【MeWSS論文コラム】 英文ケースレポートについて

 随分前ですが、ちょっと変わったシステマティックレビューを書いたことがあります。とある治療薬が世界で使われるようになって2−3年経ったころで、その薬に伴う副作用が報告されたケースレポートを網羅的に集めてレビューしました。英語で書かれた文献を対象としてその数は100を超えましたが、残念なことに日本からの報告が一つも入らなかったのです。
 論文の書き方セミナーで質問を受けていると、日本の臨床医の先生方はケースレポートをあまり好んでいないのかな、と感じる場合があります。これは私の個人的な思い込みですが、偉い先生方から「ケースレポートは論文ではない」と言われていませんか?もしくは、エビデンスレベルのピラミッド型の図を見て、レベルが最下位であるというイメージを持っていませんか?
 研究論文の定義は狭くも広くもあり、最も狭いところの「仮説を検証するもの」であるとすると、観察研究の多くは原著論文に入らなくなってしまいます。企業が実施する市販後調査の結果も論文にしますが、これも仮説があるわけではなく、報告することが主目的です。しかし、専門家に向けて最新の情報を素早く提供することが重要であることは言うまでもないことでしょう。ケースレポートも同様です。
 ちょっとエビデンスレベルの話をします。これは、ガイドラインやシステマティックレビューを作成するのには不可欠な要素です。研究デザインによってバイアスのかかる割合を考慮し、よりバイアスリスクの低いエビデンスのポイントを高くします。でも、あくまでバイアスのリスクが低いというだけのことであり、研究や論文のレベルを言っているわけではありません。臨床研究ではRCT(ランダム化比較試験)が最高レベルに位置します。確かに恣意的な操作の入る余地を排除し、パワーを計算して統計的有意差が言えるデザインであり、バイアスリスクが最も低いと言えます。しかしそもそもRCTは、有効性や安全性が見られるような患者さん群を対象とするよう大変注意して設計されており、全ての問いに答えを与えるわけではありません。臨床試験で対象とならなかった患者さんに対して、有効性や安全性がどうかということは、実臨床で得られた結果を報告してもらうしかないのです。一つ一つ小さな結果が世界中から報告されて、国や人種による違いがあるのかないのかも議論ができるようになります。

 日本人の給与レベルは、2022年データによるとOECD加盟国の平均値を下回りましたが(1)、その一方で平均寿命は世界一長く、先進国の中でも死亡率は低いと言えるでしょう(2)。 理由の一つは国民皆保険の制度にあると推測します。病気の種類や罹患率はおそらく先進国の中ではそれほど大きな違いはないと思われますが、この制度のお陰で多くの国民が何歳になっても学会が推奨する医療を受けることができ、一つ二つ持病を抱えながら長生きする国民が大多数を占める。そういった特徴ある疫学的バックグラウンドをもつ国なのだと考えます。似通ったバックグラウンドの人が多いこの国で、コホート研究をやると面白い研究ができるんじゃないかと想像するのですが、こういう大規模なスタディは立ち上げだけでなく、継続するのがとても難しいです。であれば小さな論文でも、一人ひとりの患者さんの治療とその転機、安全性に関する注意点などについて、日本のバックグラウンドを紹介しつつ、世界にひとつひとつ発信してはいかがでしょうか?
 前回のコラムで、オープンアクセスの英語論文であれば、その雑誌のIFがどうであろうと、世界中の人に読まれる可能性があると書きました。ひと昔前のように、著名な雑誌を購読してそれだけを読んで情報収集するという時代ではなくなっています。興味のある専門領域に関わる論文が出たらアラートがくる設定にしている方も多いでしょう。人事評価にはIFポイントは重要かもしれませんが、情報発信という意味では、英語論文でさえあればそれでいいのだとも言えます。
 ケースレポートをどのように扱うかは雑誌によって大きく違います。もちろん雑誌によっては、論文扱いしていないところもあります。一方で情報共有を重視している雑誌もたくさんあるのです。
 論文を書くのには、統計学的手法を駆使して何か有意差を見つけるところから始める、とお考えの先生方がまだ多くいらっしゃるようです。それよりも、ご自身が日常力を入れている臨床の中で、世界中の人と共有したい何かがあれば、まずそれを発表してはいかがでしょうか?そういった報告が積み重なって仮説の提唱につながり、やがてはその検証のため前向き試験の立ち上げ、となっていくと嬉しいです。

(参考)

(1) 

https://www.oecd.org/tokyo/statistics/average-wages-japanese-version.htm

(2)