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自分の恋愛分析記録1

ある程度は殿方も寄ってきて、全く恋愛のチャンスがないわけではない。
序盤は余裕のよっちゃんなのに、一瞬で沼にハマってしまうのは何故か。
これまでは自己肯定感の低さと結論づけてきたこの問題に対して、
新たな見解が生まれたので記録に残したい。

「わたしをみて!」

この恋愛の拗らせようの原因は幼少期の親への不満から来ているのではないかと考える。
それを紐解くにあたり、まずはどんなふうに拗らせているのか紹介したい。
私の恋愛の特徴として以下の点が挙げられる:
・好きになってくれた人を好きになる
・セックスは愛情表現の一つである(体を求められる=愛情)
・好きならこれくらいしてくれるでしょ?という期待、試し
・欠点探し... etc
以前は、好きになって付き合って、関係が深まっていくと
相手と自分の境界線が曖昧になってしまったり、非常に危険な関係を構築するのが得意であったが、今はそんなことはないと信じたい。

前置きが長くなったが、結局相手に何を求めているかというと
私を好きだという、愛しているという証拠提示だ。
連絡をくれる、行動で示してくれる、それだけでは足らないらしい。
とにかく、いろんな言葉と行動で自分への愛を示してほしい。
この思いが幼少期の自分が親に抱いていた感情そのものだということに気づいた。

私は四人兄弟の長女で、3歳にならない頃からどんどん、どんどん妹や弟が増えていった。両親は共働きで、家を開けがち。
夜に帰宅しても、妹や弟の面倒に時間を取られてしまって
私と何かする時間はほとんどなかったように思う。
母親の口癖は、「四人ともみんなを均等に愛している」だった。
本当はすごく寂しいし、もっと構って欲しかった。
が、その言葉を疑うのも失礼だと幼いながらに思っていた私はとにかくいい子でいたらいいと、そのあたりの親と密な時間を過ごしたい欲は押し殺してきた。反抗期も迎えることがなかった。

幼い頃からずっと消えることのなかった
「わたしと遊んで」、「わたしの話を聞いて」などという
親からのアテンションの欲しさ。
ちゃんと自分のことを見て欲しかったんだと思う。

こんな不満や欲望が、恋愛をする相手に対してなぜか出てきてしまうんだ。
意識しているわけではないし、どうしてなのかはわからない。
(心理学マスターの方がいたら教えてほしい。)
以前、愛着障害という本を読んで、まさにこれだと思った経験があるので
多分そういうことだ。

これは恋愛をする相手うんぬんの問題ではない。
今の自分に満足もしているし、自信もある。
あとは親へのこの不満・気持ちをどう処理するかだ。

今、兄弟はみんな家を出て、一時的に両親と三人暮らしをしている。
今となっては、門限だの週末をどう過ごすだの
26歳の私の生活に干渉しないで!と心底思っているので
現時点で親に対して「わたしを見て!」は発動しない。
対親でも対恋愛をする相手でもなく、
おそらく自分の中で不満や問題の根源をもっと深く掘り下げて
落とし所を見つけなければいけないんだと思う。

まずは、自分の気持ちに気づくことができた。
それだけでも大進歩だとしよう。

大人になるって、
これまでの人生で積み上げてきた目に見えない問題を
一つ一つ発見して、すくいあげて、大事に対処してくの繰り返しなんだろうな。大変なことだ。

今の私と同じような思いを抱える人がいたら伝えたいのは、
いい子でいる必要はないということ。
自分を育ててくれた親に対して、負の感情を抱いたっていい。
「わたしがどう感じるか」は自分で決めていいんだ。

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