【MeWSS論文コラム】 AIで論文は書けるのか?

 システマティックレビューにAIがどこまで助けになるのか、色々試してみましたが、想像以上に役に立ちました。search strategyはこれまで自分で作っていましたが、漏れがないようにと考えると色々調べる必要がありますし、時間もかかります。それをChatGPTに頼むと一瞬で提案してくれるので、これは使わない手はないです。
 一方テーマ(クリニカルクエスチョン)についての提案は、残念ながらそのままでは一般的過ぎたと言えます。既に世の中に公開されている情報から導き出されるものなので、オリジナリティを求めるのはそもそも無理でしょう。
 原著論文についてはどうでしょう?
 製薬会社主導の臨床試験、いわゆる治験や市販後調査(PMS)といった研究結果については、もういっそのこと全部AIに書いてもらった方がいいのではないかと、個人的には考えています。企業主導の臨床試験の論文著者には、企業の担当者が加わることが基本的に認められません。客観的であることを重視するあまり、その研究の責任の所在が論文上不明瞭になるという矛盾が生じています。統計解析的に言えることと言えないことが明確で、それ以上を述べることは認められません。さらに治験については、オリジナルのプロトコールやデータの提出も論文投稿と同時に求められますので、極論すれば、プロトコールと解析結果をそのままフォーマット通りにAIに書き入れてもらった方がいいと思うのです。私は近いうちにそうなるだろうと5年以上前から予測していたのですが、2024年6月の時点ではなぜかまだそこまでには至っていないようです。

 人が論文を書く意味はどこにあるでしょう?
 生成AI開発企業であるAnthropicの共同経営社Dario Amodeiへの、The New York Timesの記者によるインタビューを聴きましたが、印象的だった質問は「今4歳の子供たちは、AIのある社会においてどんな役割を果たすように学んでいくべきか?」「今と同様、1st Draftは人間が用意する、と考えていいのか?」でした。
 この質問がまさに核心だと思います。
 AIの開発者は、なんでもAIに任せられる技術開発を常に目指しており、技術的にはごく近い将来そうなるだろうと言います。
 AIをどのように利用する社会を人間は理想とするのか、今早急に答えを出さなくてはなりません。技術が先行してしまったら人は便利な方に流れるだけです。
 臨床現場でもAIが加わることで大きく改善された技術がたくさんあるでしょう。それでも一人一人の患者さんに対して最良の医療を提供するのに人間の医療者が必須であることは、AI技術者であったとしても反対しないと思います。
 医療と医学研究論文は同じ位置にいるべきだと考えます。
 今ある医療技術をより良いものとするためには、現場で患者さんを見ながら、足りないところを見極めるところからしかスタートしません。そして事実と推論、その検証を論文として公開しないと次に進まないのです。
 医療が人でしかなし得ないのなら、論文も人にしか作れません。書くこと自体は自動翻訳なりAIなりで今後もっと簡単になっていくでしょう。でも、何を「未解決の問題」とするかは人が考えることです。
 普通の論文ならAIでも書けますが、良い論文とは、その研究の出発点としての問いを読者が理解でき、研究から得られた事実が客観的に述べられ、かつ根底に患者さんへの思いと医療への熱意が流れているものです。
 これまで蓄積してきた共通の医療データから、今のトレンドにあっていてかつ統計解析したら有意差が付きそうなこと、という観点で論文を書くのならAIに任せた方が早くできるでしょう。世界中で同じことをやる人たちがたくさんいると思います。ジャーナルを選ばなければどこかに掲載されるかもしれません。
 担当の患者さんの治療の中で新しい何かを見つけた時、それを世界に発信するのは簡単ではないかもしれません。日本の医療事情や患者さんのバックグラウンドを説明しなくてはなりませんし、患者数が少なければいいジャーナルからは評価されないでしょう。それでも、世界のどこかでかならずその情報が役立つはずであり、そこからガイドラインの新しい項目が作り出される一歩になるかもしれません。こういう最初の一歩の論文は、AIには絶対に作り出せないでしょう。