日本版DBSは果たして効果があるか

性犯罪歴の有無を確認することのできる「日本版DBS」の骨子が判明したとの記事を受けて、私感を記したい。


そもそもDBSとは、イギリスの前歴開示サービスのことを指している。就業前に犯罪歴がないかを確認する目的である。
日本でも、ベビーシッターサービスを提供する某社に前歴のある男性シッターが所属していたことが問題となり、導入の議論になったと考えている。

私個人としては、日本版DBSの導入に賛成する。しかし、その全体の流れについては違和感を感じている。

この法律の最大の焦点はどこにあるのだろうか。
性犯罪の抑止なのか、それとも性犯罪歴を有する人間に対する(公共の福祉を御旗にした)職業制限なのか、(性)犯罪者の社会復帰の制限か。
これらが全て混じった上での議論となっているのが、ややこしさを増しているのである。

学校、保育所、学習塾、スポーツクラブ、ベビーシッター等仲介業者など、これらは密接に子どもと関係する。そこで、性犯罪歴を有する人間を雇用しているのは、問題があるだろうから、これには一定の蓋然性がある。
しかし、この日本版DBSの導入=(関わりを断つことによる)性犯罪の抑止というにはかなりの飛躍がある。

それがよくある「自営業者は無意味」といった議論に終始する原因にもなるわけだ。

一般ユーザーにどのように開かれた形で提供されるサービスとなるかが未だ不透明のため、判断致しかねるので「ザル法」と指摘するのは土台無理な話であるが、例えばFC塾など(子どもに関するサービスを提供する事業者)は当然ながら反社チェックを兼ねて(現時点でも公示情報を元にした検索を)実施していることは当然である。

また何かしらの犯罪歴を有している人間が、それを偽名などを使用しない限り、隠し通せるとも思わない。(尤も、遠くの土地でということになれば話は変わるかもしれないが、現実的に環境が異なりすぎて同等のサービスを提供は不可能であろう)

これが私にとって自営業者~の発言において、イマイチ納得感のない部分である。そう思うなら、その事業者を選択しない自由もあるわけだから、自分がその公示情報を検索する自由もある。なぜすべて国に任せようとするのか。導入後に、小規模事業者で認定を取れない(費用面か手続き面かは分からないが)のであれば、それを避ける自由もある。
結果的に自分の身を自衛することを、他者に委ねようとしている点で、結果的に犯罪に巻き込まれたときに、あたかも自分には問題がなかったと認識させようという姿勢が見え隠れする時点で、そのそうな言説を唱える人間を私は信用も信頼もしたくないのである。


続いて、職業制限の話である。
職業選択の自由は憲法第22条に先に書いた通り、「~公共の福祉に反しない限り、~」と記載のある通り、公共の福祉によって制限される。

ではこの公共の福祉をどのように解釈すればよいのか、という問題がある。
つまり、犯罪歴を骨子案では10年ないし20年は遡ることができるようにするとあるが、何を以てこの10年、20年と言っているのかである。そこに合理性が存在しなければ、違憲となる可能性もあり、まだ議論の余地がある。

これは上記の社会復帰の制限にもつながる。
結果的に社会からの排除が進めば進むほど、再度犯罪に手を染める可能性も高まるだろうし、犯罪抑止の観点から考えればおよそ正しいとも言い切れない可能性がある。

そもそも刑期を務めた時点で、罪が「消滅する」という言い方も正しくないように思うが、裁かれる理由は不在である。特に不起訴になっていれば尚更である。それが、一定の制限を受けるというのは、どのように解釈したら良いのだろうか。

よくこの論を展開すると「そもそも犯罪を犯さなければ良い」という議論になるが、これも正しくない。
それが恣意的であるかどうかは関係なく、いつ自分が犯罪者となるかはわからないためである。ここ数日も世間を騒がしている誤認逮捕もあれば、やってもいないことを強制的に認めさせ、冤罪が発生している現状もある。

これは人定法であり、裁くのも人であるからその限界であるというのはある意味で仕方ないことなのだが、そういった見過ごせない事実がある以上、これが犯罪抑止につながるかと言う観点から考えれば、不明である。


何れにせよ議論の方向性をしっかり見定めて、推移を見守りたいと思う。

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