主夫の日記 1999年11月20日

11月20日 真昼の訪問者2

前回、真昼の訪問者として新聞勧誘員のことを書いたが、今回はもう一つのお馴染みさん、布教活動をしていらっしゃる方々のことを書いてみたいと思う。

これにも二通りのタイプがある。奉仕活動の為の寄付をつのって、ハンカチ等を売るタイプと、ただ単に小冊子を配って、色々とその教えを説いてまわるタイプである。

前者はある意味、ハンカチのセールスマンだと思っていただいて良い。

だから、こちらがそのものを買う意志がないことをハッキリと伝えれば、意外に素直に帰って行く。

ちなみに私自身、そうして自宅に来たり街角に立っている募金活動には応じないことにしている。

結構、~救援金とかか書いてあっても、使途が不明なものが多いらしいからね。

でも、カブスカウトとか子供がやっているのには弱いのよね~(^^;。

バスに乗る前なのに、小銭を全部募金しちゃったりして.....。

でもまだ、お札は寄付したことはないのだ。もう少しお金持ちになったらね(^^;。

話をもとに戻すと、2番目は教えを説いてまわるタイプであるが、この方々と話をしてまず思うのは、目の表情が皆同じということ。

一見温和な感じだがその奥には、「可哀想な小羊」を導いてあげようという、ある種のエリート意識が見えかくれしている。

そして、話すとそれはさらに強く感じられるようになるのである。

彼らのすごい所は、たとえこちらが彼らの話の矛盾について質問をしたとしても、あくまで彼らの中での定説をベースに話をするので、決してこちら(既存社会通念)のフィールドにはでてこないのだ。

何をどうひっくり返しても、彼らにとっては彼らの信じる神のみが絶対的な真理なのだ。

しかし、どうしたらそんなに一つの宗教を信じられるのだろう。本当に自分で考えてるのかな?

誤解がないように断っておくけど、私は神の存在を否定してはいない。神、魂の存在、UFO、幽霊、それらを全て否定する程、私は傲慢ではないし、どこかの教授みたいに科学が全能だなんて言うつもりも毛頭ない。

もし人がその宗教によって、精神的にすくわれるのならば、それはそれで良い。

その本人がそう信じて、生きて行く為の心の支えにしていけば良いのだ。

ただ、地球上にこれだけ多くの災害や戦争が絶えることなく続き、多くの人間が悲しみ苦しんでいる限り、それらを全て神の意志だと一言でかたずける宗教など、私はとても認めるわけにはいかないのである。

ある宗教の布教の来た人が、「それらの苦しみは神が人々に与えた試練で、民を試しておられるのだ。」とのたまった。

冗談じゃない。もしその人が言うように全てが神の意志であるのならば、勝手に人を作っておいて試練と言う名の苦しみを与えて、人を試しているということ?

しかも多くの人の死も含めて?それじゃあ、実験室のモルモットと一緒じゃないか。

生まれて間もなく保育器の中で死んでしまった子供はどうなる?

その子は親に悲しみや苦しみを神の意志として与える為だけにこの世に遣わされたと言うのか?

...............こんなことをいくら語っても、彼らの目の表情は変わらない.........。

※この記事は、私が以前自分のWEBサイトの掲載していたものをアーカイブとしてこちらに転載しているものですので、あくまで過去の自分の想いですので、現在の自分の考えとは違う場合もあります。

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