同じにしなかったのはなぜなんでしょうね。四分の六拍子はあまり使われない拍子だと思いますが、古い時代を意識するときに使う、と習ったことがあります。


リサイタルでご一緒するピアニスト内藤晃さんの考察で、このチクルスを終えたいと思います。


「音楽が、詩人の一人称から、一瞬、花たちの視点に切り替わる(Sommermorgenの後奏は、花たちの問いかけを受けたもので、花の視点になっている)。そのあと、レチタティーヴォでふたたび詩人の視点へ。下降形にターン音型(バロックで言うところのCirculatio)で、気持ちは沈みつつも思いを巡らせ、しかも高いところに跳躍しようとする。これは、前を向こうとする気持ちを象徴するようでもあるし、彼女とのことを遥か彼方の思い出へと昇華させようとしているようでもある。そして、穏やかな諦観。の中にも、sus4の掛留で、わずかな未練が最後まで暗示される。
ターン音型は、シューマンが献呈やアラベスク、子どもの情景終曲、クライスレリアーナなどで頻繁に使っている、憧れの表現…かも。これ自体が、未練…?

週末はぜひこちらへ




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